第5話 ……どうか、あと少しだけ――

「……ありがとう、ございました」



 それから、およそ三ヶ月ほど経て。

 宵の頃、例の船室にて――感謝を告げると、軽く手を振り去っていく男性。事の最中もそうだったけど、比較的良い人だったと思う。


 ……なのに、どうしてだろう。以前より、ずっと胸が痛むのは。



  ところで、実のところ現状いまこんな仕事ことをする必要はさしてない。エリスのお陰で今や生活費はほぼかからないし、更には彼からの――何もしてないのに、他のお客さん以上にくれる報酬のお陰で、もしかすると今や人並み以上に貯蓄もできているくらいで。


 ――だけど、私は辞めなかった。エリスには極力バレないよう、彼が外に出ていてほしいと私に頼む数時間を使って。この時間なら、間違っても彼が波止場こちらへ足を運ぶこともないだろうし。……まあ、それはともあれ――



「……うん、そろそろかな」


 そう、高鳴りを抑えつつ口にする。……うん、そろそろ良いよね。これだけあれば、彼を――



「――――っ!?」


 そんな高揚と共に、あの部屋へと掛けていく最中さなかだった――卒然、希望から絶望へと落とされたのは。



「……ちょっと、待っ……」


 すっかり冷えた路上にて、力なくそう口にするも返答はない。まあ、それもそのはず……声を掛けるべき対象――私からあらかた紙幣を奪っていった掏摸すり犯は、もうとうに私の視界にいないのだから。……いや、仮にいたところで返答などあるはずもないだろうけど。


 そして、私というと……まあ、みっともなく路上に倒れているわけで。……うん、冷たいなぁ。


 でも……うん、もう動けないや。目の前で、呆気なく希望が潰えた――そういう、精神的な理由もあるかもしれないけど……そもそも、もう限界みたい……身体こっちが。



 ……でも、別に意外でもないか。そもそも、数ヶ月前まで――エリスと出逢う前の三年を鑑みれば、むしろ健康でいられる方が奇跡……あの瞬間とき望まずとも、いつ息絶えてもおかしくない状況で。


 ただ、そうは言っても……意地悪だなぁ、神様も。なにも、こんなタイミングでなくても――いや、むしろこんなタイミングだからかな? 自分でも引くくらい、身勝手な望みを抱き実行しようとしていた、私に対する天罰なのかも――


「…………ん」


 すると、不意に背中にひやりとした感触が。まあ、確認せずとも分かるけど……朧な私の視界に映るは、真っ白な不香の花。ひょっとして、私の最期に花を添えてくれているのかな。……うん、悪くないね。



 …………だけど。



 ……だけど、少しだけ……どうか、あと少しだけ――



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