第8話 愛と正義
駒込包が如何にして正義に走るようになったのか。何があってムチを振るうのか。どうして人を愛するのか。その詳しい理由を誰も知らない。
小学校時代に虐められていたとか、英雄としての資質を有り余らせて過激になってしまったとか、飛び交う憶測は様々だった。だがそのどれに対しても、駒込本人は首を横に振っている。そして一度もその真実を語ったことはない。語ろうという気もない。
美少年とはその特別さ故に、大小を別として、誰しも必ず性格的な歪を抱えているのである。
駒込はそれを分かっていながらも、人を正さずには居られなかった。
「犬上真黒、お前もこの私が愛を以って正してやる!」
「ぐああああッ……!!」
「真黒くんっ!」
物理的にも、能力的にも、真黒の拘束は限界まで近づいていた。身体に直接愛を教え込むという駒込の『
不味い、マズイ、マズイ! このままでは負けてしまう。何もできずに犬上真黒が負けてしまう。それは御伽にとって非常に不都合なことだ。
こうなったら、後は野となれ――三宝界御伽は勇気を振り絞り、右手を前に突き出して構えを取る。今なら気付かれない。なんとかできる。できなくても、やらなきゃならないんだ。
しかし、御伽が企みかけたその時である。
「はあっ、くっ、うぁ……! いっ……!」
「ハハハッ! こんなものか新一年、まだまだ私の愛は止まらんぞォ!」
「うっ……! やばっ、だめっ……!」
ふと御伽は冷静になった。なんだこれ、なんか妙だぞ。長いというか、なんというか――
「い、やぁっ……! そこ……っ!」
「……なんか、真黒くんふざけてない?」
ムチで縛り力を吸い上げる駒込、吸われ続ける真黒。確かに抵抗など出来るがない。初撃ではたき落された時も、わざと喰らったようには見えなかった。戦いを知らない御伽でも、その目をもってすれば理解くらいはできる。この戦いは至って真面目なはずだった。
しかし、いやだからこそ。
かれこれ一分以上もドレイン攻撃を喰らい続けている真黒を見ながら、御伽の脳裏にはある考えが過ったのだ。
――これ、自分から縛られに行ってるだけじゃないの?
「ひぁ、い、いくぅっ……!」
「どこにだよ馬鹿! さっきからわざとらしい喘ぎ声ばっかりで、真黒くんったら全然効いてないでしょその攻撃!」
「な、なんだと!?」
気づいた駒込が疑惑の目を向ける。そして不安と怒りがそうさせたのか、ムチの縛りは一層強くなった。
「くっ、また一段と強く! 御伽、今いい所なんだから邪魔しないでくれよ! こいつの『美学』、どうやら『愛情』だけでなく拘束時間の長さとムチの威力でもパワーが決まるようだ! だからこのままいけば更なる刺激をっ、おっ、お゛っ゛、お゛ほぉっ゛!」
「お前ふざけてるな!? ふざけてるだろ!? 私の風紀維持を、愛を馬鹿にしやがって!」
「くっ、まさか……しかと効いていますよ先輩。あなたのムチはとても気持ちイイッ!」
「こ、この野郎ぉぉ!」
怒りのままにムチを振るい上げて、駒込は拘束していた真黒を中庭の端から端へと放り投げた。
轟音と共に北校舎の壁面に叩き付けられる真黒。肝心のムチは――すでに彼の体から離れていた。駒込は自ら拘束を解除したのだ。
「真黒くん、大丈夫!?」
「ああ……良いところだったのになぁ……」
壁の瓦礫が崩れる中、真黒はただただ惜し気にそう呟いていた。御伽の心が心配から侮蔑に変わる。
「お、お前ぇ! いくらなんでも気持ち悪すぎるぞ、犬上真黒ォ!」
「フン、お堅いな風紀委員様は。中学生ならこれくらい当然だろう。いや、実は喘ぐ俺を見てアッチもお堅く――」
「う、うるさあああい!!」
力任せのムチ捌きならぬムチ裁き。真黒の口を黙らせようと、駒込は自ら真黒に接近して渾身の一撃を与えようとした。
ムチは人間が振るう武器の中で最速に近い――音速による攻撃が可能である。先端が最高速度の音速を越えた時、破裂音のような音が衝撃波となって響くことは有名だ。
しかし、それはただの人間に限っての話だ。美少年駒込包の、それも鋼鉄製のムチによる、更には怒りで渾身の力が込められた一撃は、もはやミサイル兵器と違わぬ威力を誇っていた。
速度にしておよそマッハ2。ソニックブームが中庭の花々を無残にも散り散りにして、彼の一撃は真黒が居た校舎の壁面を抉る。
しかし、そこに真黒はいなかった。
「どこだ!」
「……俺は怒ってるぞ、駒込包殿」
駒込の背後に黒い影。濡れ羽の髪に漆黒の瞳に真っ黒の学ランに――そして刀身の欠けた刀。
「はっ、お気に入りの刀を壊されたからか? もしやお前の『美学』は刀を使うものだったのか? そいつは残念だ、そりゃ腹も立つことだろうなぁ」
「――違うッ!」
真黒は自らの後方――グロッサムにより吹き荒れた中庭の花々を指差した。
「たかが花がどうした。まさか自分の違反行為は棚上げして、中庭の被害で私を責めるつもりか?」
「――あれはただの花ではない」
犬上真黒の気迫が変わった。
「アレらは先代の美少年たちが卒業の際に一人一粒ずつ種を植えていった、
御伽は思わず耳を疑う。
ブリリアント学園入学に際して学園長との直接面談を行った御伽は、自分でも呆れかえるほどに面接対策を徹底していた。学園の歴史から制度、先輩たちの進路先での活躍に至るまで、事細かにである。
しかし、犬上真黒が語るグロッサムの由来は、そんな御伽にとっても全く初耳のものだった。何故、彼がそんなことを知っているのだろうか?
「たかが花と言えど、しかし俺たちにそれを散らして蔑ろにする権利はない。お前、少し愛が足りないんじゃないのか?」
「ぐっ、き、お前なんぞがそんなことを……!」
挑発に応じて、ムチを構える駒込。
この場においては犬上真黒の言葉は正しかった。愛を謳う男に真黒の言葉は彼自身が思う以上にクリティカルだっただろう。
しかし、御伽は依然として心配を寄せた。相手は武器を持っていて、真黒は丸腰だ。入学式の生徒会長の言葉はやはり疑わざるを得ない。このままでは、獲物の有無で勝負が決まってしまう。
「さっきは避けられたが、刀が無ければ私の有利に変わりはない。再び力を吸わせてもらうぞ、犬上真黒ォ!」
「真黒くん! 今は一旦退いて態勢を――」
しかし情け容赦のないムチは、今度はほどけようがないほど
ぎちぎちとムチが腕に食い込む。満遍なく施された棘が突き刺さって、血は絶えず滴っている。縛られた衝撃だけで並の美少年ならば骨が折れかねないものだが、真黒はやはり動じなかった。
「避けない……どうしてそんなことを」
「簡単だよ、御伽」
犬上真黒は笑っていた。あくまでも爽やかに、美少年らしく。
「俺が不退転しか戦い方を、対話の仕方を知らないからだ。それにこれは栄光と栄華をかけた誇り高き戦いだ――ならば俺ができる勝ち方は自ずと一つだけだろう」
「こ、こいつ……! さっきから本気で力を吸い取ってるのに微動だにしないぞ! いやそれどころか――」
駒込がいくら引こうとも、真黒は巨木のようにその場から動かない。
その様はまるで、犬上真黒が駒込包の動きを封じているかのようだった。
「誰が相手だろうと逃げはしない。何が来ようと刀を握る。どんな戦いも受けて立つしどんな攻撃も受けて勝とう」
縛られた真黒の左手で白光が煌めいた。光は白波となって中庭に広がった。
彼の左手の中――眩むような鮮烈な煌めきの中心で、御伽は辛うじてそれを目撃する。
輝く微粒子が寄り集まり、徐々に刀剣の姿を形成していく、その過程を――。
「屈して天を戴かず――それこそが俺の美学!」
『
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