第7話 中庭の決闘
風紀委員副委員長、二年駒込包。泣く子も正す鬼の副委員長、正しき美少年、ブリリアントの番犬。
学園内外の人間でもその名を轟かせる彼は、犬上真黒の決闘申告に大きなため息をついた。
「全く、世の中にはこんなにも荒唐無稽な奴がいるんだな。いや正直言って驚いた、こんなに手のかかる奴は久しぶりだ」
駒込は鋼鉄のムチで地面を叩き、甲高い音を中庭に響かせた。
「だが案ずるな。どんな悪党も、不良も、弱いヤツも、ムチの一本で変わることができるぞ。私はそれこそが人間の素晴らしさだと信奉している」
「何の話をしている?」
「お前もきっと変われるということだ、
駒込の形相が崩れ、悪魔のように笑った。あれこそ、学園で生徒会の次に畏れられる風紀委員会、その副委員長の正体だ。あの男に捕捉されたが最後、二度とこの学園で清濁を併せ飲むことなんてできない。
「真黒くん、君に言うのもなんだけど、あの先輩かなりヤバいよ……!」
「ああ、流石は風紀委員会副委員長だ。奴の『美学』はなかなかどうして美しい」
――美学。その言葉に聞き馴染みがなかった御伽は思わず首を傾げる。
否、振り返れば昨日の真黒VS生徒会長戦で、生徒の一人がそんなことを言っていた気がする。しかしその真意は未だ分からないままだ。
「愛を以って叩いてやる。愛を以って縛ってやる。正しさを受け入れる素晴らしさを、悪しきを憎む大切さを、貴様らの骨身に教えてやろう。それが俺の『美学』――『
ムチを振るい、空を切る。地面で弾けた先端は、爆発じみた音を放って二人を威嚇した。
三宝界御伽は恐れおののくあまり真黒の傍を離れられない。その仕草がかえって駒込の誤解を呼ぶのにもかかわらず。
「御伽、そんなに引っ付かなくとも俺はお前から離れたりしないぞ」
「だからぁ! そういう誤解を加速させるようなことを言わないで! これは足が竦んで動けないだけなんだから!」
真黒の腕にしがみつきながらも言葉通り御伽の足は竦んでいた。傍目から見れば、駒込の言う通りそういう仲にしか見えないだろう。
「そうは言ってもなぁ。俺も奴に、そして君にも示さねばならないんだ。この俺が信ずる『美学』という奴をな」
「そもそも、一体なんなのさその『美学』ってやつは……僕は見たことも聞いたこともないんだけど」
「知らんのも無理はない。ソレは生半なものでは身につかない美少年としての志のようなものだからな」
「……こころざし?」
言いながら、犬上真黒は御伽の手をそっと離して、踏みしめるようにして前に出た。
それは左手は刀を持ち、右手はその柄にかけて、今にも飛び出して斬りかからんとする構え。グロッサムは合図も掛け声もなく、唐突に始まる。
「しかとその目で見ておけ、三宝界御伽。これが美少年同士の戦いというものだ」
真黒が地面を蹴り、土埃が激しく舞う。わわっ、と手で払いのけて様子を確かめる御伽だが、しかし気が付くとそこに彼の姿は無かった。
「き、消えただと……!?」
駒込包も同じく唖然とした。しかし、真黒の言葉通りしかとその姿を見ていた御伽は、彼の瞬間移動の正体を辛うじて見抜く。
――犬上真黒は宙を舞っていた。
「抜刀の構えは前進のブラフ。消えるなんて大層なことじゃないよ」
「こいつ、小癪な……っ!」
宙を飛んだ真黒が、慣性の法則で駒込包へと向かう。右手は刀に手をかけており、全身をコマのように勢いよく捻らせて抜刀を計った。
その間、一秒の猶予もない。ムチというリーチに勝る相手に、ブラフで間合いを詰める抜け目の無さ。それを初手で即断実行してしまう戦い慣れした思考と身体能力。
御伽は察する。この男、かなりヤるぞ。
美少年の戦いは殆ど見たことがなくとも、彼がただの大言壮語に終わらない強者であると直感した。生徒会長との戦いではあっけなかったが、この戦いならば――
その時。一筋のムチが、真黒の体を横一文字に駆けた。
「ぐあッ……!」
「ならば、その甘さも正さねばなァ!?」
宙から地へ。黒い影は叩き落される蠅のようにして地面へ落ちる。
「無様だなぁ、犬上真黒ぉ!」
「何が起きたの……!?」
御伽は一連の現象を理解しようとしたが、なんてことはなかった。ただ真黒のスピードを上回って、駒込のムチが高速で振るわれたのだ。
油断した先での一撃。真黒は膝をついて駒込を睨む。
「甘すぎるぞ、犬上真黒一年生! 初速こそはなかなか良いスピードだったが、空中に居れば空気抵抗も含めて減速は必至だ。その上軌道が読めるのでははたき落してくれと言っているようなものだぞ!」
「ああ。はたき落してくれ欲しかったんだよ、俺は」
膝をつきながらも、真黒の右手はやはり刀にかかっていた。
まだ抜刀を諦めていない。距離はおよそ二メートル。一撃を与えるには十分なリーチだった。
つまり、真黒ははなから一撃を貰うつもりで突貫を計ったのだ。ムチは先端に行くほど威力が上がる。それは距離を詰めることで最大ダメージは防げるということだが、しかし最善とは言い難い手段だった。
「なるほど特攻で被弾を減らすとは。今年の一年は愛し甲斐があるなァ!」
「こういう戦い方しかしてこなかっただけだよ」
かちん、と小気味のよい金属音が鳴る。それはすなわち真黒の抜刀。
音を聞くや否や、彼の左手の鞘に獲物はなかった。風を切る切っ先は瞬く間に、駒込包の腹部をめがけて滑り込み、今度こそ彼に一撃を見舞わせる――かに思えた
「刀を、動かせない……っ!?」
「ハハッ、動かせるはずがないだろ! 私の方が正しいのだから、私の愛のほうが強いのだから!」
真黒が振るう黒い刀身は、斬撃の直前で鋼鉄のムチに絡みつかれ、動きを止められていた。
それもただ絡まって動かないのではない。そのムチは真黒が少し力を加えれば簡単に振りほどけそうで、刀も少し押してやれば駒込の腹部に切っ先が突き刺さるはずだった。
だが、それができなかった。
「私の『
「そ、そんなまさか……! 真黒くん、そんな拘束早く振りほどきなよ!」
「くっ、そうは言ってもなぁ……」
しかし駒込の言葉通り、真黒は動くことができなかった。
正確には動くことこそ可能だが、それ以上力を振り絞ることが難しかった。立っているのがやっとなのだ。
「そんな、強すぎるよ……」
「ああ、その通りだ御伽。『美学』というのはその者の志であり、また意思の体現だ。ただ強いだけでは理に適わん。ならばこの男の場合、先の言葉に何か能力の秘密があると――ぐぅっ!」
鋼鉄のムチが軋むような音を上げる。駒込包が真黒からより多くの力を奪おうとしている証だった。
「図星か! お前の『美学』、どうやら『愛情』の深さと関係があるようだな。それも力を奪うだけで、それを自分の物にすることもできないと見た……!」
「……別に秘密にしているつもりはない。そんなこと、今更分かってもどうしようもないだろう?」
駒込の言う通りだった。御伽の目から見ても、刀を振るえない真黒の敗色は極めて濃厚だ。この拘束をなんとしてでも解かねば――
御伽はひしと自分の右手を抑えた。まさかヤるべきなのか、自分も、ここで。
「私は鬼だ番犬だと言われるが、心の底からお前たち美少年生徒を愛している。お前たちが健全に生活し、正しい道を歩み、今日も一日を平和に過ごせたと安堵できる。そんな毎日を作りたいと願っているだけだ」
故に――駒込が続けると、ムチがひとりでに犬上真黒に絡みつき、物理的に彼を締めあげた。ぎちぃ、と肉や骨が不快な音をあげている。
「違反者は正さねばならんのだ! 正直者がバカを見る世界など御免だ! 愛されない奴が一人になる社会など最低だ! どんな愚かな行いも私が怒って正してやるし、ふざけた真似も笑って正してやる! 愛のムチで皆を清く、正しく、美しくするのだ!」
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