第29話 天使の帰還
薄暗い曇天の下、アストレア王都の煤けた石壁が冷たくそびえる。貴族の豪奢な馬車が石畳を響かせているのに対し、市場は活気がなく、歩く者は皆足元に視線を向ける。街角には病苦の影がさまよい、人々の喘ぎが夜気を震わせる。私は馬車から降り、羊皮紙の書簡を握った。木の匂いが鼻をつき、車輪の軋む音が耳に残る。アストレアの教会に書簡を届ける。それでひとまずの目的は達成。その後は…………
身体の不調はなんとなく収まった。馬車移動のおかげで負担は減ったのだろう。私は教会の門をくぐり、目的を果たすため、アルノー様と合わなければ行けないですね。まずは神官の方を探して謁見を申し出ましょう。
門を潜ればすぐに二人の男性がこちらに気付いて近づいてきた。一人は銀色の鎧が薄暗い光に映え、一人は金髪がキャンドルの揺れに浮かぶ。ルミエさんとアルノー様だ。
「戻ったかメアリー」
「お待ちしておりましたメアリー様」
「二人お揃いですか、神官長様がこんな場所まで出向く必要はありませんよ」
「いいえ、メアリー様のご到着の報せを聞いてからすぐにお出迎えできるようにと待機しておりました」
以前も申しましたが、私はただのヒーラーだと念を押したのですが、ダメみたいでしたね。ルミエさんもアルノー様からの待遇を見て不信がっているのか、それとも察しているのか。少なくとも、教会の私への扱いが異常だとは気付いていますね。
私はすぐに教会を後にする為、さっさと書簡をアルノー様に渡した。
「教皇からの書簡です。アストレアの民に癒しを届けてください。教皇もそう願っていました」
「さすがです、メアリー様。普通の者ならこんなに早く頂けるものではなかったでしょう。神官長である私でさえも、教皇との謁見は難しい。貴女様が訪れてくださり、感謝しております」
アルノー様は書簡を受け取り、目を細める。キャンドルの炎が揺れ、煤けた壁に影を落とす。彼の視線が私のローブを捉え、柔らかな仕草で驚きを示す。
「メアリー・リヴィエール様、王都の民を代表し、貴女様に敬意を表します。せっかくなので銅像でも造りましょうか?」
私は、それが奇妙な提案だと感じ、答えた。
「役割を果たしただけですので、そこまでする必要はありません…………石工に仕事がなければ、雇用してあげてください。モデルにはなります」
「ずいぶんノリノリだなメアリー」
「よく考えれば戦場の天使。祀られるのも悪くないと考えました」
「どこまで本気なんだ?」
ルミエさんが穏やかな声で笑い、堂々とした歩みで近づく。少し笑いあった所で王都に戻ってきた感じがやっとしました。私にとっての王都の記憶は第二騎士団の駐屯所でしたので、この人と話すと王都に来たと感じられます。
「それはそうと、よくやった、メアリー。王都はすぐに変わらないだろうが、君の行いは民の光となるだろう」
私は、彼の過剰だと思える謝辞を受け流すように答えた。
「自ら名乗り出た役割を果たしただけです」
教会の静かな部屋に移動し、ルミエさんが穏やかな声で言った。
「メアリー、聞いてくれ。王都の民は病や傷に苦しみ、治療院の医師は手が回らない。だが、長い旅を終えたばかりだ。後は我々に任せて、教会で休息を取ってはどうだ?」
私は、なぜ休息が必要なのかと感じ、答えた。
「治療が必要でないのですか?」
ルミエさんの言葉は、私には関係ない。私は治療の必要性を認識し、役割を果たすだけだ。アルノー様が疲れた目で私を見て、柔らかな仕草で申し訳なさそうに言った。
「メアリー様、ルミエの言う通り、王都の民は癒しを必要としています。しかし、辺境の村では医師がほとんどおらず、病や傷に苦しむ者が多い。貴女の癒しを届けてほしい……旅の後で恐縮ですが」
私は、何を求めているのかと感じ、答えた。
「治療が必要なら、どこでも行きます」
ルミエさんが眉を寄せ、堂々とした歩みでアルノー様に近づいた。
「神官長、メアリーを酷使しすぎだ。民間人として、彼女をこれ以上働かせるべきではない」
アルノー様が疲れた目で、丁寧に答えた。
「その通りです、ルミエ殿。それでも、辺境の民の苦しみは待てません。メアリー様の選択に委ねます」
ルミエさんもアルノー様も、私には関係ない。私は治療の必要性を認識し、どちらを選ぶか思案した。役割を果たすだけだ。薄暗い街路の影が窓に映り、花の香りが漂う。石畳の冷たい響きと病の喘ぎが遠くに届く。私は呟いた。
「壁に耳あり障子に目あり、負傷者がいれば私がいます。向かいましょう、どちらでも」
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