第28話 悪魔祓い
初冬の霧がルーン川を覆い、せせらぎが石畳に静かに響く。馬車の軋む音が木の車輪から鳴り、スカイブルーのローブを冷たい風が撫でた。アストレア王国の関所が近づく中、馬車内に木の匂いが漂う。霧は川面を這い、湿った空気がローブの裾を重くする。関所の粗末な木柵が霧に揺れ、苔の緑が薄暗い松明の光に浮かぶ。松明の炎が風に揺らぎ、煙の匂いが鼻をつく。私は羊皮紙の書簡を握り、アストレアの教会で貴族の横暴に対抗する使命を胸に刻んだ。民に癒しを取り戻すため、負傷者を治療し、書簡を届ける。それが私の目的だ。
旅の疲労が肩を重くし、膝がわずかに震える。魔力が揺らぐ感覚が身体を鈍らせる。人間の肉体は脆い。馬車の狭い座席が背中に硬く、木の匂いが鼻を満たす。だが、使命が私を動かす。アレクの視線が私の動きを追う。馬車内で彼の粗末な鎧が軋む音が響く。革のベルトが擦れる音、汗と鉄の匂いが彼から漂う。私は書簡を握り直した。彼の執着は、私には無意味だ。負傷者を癒すことだけが、私の存在理由だ。
「マリー、疲れてないか?」
アレクの声が馬車内で低く響く。粗末な鎧が松明の光に鈍く光り、視線に熱が宿る。私は淡々と答えた。
「問題ありません」
彼の目が私の顔をじっと見つめる。霧が窓の隙間から忍び込み、冷たい空気が頬を刺す。アレクが手を伸ばし、私のローブの裾に触れた。指先が布を擦る音が、馬車の揺れに混じる。
「寒くないか? 霧が濃いぞ。ローブだけじゃ冷えるだろ」
「必要ありません、アレク」
私は手を振り払い、書簡を握り直した。彼の執着は、私の目的に関係ない。私は淡々と答えた。
「書簡を届ける。それが私の役目です」
アレクは黙り、窓の外に視線を逸らした。霧が川面を這い、遠くの木々が影のように揺れる。馬の蹄音が石畳を叩き、車輪の軋みが耳に響く。私は書簡の封蝋を指でなぞり、羊皮紙の冷たさを感じた。アストレアの民が、貴族の横暴で癒しを奪われている。この書簡が、病原を断ち切る一歩になる。
馬車が関所に止まり、木柵の向こうで王国兵が目を光らせる。友好的ではない視線が、私を「戦場の悪魔」として捉える。革の鎧が軋む音が響き、松明の光が彼らの顔に影を落とす。書簡の確認を求め、冷淡に監視するが、行動を縛らない。私は馬車から降り、泥に濡れた石畳を踏んだ。冷たい感触が靴底に伝わり、川の湿った匂いが鼻をつく。馬車脇で旅人がうずくまる。馬車の事故で打撲を負い、腕を押さえて顔を歪める彼に、私は杖を構えた。
「動かないでください」
光が彼の傷を包み、打撲の腫れが消える。旅人は涙を流し、震える声で感謝を呟いた。粗末な服が霧に濡れ、土の匂いが彼から漂う。
「ありがとう……ヒーラーのお嬢さん」
「天使ですから」
「天使? ああ、そうだな」
私は淡々と答えた。天使…………まだ私を天使と呼んでくれる人がいるのですね。負傷者がいれば、私がいる。壁に耳あり障子に目あり。この思いが、私を動かす。私は書簡を握り、使命を刻んだ。王国兵の一人が近づき、書簡を手に持つ私を冷たく見つめた。革の鎧が軋み、松明の光が顔に影を落とす。
「メアリー・リヴィエール、それは?」
「アストレアの民に癒しを届けるためのものです」
私は淡々と告げた。兵士は目を細め、剣の柄を握る手がわずかに動く。
「好きにしろ。…………俺も王都には家族がいる。お前が悪魔じゃないことを祈ろう」
「負傷者を癒す。それが私の目的です。その結果が天使か悪魔かは勝手に評価して下さい」
もういい。誰に悪魔と呼ばれようと…………私を天使と呼ぶ人がいる限り、私の翼は折れない。
私は淡々と答えた。兵士は鼻を鳴らし、木柵の向こうに下がった。松明の光が霧に溶け、川のせせらぎが静寂を破る。アレクは銃を構え、監視を続けるが、王国兵の冷淡さに同調せず黙する。視線が私を離れず、熱が宿る。彼が低い声で呟いた。
「マリー、気をつけろ。貴族の目がどこにあるかわからない」
「必要ありません、アレク。私の目的は変わりません」
私は淡々と答えた。彼の執着は、私には無意味だ。関所で、王国兵がアレクに任務終了を告げた。革のブーツが石畳を踏む音が響き、彼は馬車から降り、霧の木柵の向こうに立った。松明の光が鎧を照らし、目には熱と何かが揺れる。私は書簡を握り、淡々と見つめた。
「マリー……俺にはお前しかいないんだ」
彼のかすれた声が霧に響く。銃を握る手がわずかに震え、肩が落ちる。私は好意も嫌悪も感じず、答えた。
「そんなことないでしょう…………私には貴方と他人の違いに差異は…………いえ、少しだけありますね。人というものを少しだけ学ばせて頂きました。だから、なるべく負傷しないでくださいね」
「…………どうだろうな、心が痛いんだ」
「心? 痛覚もないのに?」
「ああ、そうか…………お前は天使じゃなくて悪魔かもな」
「!? ……………………そうです、だから悪魔祓いしてください」
アレクは視線を逸らし、霧に溶けた。私は馬車に乗り、書簡を握り直した。霧が川面を這い、せせらぎが遠ざかる。馬車の軋む音が続き、木の座席が背中に硬い。アストレアへの帰路に希望は薄い。貴族社会に一石を投じる書簡は、私を彼らの標的にするだろう。だが、負傷者を癒し、書簡を届ける。それが私の目的だ。私は石畳の響きを聞き、使命を刻んだ。馬車の揺れが続き、松明の光が霧に溶けた。負傷者がいれば、私がいる。この思いが、私を動かす。
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