第30話 天使の使命
教会の部屋は静かで、煤けた石壁が冷たくそびえる。キャンドルの光が揺れ、花の香りが鼻をつく。聖歌が低く響き、木の床が足元で軋む。私はアルノー様に書簡を渡し、役割を果たしている。渡した書簡は、帝都からの治療支援を呼ぶでしょう。であれば、私がここにいる理由はもうない。ですが、今もなお王都の民が貴族の横暴でまともな治療を受けられていない。であれば負傷者がいれば、私が癒す。たったそれだけ、負傷時にメアリー。誰かの怪我あれば、そこにいるべきは私なのだから。
ですが、ルミエさんはこれ以上私を利用したくないようです。確かに私は王国の人間ではありません。騎士団としてのメンツもあるのでしょう。逆にアルノー様の提案は私を利用する気なのがよくわかります。わかります、私は旅のヒーラーで教会の人間ではない。であるはずなのに、神官長を呼び出し、大聖堂に行けば教皇が迎え入れる立場である事も変わりありません。…………アルノー様はきっと私が何者か気付いている。でもルミエさんは違う。
一般市民、いいえ、旅人に王国が、騎士団が頼り切りという事実に心を痛めるような人という事でしょう。
「メアリー、本来王国の事は王国内部で片づけるべきことだ。教会の事で協力して貰ったが、これ以上君に強いるのは騎士として王国民として間違っている。だから君はいつどゆっくり休むべきだ。第二騎士団の駐屯所であれば、君を匿う事もできる。本来は、君は守られるほど弱くはないのだがな」
ルミエさんの声が部屋に響く。銀色の鎧がキャンドルの光に映え、青い目が私を捉える。私は淡々と答えた。
「そうです、私は天使ですから。守られる必要も、休む理由もありません。アルノー様の申請をお受けします。邪魔をしないでください…………ルミエ」
彼は眉を寄せ、堂々とした歩みで近づく。
「わかった…………神官長の言う辺境は遠い。ならばせめて俺が同行して負担を減らす」
彼の言葉に私は首を振った。
「負傷者がいれば、私が癒します。それで十分です。ルミエ、貴方には貴方の使命があります」
ルミエさんは黙り、視線を逸らす。私は彼の気遣いは騎士としてのものか、それとも個人としてのものか私には判断できませんが、思い悩む彼の姿は苦しそうでそれを癒すことができない自分を恥じた。アルノー様が疲れた目で私を見る。金髪がキャンドルの光に揺れ、柔らかな声が響く。
「メアリー様、もし向かっていただけるならこちらの地図をお使いください」
「壁に耳あり障子に目あり。負傷時にメアリー。要請をお受けします」
私は淡々と答え、馬車を準備して頂くことにしました。結局、言い合いの末、ルミエさんが護衛としてついてくる事になりました。王国の方は私についてきたがるのですね。どちらにせよ負傷者がいれば、私がいる。
「準備は良いかメアリー」
「…………そうですね、一刻も早く向かっていただけるならもうそれでいいです」
そして馬車が動き出します。冬の風が木々を揺らし、馬の足音と車輪の回る音を聞きながら、景色を眺める。木の匂いが鼻を満たし、座席が背中に硬く押しあたる。ルミエさんの鎧が軋み、剣の柄が光る。私は辺境で負傷者を癒す為に、少し魔力を回復しなけれ場行けませんね。
森の道を進むと、少し遠くからでしょうか。ルミエさんのものと違う、少し似た鎧の音が近づいてきます。騒ぎ声と共に馬車が停止。どうやら止められた見たいですね。外に出てみれば多くの騎士に囲まれていました。そして先頭に立った男が私に剣先を向けて近づきます。
「貴様、ヒーラーだな? 貴族に仕える栄誉を貴様にくれてやろう」
「お断りします。そんなことより道を開けてください。邪魔ですよ」
「な!? こちらが下手に出れば調子に乗って!!!」
「? 下手? どうやらアストレイア王国ではあくどい事を下手というのですね」
「誤解しないでくれメアリー。あの者の発言は下手に出てなどいない。王国でも彼は下手に出ているとは言えないだろう」
「なるほど、言葉を上手く使えない方という事ですね」
「貴様ら!! この俺を愚弄するか!? ええい! 捕らえろ! 貴様は今日からドラン様の物だ!!」
彼らの目が私の銀髪と淡緑の瞳を捉える。ドラン様。知らない方ですが、ルミエ様は頭を抱えているという事は王国貴族なのでしょう。いきなり剣を振り下ろす騎士に対し、結界で応戦する。光が剣を弾き、言葉も上手く扱えない騎士がよろめき、一斉に周囲の方々も襲い掛かってきました。ルミエさんが剣を構え、とびかかり、応戦使用とします。
「下がれメアリー!」
「何故? 私は貴方より強いと自負しています」
「…………わかった、後方は任せる。だが半分手伝おう」
「最初からそう言うべきです」
結界魔法で一気に押し込み、逆に拘束してあげましょう。彼らの足を結界で固定し、杖の先に球体状の結界を作ると、それで勢いよく殴りつけます。動けない相手に圧倒的なリーチで殴る。およそ騎士様に見せるなら恥ずべき戦い方なのでしょうが、彼らのような外道には関係ありませんね。
最も、私はこの程度のことを恥と思いませんが。
ルミエさんが剣を振り、先ほどの口の軽そうな騎士を圧倒します。
「お前!? 第二騎士団長!? 何故ヒーラーと共に行動をしている!!」
「縁あって彼女を護衛している。私とまともにやり合いたいなら、少し人数が足りんな。いや、メアリーもいるからこの程度で勝てると思わない方が良い」
「畜生! 覚えてろ!」
「そうだな、あまりの無能ぶりに忘れるのは難しそうだ」
彼らは慌てて逃げ出してしまいました。…………一応逃げていますが、ヒールくらいしてあげますか。届くと良いのですが…………
改めて馬車に乗りなおし、辺境の村が近づいてくる。木々の間から粗末な屋根が見える事から、あまり裕福な村ではなさそうと一目でわかりました。私は杖を握り、負傷者を癒す準備をする。ルミエさんが低い声で呟く。
「先ほどは戦わせてすまい」
「私が戦った方が効率的です。ルミエでは一対一にでもしない限り長期戦で非効率です」
「厳しいな」
「例え貴方の方が実力が勝っていても、数には勝てません。戦場に長くいた私の言葉です」
「なるほど、信頼できる言葉だ」
私は淡々と答えた。馬車の軋む音が響き、冬の風がローブを撫でる。負傷者がいれば、私がいる。壁に耳あり障子に目あり。負傷時に私、ここにいます。
「行きますよルミエ」
「ああ、まずは宿を取ろう。それから君は治療を始めてくれ」
「いいえ、時間が惜しいです。ルミエがとっている間にこちらも行動します。なんだかんだ言って来てくださり助かりました。私一人なら野宿していたと思います」
「冗談に聞こえないな」
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