第8話「最後のリハーサル」


部屋の静寂の中で、奏多(そうた)は手元の譜面をじっと見つめていた。これまでの旅で少しずつ明らかになった旋律が、ついにほぼ全貌を現していた。だが、最後の音が未だに欠けている。その欠片を見つけるために、彼は再び鍵盤に指を置いた。


「これで、全てが分かるはずだ...。」


彼の奏でた音が空気を震わせ、眩い光が部屋を満たした。次に目を開けたとき、そこはこれまでとは異なる光景が広がっていた。


奏多が立っていたのは、巨大な舞台の上だった。観客席には無数の人々が座り、全員が彼を見つめている。舞台中央にはグランドピアノが輝いており、その上には譜面が置かれていた。それは、彼が追い求めていた未完成のソナタだった。


「この場所は...?」


すると、舞台袖から足音が聞こえた。振り返ると、そこには未来の彩音が立っていた。彼女の表情は穏やかで、どこか悲しげでもあった。


「奏多、ここが最後の舞台よ。」


「最後の舞台...?」


彩音は頷き、彼の隣に歩み寄った。


「あなたがこの旅を始めた理由、それはこの曲を完成させること。そして、それを人々に届けることだった。でも、まだ最後の音が欠けている。」


奏多は彩音の言葉に戸惑いながらも、譜面を手に取った。その最後の部分には一つの空白が残されていた。


「どうすれば、この音を見つけられるんだ?」


彩音は微笑みながら答えた。


「その答えは、あなた自身の心の中にある。音楽は、技術や理論だけで生まれるものじゃない。あなたがこれまでの旅で見てきたもの、感じたもの、それら全てを音に込めるの。」


彼女の言葉が胸に深く響いた。奏多は静かに息を吸い込み、ピアノの前に座った。


鍵盤に触れた瞬間、これまでの旅の記憶が鮮明に蘇る。過去の彩音との出会い、未来での彼女の孤独、忘却の霧の中で見た自分自身。そして、中世の大聖堂で聞いた荘厳な和音。それら全てが一つに繋がり、彼の中に新たな旋律が生まれ始めていた。


彼は譜面に視線を落とし、指を鍵盤に落とした。音楽が空間を満たし、観客席の人々が息を飲むのが分かる。旋律は滑らかに流れ、これまで聞いたことのない美しさを帯びていた。


だが、最後の音にたどり着く直前、彼の手が止まった。


「この音が...最後の鍵だ。」


彼の心に迷いが生じた。彼が選ぶべき音は一つだが、その音はすべてを変える可能性がある。そして、その音が人々にどんな影響を与えるのか、彼には分からなかった。


「奏多、信じて。」


彩音の声が背後から聞こえた。その言葉に背中を押されるように、彼は深く息を吸い込み、指を鍵盤に落とした。


その瞬間、ホール全体が光に包まれ、音楽が響き渡った。それは、これまでのどの音楽とも異なる響きだった。過去、現在、未来を超えて、人々の心を一つに繋ぐ音だった。


光が収まると、奏多は再び自分の部屋に戻っていた。だが、手元の譜面には最後の音がしっかりと書き込まれていた。


「これが...俺の見つけた音。」


彼は微笑みながら譜面を置き、鍵盤に向き合った。その音をもう一度奏でるために、彼の指は静かに鍵盤へと落ちていった。


次の瞬間、すべてが一つに繋がる――最終章へ向けて。


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