第7話「忘却のリズム」


鍵盤に触れた瞬間、奏多(そうた)は激しい光と共に次の時代へと飛ばされた。しかし、今回はこれまでのリープとは違っていた。


目を開けると、そこはどこか曖昧で霞がかった世界だった。建物や風景はぼんやりとしており、まるで現実と夢の狭間にいるようだった。周囲の空気には妙な静寂が漂っており、奏多は自身の名前すら思い出すのに時間がかかった。


「ここは...一体どこだ?」


彼は足元を見下ろした。そこには散乱した譜面がいくつも落ちており、そのどれもが彼自身の未完成のソナタと同じ旋律を含んでいた。しかし、譜面の文字はかすれており、一部が欠けている。


「なぜ、この旋律がここに...?」


奏多が手を伸ばして譜面を拾い上げると、突然後ろから声が響いた。


「それは、君が忘れたものだ。」


振り返ると、そこには見覚えのある人物が立っていた。それは若かりし頃の自分自身だった。若い奏多は静かな目で彼を見つめていた。


「忘れた...?どういうことだ?」


若い奏多は微笑むことなく答えた。


「君はこの旋律を完成させるために、多くのものを犠牲にしてきた。そして、その犠牲の中で君自身が大切なものを失った。」


その言葉に、奏多の胸は重くなった。これまでの旅の中で、過去、現在、未来を行き来するたびに、何かが抜け落ちていくような感覚があった。そしてその抜け落ちたものが、彼自身の記憶であることに気づき始めた。


「それじゃあ、俺は...何を忘れたんだ?」


若い奏多は答えず、手にしていた譜面を差し出した。


「この音を思い出せば、きっと君にも分かるはずだ。」


奏多は譜面を受け取り、それを読み解こうとした。しかし、譜面には不完全な音符がいくつもあり、それが何を意味しているのか理解できなかった。


「この音を弾けと言うのか?でも、この欠けた部分は...?」


若い奏多は静かにうなずいた。


「そう。君が忘れた音を取り戻すことが、すべてを繋ぐ鍵になる。」


その言葉と同時に、若い奏多の姿は霞のように消えていった。再び一人になった奏多は、譜面を握りしめ、目の前に現れたピアノに向かった。


鍵盤に触れるたび、彼の脳裏にはこれまでの旅の記憶が蘇る。過去の彩音、未来の彼女の悲しげな姿、中世の大聖堂で聞いた言葉。それらがすべて繋がりそうでいて、最後のピースが欠けているようだった。


「この音が、俺の全ての答えなんだ...。」


彼は深く息を吸い込み、譜面を見ながら演奏を始めた。不完全な旋律が鍵盤を通じて空気を震わせ、まるで忘却の霧を晴らすような感覚が広がる。しかし、最後の音を弾こうとした瞬間、再び光が彼を包み込んだ。


次に目を開けたとき、彼は自分の部屋に戻っていた。しかし、手元には譜面が残されており、その一部に新たな音符が加わっていた。


「これが...俺の忘れていた音?」


その音符を見つめながら、奏多は少しずつ記憶を取り戻していく。彩音との関係、自分が音楽に込めた想い、そして最後の音に込められた意味。


「あと少し...あと少しで完成する。」


彼は鍵盤に向かい、次の音を奏でる準備を始めた。その先に待つ答えを信じて――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る