第4話「失われた音色」


鍵盤に触れた瞬間、奏多(そうた)はまたしても強烈な光に包まれた。意識がどこかへ飛ばされるような感覚の中、遠くから耳をつんざくような不協和音が響いてくる。それは、まるで誰かの苦しみを表現しているような、歪んだ音色だった。


次に目を開けたとき、彼は巨大なコンサートホールの舞台に立っていた。だが、客席は空っぽで、冷たい空気が漂っている。ステージ中央にはボロボロのグランドピアノが置かれていた。その鍵盤は所々欠けていて、弾かれることを拒むかのように沈黙している。


「ここは...どこだ?」


奏多は恐る恐るピアノに近づいた。その瞬間、背後からかすかな声が聞こえた。


「助けて...」


振り返ると、観客席の奥に女性の姿が見えた。彼女は薄暗い光の中で震えていた。その顔に目を凝らすと、奏多の心臓が跳ね上がった。


「彩音?」


しかし、彼女は奏多が知っている彩音とは異なっていた。どこか影を背負ったような表情と、悲しみに満ちた瞳。その姿に、奏多は胸が締め付けられるような思いを抱いた。


「なぜここにいるんだ?何があったんだ?」


奏多が駆け寄ろうとすると、彩音はゆっくりと首を振った。


「近づかないで...。私は...私の音楽を失ったの。」


その言葉に、奏多は足を止めた。彼女の目からは涙がこぼれ落ち、指先は虚空を掴むように震えている。


「音楽を失った...?どういう意味だ?」


彩音は答えず、視線をピアノに向けた。ボロボロのピアノからは、かすかな音が漏れ聞こえていた。それは、彼女が奏多に教えたあの旋律の断片だった。


「この曲が...全てを壊した。」


彩音の言葉は冷たく響いた。奏多は混乱しながらも、ピアノに手を置いた。その瞬間、頭の中に強烈なビジョンが流れ込んできた。


暗闇の中で一人、彩音がヴァイオリンを抱え、必死に演奏している。だが、その音色は不協和音に崩れ、彼女は何度も弓を振り下ろしていた。観客席には誰もおらず、ただ虚無が広がっている。


「もう一度弾けるはずだ!」


奏多は叫ぶように言い、ピアノの鍵盤を叩いた。音がホールに響き渡り、彩音の目が一瞬だけ揺れる。


「奏多...あなたはまだ知らない。音楽が全てを繋ぐだけじゃないってことを。」


彩音の言葉とともに、彼女の姿は消えていった。その場所に残されたのは、古びた譜面だけだった。奏多は譜面を拾い上げ、それを見つめた。


「この曲...俺が完成させる。」


譜面には、見覚えのある旋律とともに、彼の知らない音符が書き込まれていた。その音符をどう弾くべきか、彼にはまだ分からなかった。


再び現代に戻る感覚が彼を包む。そして次に目を開けたとき、彼は自宅のピアノの前に座っていた。


「彩音の言葉...どういう意味だったんだ?」


手元には、先ほど拾った譜面がしっかりと握られていた。彼はその旋律を再現しようと鍵盤に向かうが、何かが足りないと感じていた。


「答えは、きっと次の音にある。」


そう自分に言い聞かせ、奏多は再び鍵盤に指を置いた。

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