新訳かぐや姫

@rakuten-Eichmann

新訳かぐや姫

皆様は月を見ると、何を思うでしょうか。アポロ?うさぎ?それとも七夕?

私は月を見ていると、ある人を思い出すのです。月に行ってしまったあの人。私に消えない呪いをかけていったあの人。

 孤独に燃え消えてゆく、陽炎に似たあなたの瞳。三日月が満ちるための最後の一欠片。

 そのものの名はかぐや姫。月を見るたび私は死ぬ以上の苦しみと喜びを味わうのです。

 時は平安時代。私は当時、帝と呼ばれ敬われていました。しかし心は空虚なままでした。冷めて生臭い魚の煮付け。硬くて冷たい強飯。愛のない側室。酷い不眠症。食べなきゃ死ぬ、眠らなきゃ死ぬ、それらの心配の声が、酷い脅迫に感じられ、怯えるしかありませんでした。そんな生活はある思想めいたものを私の中に目覚めさせました。

『人間の生から切り離されたものになりたい』

全てを捨てて平民として生きようとしたこともありましたが、側近たちの手によって、目的もないまま、象徴として生きるしかありませんでした。

 四肢をもがれたひきがえる。それが当時の私でした。大きな喜びも悲しみもない、困難が目の前にあったとしても、それは私が意識をする前に、周囲の手によって取り去られてしまう。私が何かを望む前に、目の前に望んだものが現れてしまう。

 その様な生活は私を堕落させるには十分な条件でした。芸術のためだと嘯いて自分の宮殿を燃やし、酒の勢いでゆきずりの女性と関係を持ち、子供が生まれました。その女と子供は、側近の手によって私の知らない北の大地に追放されました。無性に悲しくて自殺も試みました。部屋の梁に縄をかけ首を括りましたが、定期巡回の兵に発見され、寺の離れに三ヶ月ほど幽閉されました。

 いよいよ生ける屍と成り果てた私を見かねてか、父が見合いの相手を見つけてきました。名をかぐや姫。都では知らぬもののいないほどの美女。

 父は私が結婚すれば、いわゆる『悪癖』が治ると思ったのでしょうが、その優しさや、裏に隠された羞恥心を感じられるほどの心がすでに私にはありませんでした。

 京都から三日ほどカゴに揺られ、竹取翁の屋敷に着いた時のことは今でも鮮明に覚えています。庭に大きな桜の木があり、その下に空を見上げて幽かに笑うかぐや姫の姿があったのです。姿形はもちろん美しかったのですが、それ以上に惹かれたのはその瞳でした。孤独の光、生命を感じさせない儚さとでも言いましょうか。欠損している故の美しさ。

 同じだと思いました。生い立ち、感じた孤独、衝動。その瞳を見つめただけで全てがわかった気がしました。初めて彼女を見た時、私の心は改めて命を得ることができました。(まるでナザレのイエスのようです。)

 彼女の方でもそれは同じだったようで、惹かれ合うのに時間はかかりませんでした。しかしそれは愛というにはあまりに醜く、痛いものでした。傷の舐め合いよりも酷い、相手の瘡蓋になろうとして結局かきむしるほどのかゆみを相手に与えてしまう。

 しかし、幸せでした。悲しいほど綺麗な日々でした。胎児になるよりももっと前、魂の大元だった頃の片割れとでも言いましょうか。見たことのない風景でも故郷とわかる感覚とでも言いましょうか。理屈では説明できない直感的な幸福が、私たちの間にはあったのです。

 穏やかではありませんでしたが、人間らしい生活ができました。この生活が長くは続かないことはお互いにわかっていましたが、この一瞬を心ゆくまで味わおうと、慎ましく生きようとしました。

 しかし幸せはやはり特別なもので、かぐや姫は私の元からさりました。彼女は、自分は月の人間であること、迎えが来たら月に帰らなくてはいけないこと、不死の薬を渡すから自分のことを待っていて欲しいことを訥々と語りました。

 私はただぼんやりと、彼女の孤独の理由について考えていました。

 今夜月から迎えが来るから、どうか笑顔で見送って欲しいと彼女は言いました。

 私は一体何様なのでしょうか。彼女の最後の願いすら叶えようとはせず、彼女をそばに置きたくて兵を月の民に仕向けました。

 神様、どうか教えてください。罪とはこの私ではないでしょうか。兵は全て死にました。かぐや姫も月に消えました。私はその時竹取翁の屋敷の布団の中でガタガタと震えておりました。彼女を失いたくない、そのエゴのために何百の命が犠牲になりました。

全てを失った私には、不死の薬を飲んで彼女との再会を夢見るしかありませんでした。不死の薬は酷く飲み辛く、しょっぱくて喉が締め付けられるような味がしました。それはまるで涙のようでした。とうとう私には、自死の許しすらなくなりました。諦めた命なのに捨てられませんでした。かぐや姫、あなたも私のことを思って地獄のような苦しみを味わっていたらいいなと思うのです。

 私が私であるための唯一の現実が彼女だったのです。それを失った私は、ただのゾンビでした。私は京都を離れ、山奥に家を建て、誰とも関わらないようひっそりと暮らしました。そこは夜になると蛍が飛び、月がよく見える山の中腹でした。日が出ている間はひたすら暗い部屋の中で目を閉じて彼女のことを思い出し、夜になると月を見つめて再会をただ祈りました。不死のため食事も睡眠も必要ありませんでした。

 世の中にはいろいろなことが起こりました。関ヶ原の戦い、文明開花、世界大戦、高度経済成長、しかしそれらはどうでもいいことでした。ただ物事の全てが流れていきます。

 食欲、睡眠欲はありませんでしたが、性欲だけは有り余っていました。

 彼女は月でどんな生活をしているのだろう?子供はいるのだろうか?だとするとどんな顔をしてどんな男に抱かれているのだろう?

 私はそんな顔も知らない男になりきって自慰行為に耽る日もありました。その悍しい行為が終わったあとは、無限の虚無感の中に落ちていくのです。

 きっともう救いはないのでしょう。私こそがこの地獄を望んだのですから。絶望することこそが、生きている実感を得る手段になっていたのです。不死の薬を渡して待っていて欲しいと願った彼女も、私がこんな醜い男になっているとは思いもしなかったでしょう。

  会いたい。会って話をしたい。月明かりに身を焼かれ、悲しみに濡れた朝の草いきれを見て、ただひたすら願いました。どうか、どうか、あの瞳を、桜の下で笑うあの寂しさをもう一度。

 時代が移り変わり、令和と呼ばれる時代になっても、かぐや姫のことは忘れられませんでした。その頃になると私は、ある欲望が、火の粉のように湧き上がってくるのを感じていました。

 『彼女に、かぐや姫に殺されたい』

 その願いが叶うことはないでしょう。もう彼女は私の中にしかいないのですから。

もし街中で彼女とすれ違ったとしても気づける自信はありません。私の中での彼女があまりに美しくなりすぎてしまったから。雲で陰る月は世界で一番美しいと思うのです。

 日本人が、桜を見てなんだか寂しい気持ちになるのは、私の恋が遺伝子となって君たちの中に流れているかも知れません。 

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