味のない食事

綿抜キ人形

第1話

「沙雪っていつもおいしそうにご飯を食べるよね」

 友人の夏香は、店員さんへの注文を終えると。唐突に口にした。

「そうなの?」

「食べている時が一番幸せそうな顔してるからさ」

 私は腕を組みながらしばし考える。

「確かに...ご飯を食べている時が一番幸せかも」

「もっと他にないのー?」

「じゃあ夏香はどんな時が一番幸せ?」

 夏香は顎に手と当てながら「うーん...」と考えている。さて、長考の結果は...。

「わかんないや」

「結局わかんないんかい」

「でも沙雪の食べているところを見るのは好き」

「そうなの?」

「なんか見てるとこっちも食欲沸いてくるっていうかー、飯テロ?」

「なんか私が食いしん坊みたいじゃん」

「言い得て妙だね」

「否定しろよおい」

 ツッコむ私にくすくすと笑う夏香。私はわざとらしく「ふんっ!」と鼻を鳴らしながら鞄からあるものを取り出した。

「出たよそれ。沙雪のご飯のお供たち」

 夏香が指差すのは小さな二つの魔法瓶。私のお気に入りである赤と青の色違いは、私の必需品だ。

「毎度思うけどその魔法瓶には何が入っているの?」

「ご飯をおいしくする魔法薬」

「もー適当なこと言ってー!」

 この魔法瓶の中身を知られるわけにはいかない。あ、読者の皆様には後で特別に教えてあげますよ? 本当に大したものじゃないけど。

「そもそもなんで夏香はこれが気になるのさ」

「沙雪と同じ事すればあの子もご飯が食べられるかもしれないでしょ?」

「あーあの子ねー」

あの子こと、沙雪の友人は重度の摂食障害に苦しんでいるらしい。

「最近はご飯の味もしなくなったみたいなの」

「はぇー痩せちゃうやつじゃん」

「この間会ったけど痩せた気がする。食欲ないんだって」

 ご飯が食べられないとはまた気の毒な。こんな幸せをみすみす逃してしまうなんて、実にもったいない。

「沙雪は食欲ないときどうし...そもそも食欲ない時あるの?」

「お腹が空いてない時じゃない?」

「あーもう話にならん」

 デタラメなことを言う私に夏香は呆れている。私と夏香の会話パターンの一つだ。

 私は都合が悪くなったときに、デタラメなことを言ってごまかす癖がある。夏香もそれを察してか、深くは追求してこなかった。

 一度夏香に真剣に相談されたことがあるのだが、その時は丁重に断った。私には、どうしても夏香の相談に乗ることができない理由がある。きっと私があの子の力になれる日は来ないだろう。それどころか、私が関わったらその子のことを悪化させてしまうかもしれない。

 私の食に対する価値観は、たぶん誰も理解できない。

 確かに私は食べることが好きだ。好き嫌いなく何でも食べることができる。

 そう、食べ物に好き嫌いはない。それはつまり、好きも嫌いもないということだ。何を食べてもまずくないし、おいしくない。

 実は私には味覚がない。お誕生日のケーキも、クリスマスのチキンも、お正月のおせちも、味わって食べたことなんてない。「おいしいものを食べて幸せ」なんて言葉が、私には理解ができない。私は普通の人間じゃない。


 それでも私は食べることが好きだ。

 味なんか感じなくたって、食事は心を豊かにしてくれる。


「お待たせしました」

 店員さんが料理を届けに来てくれた。夏香は店員さんに軽くお辞儀し、胸の前で手を合わせると「いただきます」と口にした。

 私は夏香を見て、お行儀いいなと思いながら、赤の魔法瓶に手をかける。

 食事の前には赤い魔法瓶を、食事の後には青い魔法瓶を、私と関わりのある人は誰もが知っている、私の食事ルーティン。

 赤の魔法瓶を開けて、慎重に中身を飲み干す。

 赤の魔法瓶の中身は、私にとって絶対に欠かせない一口目、熱湯だ。

 やけどに似たような感覚が、喉から空っぽの胃の中に流れこむ。熱が勢いよく胃壁に纏わりつくこの感覚が私はとても好きだ。

 油断していた私の消化器官は熱湯に叩き起こされ、慌てて食事を受け入れる準備を始める。熱湯を飲んでから、私の体の準備が整うまでの間、私はじわじわと来るお腹の熱を堪能する。

 この時の私はきっと形容しがたい顔をしているのだろう。目の前にいる夏香はこの時の私を見る癖があるのだが、食事の手を止めてまじまじと私を見つめる夏香の顔は、なんとも形容しがたい顔だった。

 私が魔法瓶を鞄にしまうと、夏香は思い出したかのように食べ始める。

 そろそろ私も食べるとしよう。

 いざ、食事。

 大きな一口を頬張り、ある程度まで咀嚼してから一気に飲み込む。私に飲み込まれたそれは、勢いよく食道を通り、某人気ゲームのギミックのように、ドッスン!と私の胃の底へ叩きつけられる。この衝撃がとても気持ちいい。

 間髪入れずにこれを繰り返す。一口飲み込むたびにお腹が重たくなっていくのを感じながら、私は黙々と食べ続ける。次々に飲み込まれていくそれは、私の胃の中にため続けられて、次第に圧迫感を訴えてくるようになる。

 目の前の食べ物がなくなるころには私のお腹はとても苦しい。それでも最後の力を振り絞り、青い魔法瓶の中身をゆっくりと飲み干す。中に入っているのは氷水だ。

 最初の熱湯とは違い、上から下へ、じわじわと冷たくなっていく感覚。

 乱雑に氷が放り込まれたコップに水を灌ぐと、氷は解けた部分の形を変え、徐々に下へ転がっていくように、私の中の食べ物もまた、最後の水によって形を変え、下へ、下へと沈んでいく。

 冷たい水の感覚がお腹全体にいきわたった時、私はお腹が重くてしばらく動けなくなる。

 そう、満腹だ。

 私は満足感に酔いしれながらお腹をさする。

「はー幸せ…ちょっと休憩―」

「ちょっと…!お行儀悪いっ」

 テーブルの上に身を投げた私は夏香に頭をチョップされる。

「えーいいじゃーん。お腹いっぱいって幸せでしょー?」

 お腹が空いたときにお腹いっぱいご飯が食べられる。この状況こそ、すごく幸せなことなのだ。私にとって、心を満たすのに「おいしい」は必要ない。

 夏香の友人であるあの子も、いつか気付けたらいいなと思う。

「もっとゆっくり味わって食べなさい。食いしん坊」

 私を食いしん坊呼ばわりする夏香の一口は、私の半分くらい。夏香はそれを頬張る度に「ん-おいしい…」と目を瞑りながら私の二倍の時間をかけて飲み込む。単純に夏香の食べる時間は私の四倍くらい。暇になった私はぼーっと夏香の食べている姿を眺める。

「ちょっと...食べづらいんだけど」

「いいよーそのまま続けてー」

 夏香は私の視線を気にしながらも再び食べ始める。夏香は私の食べているところが好きだと言っていたが、私も夏香の食べているところを見るのが好きだ。なんというか上品で、夏香の食べている料理はどれもおいしそうに見える。

 私が物欲しそうな顔をしていたからか、夏香が食べかけの皿を私の前に出す。とてもおいししそうだったはずのそれは、私の目の前に置かれた途端、残飯のように見えた。

「一口食べる?」

「いらないっ♪」

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