第42話 生贄の種馬は炎狐にリベンジする

 自らの元に歩み寄ってくれた絶兎に対し、イブは両手を背後で組み、腰を直角に曲げたヤンキー流の『最敬礼』で絶兎に頭を下げる。

 イアンはもちろんその場にいるもの全員、何が起こっているのか理解できなかった。


 イアンは混乱し全身から力が抜ける感覚に苛まれている。

 今まで捜し続けた日々は何だったのか。

 これまでの思いは自分の一方的なものだったのか。

 あり得ない、あり得ない、あり得ない――!


 イブの元に歩み寄った絶兎は、そのままいつものようにエネシアを舐めまくっている。


「ちょっと、今はダメなのですぅ!」

 ――とりあえず前菜をいただくぞい。


 いつもと変わらない絶兎の舌づかいに若干興奮しているエネシアに、ルーが笑いながらアテレコを入れる。

 確かにそんなことを言ってそうな絶兎の上機嫌な顔に、イアンを除くその場の全員が納得する。

 そんな様子を見たイアンが苛立ちを隠さず声を荒げる。


「ふざけるな! 絶兎が選んだのは君じゃない!」


「そうかもな。でも俺の勝ち」


「意味が分からない」


「俺はちゃんと言ったぜ? 『あんたを選んだらあんたの勝ち。俺の勝ち』って」


「は……?」


先輩パイセンはエネシア込みで、んだ」


 イアンはそんな屁理屈など到底納得出来ない。

 しかしそれを差し引いても、自分が選ばれなかった事に大きなショックを受けていた。

 白い特攻服とっぷくを翻し再び絶兎に跨るイブを、イアンはまだ現実として受け入れられない。


「……どんな魔法を使った?」


 絞り出すようにそれだけを言葉にしたイアン。

 イブが感謝を込めて絶兎を撫でながら答える。


「ニンジン十本と、


「そんな約束だったのです!?」


「念仏の内容としては最高だろ?」 


 顔中涎まみれのエネシアは恨めしそうにイブを睨む。

 その言葉を聞いたイアンが、両手と両ひざを地につけて落ち込んでいる。

 ケアルと二人の従者は、ほんの少しだけイアンに同情した。

 

「……ここまでコケにされたのは初めてだよ」


 イアンが剣を持つ手をだらりと下げたまま立ち上がると、それまで張りつめていた空気が少しだけ弛緩していた。

 その空気に合わせてつい気を緩めた女生徒――両足を折られた金髪エルフのグループのひとり――が、迂闊にも口を滑らせる。


「今のうちに雑種を捕らえて捕虜に――」


「バカ!」


 周囲の静止は遅かった。

 ぴくりと反応したイアンがゆらりと揺れ、一瞬で女生徒の真横に並ぶ。

 しかし同時に、絶兎に跨るイブも動いていた。

 ギィン! と鈍い音を響かせ、再び金属バットでイアンの攻撃を受けたイブが口を開く。


「うるせえぞ。今は黙ってろ!」


「ひっ……!」


 イブのその言葉は、イアンではなく『雑種』と口にした女生徒に向かって放たれた。

 最弱の人間とは思えないイブの威圧感に、女生徒は情けない声を上げその場にへたり込む。


「あんたもあんただ。いちいち反応してんじゃねえよ」


 続けてイブは、イアンにも感情を露わにする。

 そのイアンは、自分の攻撃を立て続けに二度も防いだに驚きを隠せない。


「雑種の何が悪い! 血統書付きの犬より雑種のほうが、病気に強いし長生きするってばあちゃんが言ってたぜ!」


「……君、死にたいの?」


「死にたくねえよ。雑種は強いんだからいちいち目くじら立てんなって言ってんだよ」


「僕がどんな目に遭ってきたか知りもしないで……」


「あんたの過去なんか知らねえし興味もねえよ。でもな――」


 イブはひと呼吸置いて、アンジーとティセラをゆっくり見つめる。


「雑種って言われながら、約束を守って高潔な樹黎人ダークエルフであろうとするヤツと!」


 イブの言葉にアンジーの黒い尻尾がピンと伸びる。


「里のために、雑種を産む覚悟のあるヤツなら知ってる!」


 イブの言葉にティセラの赤い髪が揺れる。


「あんたよりよっぽどつええし可愛いぜ!」


 そんな綺麗ごとなどイアンはこれまで何度も聞いてきた。

 しかし、イブの言葉はそれまでのどの言葉よりイアンの心に響いた。


 自分の人生を全否定されながら、しかし存在全てを肯定されているような不思議な感覚。

 そんな受け入れ難い感情を払うようにイアンが言葉を絞り出す。


「……君だって、一度絶望を味わえば分かるよ」


「絶望なんて自分が勝手に思い詰めてるだけだろ?」


 イブは馬上からイアンに金属バットを突き付け、左手の親指を自らの胸に立てる。


「俺は自分の弱さに失望したことはあっても、人間であることに絶望したことはねぇ!」


 この人間には加護衣ヴェーラがない。

 【儀式】が終わればすぐに死ぬ運命。

 守られるべき下等で脆弱な絶滅危惧種。


 なのに、なぜこんなにもこの男性オスの言葉が心地よく響くのか、イアンを含めこの場にいるもの全てがイブの一挙手一投足に注目する。


「……もういっそ全部ぶち壊そうか」


 己の信念と心を揺さぶられたイアンは、その気持ちを否定するようにつぶやく。

 ここを血の海に変えて何もなかったことにすればいいと、イアンは氷のような視線でイブを見つめる。

 その考えを見透かしたように、イブが馬上からイアンに声をかける。


「あんたはそんなことしない」


「……僕が今まで何をしたか知ってるでしょ?」


「でも、あんたは


 思ってもみなかったイブの言葉にイアンは沈黙する。


「何を言ってる? 僕は――」


「イアンさんは誰も殺してない。おいらたちを助けてくれてた!」


 その言葉を発したのは、イブとティセラが助けたエルフの少年。

 傷だらけの身体に鞭を打ち、保健室を抜け出しここまで来ていたのだ。


「君は……」


「そいつすげーんだよ。傷だらけなのに危険を知らせに来てくれた。それに……」


 イブはひと呼吸置いてイアンに告げる。


「『イアンさんは悪くないから殺さないで』って頼まれたからさ」


 それは少年が保健室でイブとティセラに懇願したことだった。

 『スパーダ』が拠点にしていた集落は、イアンが合流してからは誰も殺されていない。

 乱暴される住民もいたが、その都度イアンがのらりくらりと団員をおちょくって傷の手当までしていたというのだ。


 『スパーダ』本隊が出発したあとのとは、普通なら団員の愉悦のため、口封じを兼ねて住民を皆殺しにして集落に火を放つことを意味する。

 しかしイアンは数軒を燃やしただけで「遅れるとうるさいからもう行くよ」と言い残し、住民には手を出さず去ったのだった。


 山中からその様子を見ていた少年は、ありのままを伝えるためここまで来た。


「イアンさんが『力をつけたければヘレンシア学園に行くといい』って言ってくれたから……おいらもここに来ていい?」


「もちろん。ここは誰でも受け入れるよ!」


 少年の隣でティセラが明るく答える。


「飯食い放題だし寮もあるからな。しっかり勉強しろよ!」


 イブの言葉にその場の全員が「オマエモナー」とツッコむ。

 そのやり取りを黙って聞いていたイアンは、毒気の抜けた顔で観念したように両手を上げる。


「分かったよ、僕の負けだ……の命は保障してよね」


「隊長……!」


「もちろんですわ。国際条約に則り対応することを約束しましょう」


「で、僕は君の言うことをひとつ聞く約束だけど……自害でもしようか?」


 イアンはイブに向かって、自嘲気味に自らの剣を首元に当てる。


「いやいや、女の子は自分を傷つけるようなことしちゃダメだぜ」


「は?」


「え?」


「「「えええ~~っっ!?」」」


 その場の全員がイブの言葉に耳を疑う。

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