二章 - 1

 二章 くひとよ①




「や、やっほ~、親川くん! げ、げんきかなあ~、なーんて!」

「今日の僕は一段と元気だよ。――それじゃ、お弁当食べよっか」

「う、うん……」

 昼休み、なぐは、宇宙こすもの席に二人分の弁当を持って現れた。朝早く起きて作った弁当を、はやく彼女に食べてほしくて、午前中は時間ばかり気になって仕方なかった。一方の宇宙も、昨夜、和から送られてきた、『明日は、僕が出風いでかぜさんのお弁当を作ってきます! お断りは承っておりません!』というメッセージを読んでから浮き足立って、授業中、何度目が合ったことか。

 和が、前後の席を向かい合わせにしようと机に触れると、宇宙が申し訳なさそうに声をかけた。

「ねぇ、親川くん。よかったらなんだけど……」

 手をもじもじさせて、周囲を見渡し、

「今日、天気がいいからさ、中庭のベンチでランチなんて、どぉーかなぁって……」

 その提案に、和が断る理由などあるわけもなく。「うん!」と即答。

 さっそく、ふたりは教室を後にした。




 ここ最近、ずっと天気がいい。ベンチに座った和は、空を見て思った。

 澄んだ青空に、斑に浮かぶ白い浮雲、ベンチの上では、桜色の名残雨が降っている。

「すこし、風が強いね」

 隣に座る宇宙が、なびく黒髪を耳にかけた。

 彼女の繊細な美しさに、和は見惚れるしかない。

「も、もぉ、親川くん、また見惚れてる……。み、見惚れてもいいけど……慣れたわけじゃないんだから、そんなに見られ過ぎちゃうと、さすがに恥ずかしい、かな……」

 宇宙は視線を下にやり、足をもじもじと動かして気を紛らわす。

 そんな彼女の頭に、桜の花びらが舞い落ちて、彼女の頬までも桜色に染まってゆく。

 宇宙は、改めてそぉっと隣を窺う。――と、さっそく彼と目が合った。

「――だっ、だからぁー! 見惚れないでよぉ! もぉー!」

 そう言って、俯いて、両手で顔を隠すと、頭に乗った桜の花びらが、さあっと落ちて、彼女の顔、ついには耳までをも真っ赤っかに染め上げる。

「あぁ、ごめん。出風さんが、いつも以上に綺――」

 言いかけの彼の言葉に、宇宙は真っ赤な顔をばっと上げ。

「いちいち言うな、和のばかぁ! それよりお弁当! お弁当食べよ、ね!」

「うん、そうだね……」

 一度は素直に返事をする和。だが、宇宙の言葉に違和感を覚え――、

「……うん? 出風さん、今なんて……」

「だから、はやくお弁当食べよって、時間なくなっちゃうよ!」

「そっちじゃなくて、誰をばかって言った?」

「あっ、ごめん。……つい。本当にそう思って言ったわけじゃなくて……ごめん」

「あー、そっちじゃなくて。僕が訊いたのは『誰』のほうで……」

 和は、最後まで言及しようとしたが、あまりしつこいのは嫌われると思い、

「ううん、ごめん。僕の聞き間違いだったみたい。はい、お弁当どうぞ」

 黄色のランチクロスに包まれた弁当を、宇宙に渡した。

 宇宙は、ありがとう、と和から弁当を受け取る。が、彼の発言が妙に気になり、反復して呟く。

「聞き間違い……誰のほう……? あ――っ」

 自分の言ったことを思い出し、再び顔を真っ赤にさせた。

「あ、あのぉー、私……、親川くんのこと、なんて呼びました……?」

 自分でも分かっているくせに、宇宙は惚けた風を装って訊ねる。

「和だけど……、和でいいよ。出風さんにそう呼ばれるの、嫌じゃないから」

 和は、ほのかに、はにかんで言った。

「そ、そっか……。じゃ、じゃあ……、な、和も……、こすもで……ぃぃょ……」

 次第に声を小さくしながら、宇宙は顔を下に向け、ランチクロスの結び目をいじる。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「……う、うん」

「――こすも、さん」

「うん……」

「こすもさん」

「うん。こすも、です……」

「こすもさんってば――」

「な、なんだよぉ! 一気に呼びすぎだよぉ!」

 宇宙は顔を上げ、恥ずかしさを紛らわそうと声を大にして、名前を呼び過ぎている和を指摘した。

 だが――――。

「え…………」

 顔を上げた宇宙の視界に、最初に映ったものは、ランチクロスを解き、左手にはふたの外された弁当箱を、右手には箸で卵焼きを持ち上げている、和の姿。

「こすもさん、はやく弁当食べてみて。もぐもぐ……。我ながら、すごくおいしいよ」

 宇宙が名前を呼ばれ照れている隙に、和は、既に弁当を食べ始めていた。

 さっきまでのアオハルな緊張感はどこへ行ったのやら、宇宙はほんの少し幻滅する。

「和ってさ、時々ズレてるよね……」

「もぐもぐ……。そうかな。もぐもぐ」

「うん、かなりズレてると思う」宇宙は、ランチクロスを広げながら言う。

「嫌な思いをさせていたなら、ごめんね」

「あ、ううん。それも和らしくて、あたしは、す……、――いいと思うよ……」

「そっか。――ねぇ、それでさ」和は、宇宙のほうをキラキラとした目で見やる。「僕の作った卵焼き、どうかな!? それなりにおいしいと思うんだけど!」

「あ、あぁ、うん」

 切り替えのはやい、彼の自信と期待に気圧された宇宙は、彼のマイペースさに負けを認めて、卵焼きをひとつ、箸で掴んで口へ運んだ――――。




「――まつ子ちゃん、まつ子ちゃん。あれは、一体なんだろうか……」

「えっと……、あれは……。『桜停留所』とか……、どう、かな……」

 本館校舎、三階。

 三年五組の教室にて、女子生徒ふたりが中庭を見下ろしている。

「いや、私が訊いたのは、あの風景の題名じゃなくて、あの状況そのものだよ」

「あ、あぁ、えっと……。すっ、すっごく、映えてるよね……!」

「――っ! ああ――っ! 全く以って、そのとおりさっ!」

 白髪の女子生徒が、やけにムキになって卵焼きを口へ詰め込んだ。

「ちくしょうっ、なんでうまいんだよぉ……ッ!」

「あわわわ! そ、そうだ、ひ、ひとみん! あたしね――!」




「――ポーキュさん……摩怜まあれさんがね、昨日連絡くれたの。いろいろごめんなさいって」

 宇宙の言葉を聴いて、和は食べる手を止めた。

「それは、すっごくすごいね」

「すごいって言い方は変だよ。でも、よかった」

 宇宙が弁当に目をやり、ふっと口角を上げる。

「ありがとう。和のおかげで悩みが解決しちゃった……」

「…………」

 感謝の言葉に反して、宇宙の儚げな表情には心残りがあるように見えた。

「こすもさん、どうかした?」

「――え?」宇宙は顔を上げる。「あぁ、うん。ちょっと、思い残したことがあって……」

 言い淀み、哀しそうに目を落とす。

「ほら、悩みが解決しちゃったから……あの喫茶店に行くこともないでしょ? もう一度くらいコーヒーパフェ食べたかったなって……」

「…………」

 和は手を止め、彼女を見つめる。

 またもや返答のない彼に呆れたように、宇宙はちらっと隣を見る。

「だからー、見過ぎだってば……! ボケてみたんだから、ツッコんでくれないとさー! じっと見られるのは恥ずかしいんだよ……。私の気持ちも考えてよね!」

「ごめん。でも、喫茶店なら部活関係なしに行けばいいし、なんなら今日の帰りにでも一緒に行こうよ。それよりさ、今のこすもさんが、すごくき――」

「――あぁあああああ! 和はさぁー! どーしてあっさりデートのお誘いしちゃうのかなぁ! こういうのは、もぉーちょっと緊張感とか大事だと思うけどぉ!? も、もぉー!」

 宇宙は心隠しのため、口にばくばくと弁当を詰め込んでいく。味わって食べてほしかった――和はそんな落胆を隠して、宇宙の食べるスピードに合わせて弁当をかき込んだ。

 弁当を食べ終えると、「弁当箱は洗って返すね」と言う宇宙と、「そんなの気にしなくていいよ」と言う和における、お互い譲らぬ意見のやり取りがあり、最終的にじゃんけんをして和が負けたことで、宇宙が洗って返すこととなった。

 ランチクロスを弁当箱に包む最中、宇宙は大事なことを思い出す。

「そうだった! 和に立て替えてもらった分、返さなくちゃだね!」

 宇宙はランチクロスに包んだ弁当箱をベンチの隅に置き、スカートのポケットから、がま口ポーチを取り出して開けようと――そのとき、和の手が覆い被さった。

「な、和……!?」いきなり触れられ、動揺する宇宙。

「返さなくていいよ。いくらか忘れちゃった」

「だ、ダメだよ! お金のやり取りはちゃんとしないと!」

「でも、それで多額請求しちゃったら、もっとダメでしょ?」

「ううん、大丈夫! 私、覚えてるから! ……でも、和って常連さんなんだよね?」

「…………」

 もう少し良い断り方があったのでは? と、和は後悔と羞恥に駆られながら、そっと手を離した。

「そうだよね。丁度、度忘れしてたみたい……」改めて羞恥が襲った。

 それと、なんとなく上の方から、にやりと厭らしく笑われたような気がした。

「650円、きっちり受け取りました……」

 和は、立て替えた分を返してもらう。

「うむ、よろしい! ――ふふん、なーんて。昨日はありがとうございました」

 畏まった宇宙のお礼に、和は戸惑った。

「急に畏まらないで、こすもさん」

「でも、お礼はしっかりしないと。いろいろ助けてもらったし」

 本当にありがとね、と宇宙が無垢な笑みを見せる。が、すぐに下を見て、もじもじと手を遊び始めた。つま先を上げたり踵を上げたり。落ち着きがなくなった。

「ね、ねぇ、和……」

 和の顔を見ないまま、彼に声をかける。

「こ、これからも……。和に、話しかけたり、一緒に昼休み過ごしたり……。と、友達で、いてもいいかな……?」

 不思議な質問をされ、和は首を傾げた。

「うん、もちろん……? 僕は、そのつもりだったけど……」

「……ありがとう」

 頬を赤に染め、涙目の宇宙。

「私さ……、高校入るまでにいろいろあって、友達って呼べる人がいなかったから……」

 右手の腕時計に触れながら言う。

 その腕時計に目がいった和は、あることに気づく。

「その腕時計……」

「あ、これ、パパの――うっうん。お、おとーさんのものなんだ。似合ってないでしょ?」

 和に腕時計を見せながら、気恥ずかしそうに笑った。

「うーん……。似合ってないというより、サイズが合ってないというか……」

「あー、だよね……。でも、パ、おとーさんと私を唯一つなぐものだから、身に着けてないと落ち着かないんだ……」

 宇宙は哀愁を漂わせ、腕時計を優しく撫でた。

「へぇー、やっぱり家族っていいね……」

 和は校舎の三階を見上げ、笑みを見せた。それに気づいた――というか、ずっとこちらへ視線を向けていた一人美ひとみが、ちろっと舌を出して、ぷいっといじけたように顔を逸らす。摩怜が、ガチガチと緊張したように一礼した。

 和が、「そういえば」と宇宙に切り出す。

「あの後、弟さんは大丈夫だった?」

「あー、それがさー」宇宙は、呆れたように笑う。「帰ってみたら、ほんの切り傷だよ。葉っぱで切っちゃったんだって。血にびっくりした妹が慌てて電話しちゃったみたい」

「そうだったんだ。でも、無事でなによりだね」

「うーん、それはそうなんだけどさあ……」

 宇宙が不服そうな顔を見せた。

「でも、私が居なくても、うちにはもう一人お姉ちゃんが居るのになぁー、って思いもあるんだけどね……」

「お姉さんもいるの?」

「ううん。私の二つ下の妹。めちゃくちゃ頭が良いんだけど勉強ばっかりで、自分の部屋にずっと籠ってるんだ。だから、一番下の妹と弟は私ばかりに懐いちゃって……。まぁでも、下の子に頼られ過ぎるのが長女なんだろうなぁって思ってみたりさ……」

 宇宙が、空を見上げ、薄らと口角を上げた。そんな彼女の顔が疲弊しているように見えたのは、和の見間違いだろうか。「ねぇ、こすもさん」と声をかけてみる、が――。

「――あ、摩怜さんと部長さんだ」

 教室の窓から、こちらを見ていた一人美と摩怜に、今更気づいた宇宙が軽く会釈する。

 優等生モードの一人美がにこやかに手を振り、緊張を滲ませた摩怜は、立ち上がって勢いよくお辞儀。そんな摩怜に苦笑を浮かべる一人美が、なにか言っている光景が映る。

「ああいうの、いいなぁ……」

 宇宙がぽっと呟き、隣の和へ顔を向けた。

「ねぇ、和。昨日から気になってたんだけどさ、和と部長さんって……。

 ――もぉー、まーた私のこと見つめてる」

「あぁ、ごめん。また、聞いてなかったかも……」

「ううん、今回はまだ途中までしか言ってないから。それよりも和から見つめられすぎちゃって、見つめられるのに慣れてきた自分がいるんだけどぉー?」

「それは今のうちに慣れるべきだよ。こすもさん、綺麗だもん」

「……も、もぉー、やっぱり和はズレてる……」

 宇宙はベンチの上で膝を抱え、顔を伏せる。

「こんなに見つめられるのなんて、和が初めてなんだから……」

「おかしいな……」

 和が顎に手を当て、少しの沈黙の後――。

「――《俺》の思い違いではないと思うが」

 和の声のトーンが、なんとなく低くなったように思えたが、宇宙は気にせず会話を続ける。

「いや、和の思い違いだよ……。今まで私、綺麗なんて言われたことないもん……」

「いやいや、この《俺》が思い違いをするなんざ、ありえない」

「なにー? 急になんて言ってさぁー、ふざけな――


 ――ふぎゅっ、いっ……!」


 そのとき、宇宙の頬が力強く潰され、途端に、彼女の顔の前に陰が差した。

 和の顔が、すぐ目の前にあった。だが、普段の彼とはまるで雰囲気が異なり――。

「《俺》の眼に間違いなどない。キミは非常に美しい」

 和(?)が、ぺろりと舌を出して、唇をひと舐め。

「あぁ、キミは無上に奇麗なヤミだね」

 と、ニヒルな笑みを浮かべて言った。

「――――っ!」

 蛇に睨まれたように、蔦に絡まったように、宇宙は身動きが取れなくなってしまう。

 和の真っ黒だったはずの双眸が、黒い輪っかの蛇目じゃのめ模様に、その輪の中を薄らと輝きを帯びた黄色の虹彩に変化して、その不気味な眼が、宇宙の瞳を、やがて心を覗き込む――否、心を蝕まれる気味の悪さが彼女を襲う。それに、どこか艶かしさがあるというか……。

 なんにしろ、今の彼は、すぐにでも拒絶したいくらいに気持ち悪い……のに、和(?)と見つめ合うほど、宇宙の心は掌握されてゆく――いや、彼に喰われてゆくような不気味さと、彼とひとつになれるような心地よさが、混じり合い、奇妙な感覚に陥った。

 周りからは、男がキスを差し向ける、小々大胆な青春の一ページにも見えるだろうか。

 宇宙は、逃げ出したいと思う一方で、このまま彼に呑み込まれたらどうなるのだろう、と次の展開に期待している自分がいることに気づき、途端に悲愴感を覚え、涙が出てきた。

 ――そのときだった。

 ガラララ! と、ある教室の窓が勢いよく開けられ――

「――おい! 《お前》、なにやってんだ!」

 一人美が、外へ飛び出そうと窓枠に足を乗っける。

 それを摩怜が慌てて必死に抑える。

 一人美の怒号が響き渡ると同時に、――ぱっ、と和(?)の瞳が元の真っ黒な双眸に戻った。

「……あれ、僕……」

 なぜ宇宙の頬を掴んでいるのか、和は状況が掴めないでいる。

 和の目の前で、宇宙が深々(津々)と涙を流す。

「宇宙さん、大丈夫……?」

 直前の記憶がない和は、愚かにもそんなことを訊ねた。

「なぐ、のっ……!」

 頬を掴まれた宇宙は、精一杯口を動かす。

「ばか、やろぉ……っ!」

 どん! と和の肩を思い切り押して、彼を突き放す。和がベンチでよろめく隙に、宇宙は、わずかに残った情けで弁当箱を手にすると、校舎のほうへ駆け出した。

 彼女の行動に、校舎へ駆けてゆく彼女の後ろ姿に、和は現状を把握する。


「…………はぁ」


 春風が吹き、残花が散った。

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