父を亡くしました。殺し屋になりました。
@bocchimakkukyougizei
第1話
私は父を亡くしたとき、率直に悲しかった。いや、寂しかったというのが本当のところだろうか。小さい頃の私は死ということが理解できていなかったから。誰からも教えられなかったし周りに死んだ人もいなかった。母曰く「お父さんはとても遠く」へ行ってしまったそうで、その時は出張の延長線上ぐらいのものだとしか考えていなかった。だから、寂しかったが悲しくなかった。お父さんは無くなったのではないし、また会えると思っていたから。いつ帰ってくるの、といつも母に聞いた。刹那母は辛そうな表情をするも、いつものらりくらりと交わされた。ただ一度だけ真面目な顔をして答えてもらった時があったが話した言葉の真意はおおよそ小学に入る前の子に理解できるものではなかった。
「お父さんはあなたが大きくなったら帰ってくる。大きくなってわかる時になったら、あなたの心の中に」
父の死から半年くらいの時までは、母はずっと泣きじゃくっていた記憶がある。私から隠れるように夜中に泣いていたが、抑えたような泣き声でも私は起きてしまった。そしてその嗚咽に詰まった悲しみと後悔、そして父自身への恨みを本能的に感じ取ったから、母に話しかけることはかなわなかった。「お母さん、なぜ泣いているの」と話せなかった。憎悪と悲しみが例えようもないほど恐ろしかったから。触れたら私まで飲まれてしまいそうで。触れたら母がいなくなってしまいそうで。あのうめくような声を私は今でも鮮烈に覚えている。
だが今なら母の気持ちもわかる。飲酒運転で人を引いた挙句自分も道端の電柱にぶつかって頭を打ち、死亡。わたしたち残された家族には、賠償金、人を殺した男の家族という重み、家族が欠けるという虚無感しか遺さなかった。たいそうな遺産を残した父に対して母があの感情を感じるのは間違っていないだろう。悲しみと、憎悪と、後悔。だが、時は全てを洗い流す。父の死から1年が経とうとした頃、私は家の近くの幼稚園から卒園し、母は父への執着から卒業した。あの時から顔も明るくなったし、以前のように夜中に泣くことも無くなった。何度も祖母や祖父と話すうちに、死んだ人より今を生きる子供を見ていた方がよっぽど有意義だと悟ったらしい。母は悲しみと怒りの中、己の感情と必死に向き合いそして過去の清算をしていったのだ。
小学校に入学から二ヶ月ほど経ち私にも友人ができ始めた頃のことだった。連休明けのかえって不気味さを醸し出すほどの快晴の中、学校に行くといつもはしゃいでいる隣の席の子がいなかった。
「せんせー、キヨト君がいないよー」
「あー、今日キヨトさんはおうちの事情でお休みです」
「おうちの事情ってなーに?」
途端に先生は困った様な顔になった。小1に理解できるまで説明するのが大変そうだったのだろうが、私が実際に父を亡くしたことを思い出したのか話すことにしたようだ。父という身近な人の死を乗り越えた私なら、祖母を亡くした学友を支えていけると予想したのだと思う。勘違いにも程があるのだが。
「キヨトさんはおばあさんが亡くなってしまったので今日はお葬式でお休みです。おばあちゃんのことでキヨトさんも大変だと思うので、みんなで助けてあげましょう」
私はよくわからなかった。おばあさんが亡くなる?なくなる。無くなる。あーそうか。キヨト君のおばあちゃんはいなくなっちゃったんだ。キヨト君はもうおばあちゃんに会えないんだ。かわいそうだなー。助けてあげなくちゃ。
完全に他人事だった。
だけど何故だろう。「お葬式」は僕も知ってる。おばあちゃんが「なくなった」キヨト君の「お葬式」なら自分も知っている。
父がいなくなってしまった日から家全体が忙しなくなっており、自分の遊びに付き合ってもらえなくなった。遊んで、遊んで、と駄々を捏ねていたら、一人で遊んでいなさい、と言って子供部屋へ追いやられた。その状態のまま数日が経った時、いきなり母が子供部屋に入ってきて、あれよあれよという間に私は真っ黒い洋服を着せられていた。そして車に乗り父方の祖母と祖父の家に向かった。車の窓から眺める見慣れた風景からおじいちゃん家に遊びにける、と考えて、あの時は心の中ではしゃいだものだが母の思い詰めた顔と赤く腫れた目を見たら何故だかそれを口にすることは憚られた。
祖父と祖母を車に乗せると私はおじいちゃん家にあげてもらえずに、車はそのまま進んだ。祖父と祖母を目的地まで運ぶことが目的だったらしい。その後街の中心を通る広い道を長い時間進んだ。
何分たっただろうか。大きな建物で止まるとその中に母達はズンズン入っていく。私もついていったが、見慣れない広い空間に私はおどろおどろしいものを感じてしまった。思わず前を歩く母の服の裾を引く。一瞬母は驚いた様に振り返った。しかし、何もいうことなく母は私の手を握り返してくれた。だから私も母の手を強く、強く握り返した。あの時はただ怖かっただけで特別な意味などなかったのだが、母はそれだけで、少し顔が柔らかくなった。母は夫を亡くしたことやその死因から精神的に追い詰められていたのではないだろうか。母もまた、誰かの裾を引きたくて、誰かに手を握ってもらいたくて、だからあんな思い詰めた顔をしていたのではないだろうか。
その後広い空間から奥まったところに歩いていくと私は椅子に座らされた。花がたくさん置いてある長方形の箱の前に父の写真があった。その父の写真の前に砂が置いてあってみんな砂に棒を突き刺していた。私も母と一緒にそれを見習う。そのあとはずっと写真の横の椅子に座ってゾロゾロ人が入ってくるのを見ていた。ゴシュウショウサマですと言ってくれた人に母は真顔で会釈をしたりしていたけど、たまに横から見える母の顔は悔しさと悲しさに満ちていた。下唇を噛み締め、涙で目は赤く腫れていた。
その後のことはあまり覚えていないが、いろんなところに連れ回された気がする。酒癖は悪かった様だが素面の時は多くの人に好かれる様な性格の人だったそうで多くの人が参列していた。そして全てが終わった後、母はまた車に乗り込み祖父達を家に送った後閑静な住宅街の方へ向かった。そして車で待っていてというと1件の家の前で降りる。最近ベビーシートから解放された私はその自由を存分に享受しようと座面の上に立ち窓から外の様子を伺う。その住宅のドアホンを母が押すと一人の女性がドアを開けて出てきた。そして母はその人に何度もお辞儀をしていた。「ありがとう」のお辞儀ではなく「ごめんなさい」のお辞儀だ。顔が笑顔じゃなくて真顔だからそう予想した。女性はそれを見ながら、何か話した後その謝罪を跳ね除けるかのように踵を返して家に入っていく。母はお辞儀した姿勢のまま数分玄関の前に佇んでいた。最後には涙をボロボロとこぼしながら歩いて戻ってきた。私は、何も言わなかった。母の涙が見えていないかのように元の様に座り直し、シートベルトを閉める。
後で分かったことだが母が話していた彼女はやはり、父が事故に巻き込んだ被害者の遺族だった。彼女は夫とその子供を亡くした。母が父を亡くした様に。
こういうのを「お葬式」っていうらしい。私はこんなのことがあったな、と思いつつもよくわからなかった。とにかく「お葬式」は悲しくて怖い。だけどなんでキヨトくんはお葬式をしているのだろう。おばあちゃんが「なくなった」から?だったらなんで僕はお葬式をしたことがあるんだろう。
私はその頃「わからないことはせんせーに聞く」ということを知っていたから全てを担任に話した。昔の「お葬式」の記憶も、その疑問も。話を聞く間にみるみる担任の顔は歪んでいった。年端のゆかない子供達に私は何をさせようとしたのだろうと。助け合いも何も私は死を知らなかった。知るには早すぎたから。だけど私は疑問を持ってしまった。死が何かわからないから。担任もさぞ複雑な心中だっただろう。この世で最も多くの人に恐れられ、最も多くの人が忌む存在である死を家族でもなんでもない一個人の自分が彼に教えてしまったのだ。死を知らずに、父は「遠くに行ってしまった」と思っている子供は大人の目から見ればさぞ哀れだろうに。
だが教師は腹を括ったようで小1には少し早いように思える、しかしとても大事な話を始めた。
「一誠さん。お父さんは遠いところに行ったのではないのよ。キヨトさんのおばあちゃんのようにいなくなってしまって、もう会えないの。帰ってこられないのよ。どんなにあなたにとって大切な人でも、その人はもう戻ってこられないわ」
人間である限り、その神の業から逃れ抜くことは叶わない。たとえどれほど強くても。どれほど聡明でも。どれほど皆に愛されていても。
「えっ、だ..だけどママは言ってたよ。パパは帰ってきてくれるって言ってたよ。僕が立派な大人になったら、僕の心に…あれ、僕の心の中に帰ってくるってどういうことだろう」
担任はまたもや心を締め付けられた。ここまで純真でまっすぐな幼い子供が、何故今から死をわからなくてはならないいのだろう。だが彼が彼の父の元に生まれおち、そしてその父がこの世界から欠如した今となってはもう理解せねばならない。どんな人間にも最後に等しく下されるそれを。
「いいえ。もう会えないわ。お父さんは死んでしまったの。もう会えなくなってしまった人のことを死んだ人というのよ」
だけど…それはあまりにも酷だから
「だけどね、一誠さん。あなたが立派な大人になった時。お父さんに会えなくてもあなたの心の中にはお父さんは戻ってくる。あなたがお父さんを愛しているならお父さんを思い出せるならきっとまだあなたのここにお父さんはいるわ」
そう言って担任は私の胸にそっと触れる。
「分かった。もう会えないんだ。お父さんはなくなっちゃったんだ。僕、大人になるまで待てないよ。僕はお父さんを探しにいく」
だが、その言葉は父に会いたがる子供を抑えることはなかった。
父を亡くしました。殺し屋になりました。 @bocchimakkukyougizei
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