赤と紅と茜色

 

「──────、変な夢……」

 

 ジャーキングじみた落ちる感覚と共に目覚める。そして目を開け身体を起こしゆっくりと私、二条京香の存在とそれを取り巻く環境を認識していく。

 

 ……しかし、今日は随分と夢の内容を鮮明に覚えている。とても変な夢だった。

 

 夢は深層心理がうんたらかんたらとは言うがあんな夢を見るのはどんな心理なのだろうか。そう自嘲しつつ、枕元に置いてある目覚まし時計を見て長針が真上を、短針がその左側直角九十度を指しているのを確認して……えっ?

 

 その瞬間思考をトップギアまで加速させる。

 

 えっ、今日は何曜日だっけ。日曜……、じゃなくて七月十五日の土曜日だ。昨日学校に行った記憶がある。……終わった。私の皆勤賞……。

 

 しかし待て、九時ってことはまだ一時間目の時間。あと四十分以内に高校に行ければ二時間目には間に合う。

 

 そして高校までは徒歩で二十分、一時間目は行かなくていいか。準備は急ぎ目にゆっくり。鏡を見ると、幸いなことに寝癖はついていなかったようだ。かなり寝相が良かったのだろう。もちろん朝食はしっかりと食べた上で、余裕を持って家を出る。

 

 そうして何事もなく学校に到着。少し焦り気味だったが、まぁいつも通りの登校スピード。靴箱を開け、上履きとその上にひっそりと置いてあった手紙を取り出す。

 

「……って手紙?」

 

 中を見ると『昼休みの十二時半、屋上に来てください』の文字がある。

 ────もしや告白!?けどなにか既視感を感じる。一回もこういう手紙は貰ったことがないはずなんだけど。そういえば夢で似たシチュエーションがあったような……。

 

「遅れましたー」

 

 

「そういえば京香、朝遅刻してきた時随分と疲れている様子だったわね、走ってきたの?」

 

 四時間目ももう少しで終わるタイミング、降って湧いた自習時間に後ろから双葉が話しかけてくる。

 

 幸いにして先生は席を外して職員室にコーヒーを飲みに行っているので多少喋っても問題ない。

 

「別に走ってきたわけじゃないよ。焦っても仕方なかったし」

 

「それでもなんだか疲れているように見えたのだけど、徹夜でもしたの?」

 

「いやーちょっとなんか今日不調っていうか……やっぱり変な夢を見たからかな……?」

 

「どんな夢だったの?」

 

「不思議な夢で一部しか覚えてないんだけど」

 

 かなり骨董無形な夢だ。呆れられそうな気もする。

 

「告白みたいな手紙を貰って屋上に呼び出されたと思ったら呼び出したのが双葉で、双葉が私に『あなたの出生は特殊だ』みたいなことを言ってくるの。で、最後は視界が真っ白に染まって夢から醒める。本当に夢って感じだよね」

 

「────────!」

 

 双葉が固まっている。どうしたのだろうか。完全に呆れている?

 

「どういうこと? なんで……。いや、細かいことはいい」

 

 双葉の顔がどんどん青ざめていく。

 

「双葉? 大丈夫?」

 

「大丈夫じゃない! ちょっと来て!」

 

 そう言うなり双葉が私の手を引っ張って教室を飛び出す。時計はちょうど正午を少し回った位を指したくらい。

 

 どこへ行くのかと思っていたのだが、下駄箱まで来て靴を履き替え、尚且つ私を急かすような様子を見せていることから、おそらく外へ行くのだろう。

 

「ちょっと、どこに行くの?」

 

「私の家、理由は歩きながら話すから早く来なさい」

 

 

 双葉に追いついたのは学校から少し離れた場所だった。

 

「ちょ、ちょっと待って。速い、から。あと、双葉は、何を、したいの」

 

 息も絶え絶え、少し休憩をしたいのもあって双葉に質問をする。

 

「そうね、簡単に言うと京香を守りたいの」

 

「守る……、どういうこと?」

 

「京香って実は魔法を使えるのよ。『複製』っていうヘボいのだけど」

 

 いきなり何を言い出すのかと思ったら『魔法』? あー、成程。

 

「双葉、よく聞いてね。別に世界は核の炎に包まれたわけでもないし、ノストラダムスも去年の7月に世界を滅ぼさなかったんだよ」

 

「何言ってるのよバカ、地球を滅ぼすとか言われていたのはノストラダムスじゃなくて恐怖の大王とか言うやつでしょう? それに、私はそういうお年頃でもないのよ」

 

 そう言って双葉がこちらに手を向ける。

 

『炎鳥』

 

 双葉が突然まるで詠唱でもするかのように口を開く。──手遅れか。そう思ったのも束の間、双葉の手の前に炎で作られた鳥が浮かんでいた。

 

「マジック?」

 

「魔法よ、これで説明は十分でしょ」

 

 双葉はそう言ってまた歩き出した。

 

 ……わけがわからない。でもそういうものと割り切るしかないのか。いや、割り切れてたまるか。でも一旦は飲み込むしかないのだろう。

 

「いや、あのさ。魔法が凄いってことはわかったよ。でもなんで授業を抜け出して走る必要があったのさ?」

 

「一言で言うとあなたが悪い魔法使いに人質にされるかもしれなくて危ないからよ。で、家が襲撃を受けた。貴方は私といた方が安全だと考えられる。オーケー?」

 

「オーケーじゃない!」

 

「……まぁ、とにかく私が守ってあげるから不用意な行動は控えてね。最低限安全で防衛の用意もある所……、私の家まで案内するから」

 

「う、うん。わかった」

 

 何も分からないことがわかった。まぁ大丈夫だろう、多分。言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが全てを答えてもらうこともできなそうだ。

 

 

 早歩きで焦り目的地へ。二人で高台にあにある蒼星のお屋敷の扉の前に立つ。普段と変わらない筈なのにどこか不気味な、鳥肌が立つような感覚がある。

 

「少し離れてて。……しくじったかも。これは……、早すぎる」

 

 そう双葉が言うなり彼女は扉を蹴破った。……鍵はかかっていなかった。いや、断ち切られていた。

 

 ゆっくりと双葉が屋敷の中に入っていく。静かだった、……ただただ静かだった。

 

 とても嫌な予感。でも外で待っていることなんて出来なくて、何より双葉を一人にしてちゃいけないと思って、玄関に直結した大広間に足を踏み入れると、ぴちゃり、と音が鳴る。靴の裏に粘つく感触。

 

 『見てはいけない』脳がそう言いながら警鐘を必死に鳴らすのを無視し床を見ると、レンズの割れた黒いメガネや布、それにナニカが散らばり、赤かったカーペットが紅く染まっていた。

 

 ……これって双葉のお父さんの……。ふと気づいてしまう。

 

 屋敷の中には見たことの無い、霜のついた黒いローブを着た一人の男、それ以外には誰もいなかった。生きている人間、という観点では。

 広がる惨状に胃から込み上げるものがあったが、ぐっと堪えた。目を背けたいが、きっとそうしてはいけない。

 そして……、入ってきた私たちのことにも男は気が付いていたようだった。

 

「おやおや、随分と可愛いお嬢さんが二人、と。いいねぇ……。唆られるよ。仇を前に佇む少女二人と見目麗しく華々しい敵役が一人。まさに僕に相応しいシーンだよこれは」

 

 男の軽薄な、まるで楽しんでいるかのような声と意味のわからない言葉。それに対して今まで聞いたことのないくらいの怒気を孕んだ声で双葉が言葉を紡ぐ。

 

「────そこで何をしているの」

 

「何って……我らが高尚な目的ってやつのために行動しているだけだよ。まぁ確かに多少社会的な道徳には反しているかもだけど……。映えはするでしょ?こういう演出はやっぱ大事にしていきたいよね。そう思わないかい?」

 

「そう……、『火球』!」

 

 双葉が掌から火の玉を発射する。男は難なくそれを回避した。 ピチャリと足音が響く。

 

「おっと、危ない危ない……。こういうのって普通自己紹介から入るところだよね?演出ってのを理解してないのかな。まぁいいか。まだ時間もあるし。よーし、それじゃ自己紹介といこう。僕の名前は霧ヶ峰海斗。この世界において今後力を持ち覇権を握ることに相応しい人間、つまり魔法使いであり、『神代の会』の一員。いわゆるところのメインキャラクター。個人的には主人公になりたいところなんだけどまだ活躍は足りてないかな。外伝主人公くらいにはなりたいんだけど如何せんまだ実績が不相応なんだよね。あー、あと使う魔法についてはまだ秘密だ。まだ僕の知名度が低いからね。これは過去編かプロローグみたいなものだと思ってくれ。やっぱりそういうキャラクターの力が判明するシーンってのは大々的にやらなくっちゃ」

 

 余裕のありそうな語り口調、本当に何を言っているのかは理解できないが、声の震えのひとつも無く、とてもこの惨状を作り出した後の態度とは思えない。

 

一応長々とした話を聞いて、それが無価値であると判断し、双葉が手に火を灯して男に向ける、霧ヶ峰と名乗る男もまた手にナイフを構え、二人は対峙する。

 

 ──── 最初の激突。それに際して手から炎を放つ双葉に対し、霧ヶ峰はただナイフを何も無い所で振っただけだった。

 

 指向性を持って放たれた炎の玉は寸分違わず霧ヶ峰の胴体へと突き刺さる軌道を描く。霧ヶ峰はそれを避けようともしない。ならばもう勝敗は決したのだろうか。そう希望を抱いた瞬間、火球は掻き消えて、双葉の髪が一部裁断され床に落ちた。

 

 ……霧ヶ峰は一歩も動いてはいない。回避行動を取ったのは双葉の方だ。彼女が今立っているのは最初に居た位置から数歩横にズレた場所。元いた場所の先、つまりナイフを振った方向にあった壁には大きな、刀で一文字に斬ったような傷がつき、抉れていた。

 

「飛ぶ斬撃……ってことね」

 

「正解!さっすが良い家の魔法使い。正解するのが早くて満足だ。驚き顔なのもグッドポイント。やっぱ可愛い女の子のびっくり顔ってのは映えるね。あと火球を切るところも絵面としては見開きでいけそうだしもう大満足。最高!じゃあもう作劇上大事なところは片付けたし行間でさっくりと処理しちゃおう」

 

……魔法による戦闘、絶望的な時間が始まる。

 

 それから体感でほんの数十秒。いや、実際はもっと短かっただろう。それくらいの時間だけ、二人の打ち合いは続いた。

 

「はぁ……、はぁ……飛ぶ上に見えない斬撃っていうのは厄介ね……」

 

「ありゃ?もう終わり?確かに行間とは言いましたけどある程度粘ってくれることも期待してたんだけどな。ほら、山場って大事じゃん。そういうところになってくれるかもってちょっと期待してたんだけどな。あーあ、このままじゃさっきの氷使いの人、君のお父さんだよね?彼が今回の話のメインキャラクターになってしまう。確かに彼は強かったけどさ、なんていうか、とっても花がなくてこの僕が主人公の話って言う場面ならパンチが足りてないんだよね」

 

 身体の至る所に傷を作り息を切らす双葉と意味を理解したくない言葉を口から吐きながら余裕そうな風貌を見せる霧ヶ峰、その様子を見れば戦いの趨勢がどうだったのかは馬鹿でもわかる。

 

「……。仕方ない。ごめん、逃げて京香。できるだけ遠くに」

 

 息も切れ切れの状態で双葉が男と対峙する。とても勝算のある表情ではない、まるで死を覚悟したような……。いや、まさか。

 

「早く!」

 

 身を焦がすような熱が双葉の周囲から発生する。十数メートル離れたところにいてこれなのだ。それの中心はどれくらいの熱量なのか。そこは人がいていい場所なのか。ただ、駆け寄ることはできなかった。

 

 言葉に急かされ扉に向かって走った。泥濘に足を取られながらも扉を開けた。……後ろを、双葉の方を振り返ることはできなかった。だって、見たくなかったから。見てしまったら心がきっと折れてしまうから。

 

 どこへ逃げるかなんてことは考えられなかった、ただひたすらに外に出ることを望んでいた。

 

 そうして、扉を開けた先には……。

 

 ────茜色に染まる空が広がっていた。

 

 おかしい、まだ十二時を少し過ぎた時間のはず……。なんで……。

 

 一瞬の困惑、その時、後ろで双葉の呟く声が聞こえた。

 

「ごめん……、京香……」

 

 ナイフが空を斬る音が鳴り、ザン、という硬いものを切ったような音の後、首の後ろに飛沫が飛んできた。少し暖かく、紅い飛沫が。あの双葉の熱はもう、この身を灼いてはいなかった。

 

 何が起きたかは理解した。最初から何が起きるのかもわかっていた。……ダメだ、こんなの。

 

 足が震える。まるで自重を支える機能を忘れてしまったように座り込んでしまう。嘔吐こうとする身体に対して脳が必死に警鐘を鳴らす。何も考えることができない。いや、考え続けているのに袋小路に迷い込み続けている。思考実験のみを続けて観測結果を記録することを拒んでいる。

 

……後ろからぴちゃぴちゃと足音が響いてくる。

 

「……なんて言うか、呆気ない幕切れだったね。これじゃあ僕が悪者みたいじゃないか。美少女が一人この世から消えたのは損失だけどまぁこれが敵キャラの運命ってやつだね。というか、むしろこういう展開ってここから紆余曲折あって新しいヒロインが出てくる可能性ってのもあるよね。あー、もしかして君だったりするかな? 君も結構可愛いし。 ま、どうでもいいか。どうせ前日譚か行間に挟まれる過去回想なんだこれは、特段気にすることでもない。それに、時間も来た。君にはこれから果たしてもらう役割があるんだ。じゃあ行こうか」

 

 霧ヶ峰に強く左腕を掴み引き寄せられ、

 

──────視界が白く染まった──────

 

  わけがわからない。何があったのか、何故こんなことになったのか、何故なぜ何故。何故何故なぜ?。

 

 刹那に永遠に疑問符がリフレインし続ける。そうして、

 

 ────やり直せるなら。薄れる意識でそう強く願った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る