暗くなる世界


「──双葉……!」


 ────眠りから醒めた瞬間、特に夢から醒めた瞬間というのは不思議な状態であり、夢の中の私と現実の私がごちゃごちゃになっている。その状態から目を開け身体を起こしゆっくりと自分、二条京香を正確に認識していく。


そうして、枕元に置いてある目覚まし時計を見て長針が真上を、短針がその左側直角九十度を指しているのを確認して……。


「夢……?」

 

時計が指している時刻は午前か午後の九時。ただし、時計が本来同じ角度を示す時と今とでは世界に一つ致命的なズレがある。


「少し暗い……?」


 部屋のカーテンを開けると何が起こっているのかがわかった。


「夕焼け……」


 斜陽が町を照らすのが見えた。それと同時に先程までのことがフラッシュバックする。


「……ッ!。そうだ……! 双葉、それとお屋敷」


 吐き気を催すが寸前で耐える、早く双葉と話さなけば。夢と現実を同一視するなんてことは正気の沙汰ではないが、状況が状況。行動は早く起こさないといけない。


 あれはきっと、予知夢か何か、もしくは自分自身の意識が時を遡っているようなものに違いない。だってあの熱は、間違いなく本物だった。


 ガラケーを手に取り、双葉に電話をかける。授業中だろうがこの緊急事態だ、仕方ない。


 数コール、時間にして五秒もかからずに双葉は着信に応答した。


「もしもし、そっちは大じょ……」


『大丈夫じゃないわよ! なんなのこれっ! 急に外が暗くなって』


「双葉、落ち着いて聞いて、予知夢みたいなのを見たの。それによると十二時かそれより前くらいにナイフを持った飛ぶ斬撃の魔法を使う不審者が押し入って双葉と双葉のお父さんを殺しにかかってきて……」


『はい……?何言ってるの。というか、ちょっと待って、どこまで知ってるの?』


「私が人質にされるかもしれなくて危ないとこまで。あと双葉は火の魔法を使う」


『……すぐ行くわ。着替えて家で待っていて!』


 生徒のパニックになる声と先生の『蒼星さん! どこへ行くんですか!授業中に携帯は……、ちょっと、皆さん!』という声をバックに通話が切れる。


 ……とりあえず着替えよう。


 夢由来の幻覚痛かは分からないが左腕が痛む。見ると若干腫れていた。ぶつけたのだろうか。


 ご飯は喉を通らなかった。むしろ戻しそうなくらいだ。


 ──── 十分後、息を切らした双葉が家に来た。学校から全力で走ってきたのだろう。


「……おつかれ」


「ありがと、それよりもさっきの話。あれはどういうこと? 詳しく聞かせてちょうだい」


 双葉を部屋に招き入れ、事細かに先程見た事、感じたことを話す。


 正直自分でも理解出来ていない部分が多いが、自分しか知らないことなのだ。あったことを全部話すしかない。


「なるほど、ナイフを持った斬撃系の魔法使いの男が蒼星のお屋敷に攻め入ってきて、それで私やお父様もやられた上で、京香もその男の歯牙にかかりそうになったところで目が覚めた、と」


「そうなると思う。ただの夢だったらいあんだけど」


「魔法関連についてのことは一切間違ってないからただの夢とは言えなそうね」


 まぁいい、と。そのまま部屋から出ていく双葉。


「早く屋敷へ向かいましょう。この異常な空の状況もあるし、きっと行動は早い方がいい」


 

歩くこと十分と少し、そうして屋敷の扉の前に到着する。その時、ふと脳裏をよぎる記憶があった。先程この扉を開けた時……。紅く染まったカーペット、男以外に立つもののいなかった屋敷内部。そして……消えゆく双葉の呼吸と熱に、落ちていた黒いメガネ。


「いや、違う。あれは夢。だから大丈夫」


 自分を奮い立たせて扉を開ける。もしもあれが予知夢、もしくはこれから起こるはずのことならば、自分が何もしなかったらああなるのだろう。だが、今は違う。


「たのもー!」


「たのもー……? そこはお邪魔しますとかじゃないのね」


 赤いカーペット、灯る明かり。内部はいつものお屋敷、そして大広間のままだった。


「良かった……」


 安堵。まだ何も起きていないということはわかっていたが、それでも『もしも』を、先程見たものを考えると怖かった。


「双葉、戻ってきたのか」


 屋敷の奥から知っている男性の声。


「お邪魔してます。直樹さん」


「久しぶりだね、京香ちゃん。大丈夫だったかい」


「はい、不思議な現象続きですが何とか」


 黒縁メガネをかけた初老の男性、名前を蒼星直樹という。双葉のお父さんで、奥さんを早くに亡くしたらしいシングルファーザーのおじさん。再婚等は特に考えていないらしい。


 今までの情報を整理すると、間違いなく直樹さんも双葉と同じように魔法使いなのだろう。長い付き合いなのに一切気がつかなかった。庭に魔法陣みたいなの描いたり唐突に花火を深夜に始めたりとんがり帽子を被っていたりしてたけど変な趣味してるんだなとしか思っていなかった。


「よかったよ、京香ちゃんに何も無くて。キミに魔法の素養があるという情報はご両親の了承を得た上で私達の方で実は魔法協会、秘密組織みたいなものだね。それにもう登録されているんだ。だから蒼星家の関係者として人質にされかねなくてね。本当にすまない」


 直樹さんはそう言って頭を下げた。何も知らなかったのは私だけ……ってこと? いや、それについてはひとまず置いておこう。あんなことが起きるような世界なら知らなかった方がきっと幸せだったのだろうし。


「いえいえ。……ところで父と母は大丈夫なんですか?」


「あー、君のお父さん、智くんは海外に単身赴任中だから特に何も無いだろう。美香さんにも今朝事情を説明してある。私達が娘さんをお守りします。と。協会の援軍も今晩派遣されてくる来る予定だったんだ。ま、この状態じゃいつから夜なんだか分からないがね!」


 ははは、と笑う直樹さん。ただ、どこか虚勢を張っているようにも見える。


「……ところで予知夢とはなんだい、言葉の響きからして魔法の事を知っていたことと関係があるのかな?」


「それは──」


 かくかくしかじか。夢で見た内容を説明した。


「夢の中で日が暮れたところで目が覚めて、そしたら外が暗くなっていた、か。他にも白い光に斬撃を飛ばす魔術師、『神代の会』というものに聞き覚えは無いが恐らくは過激派の一員か?。……。それに暗くなった時間と京香ちゃんが目覚めた時間が一致しているから何らかの関連性がありそうだが。うーむ……、京香ちゃんを核とした部分的時間遡行か? いや、時間遡行は時間不可逆論で否定されているはず。だが、タウミエル機械仕掛二千式理論なら……。いや、無理だろ、そうだとしたらあまりに必要魔力が多すぎる。予知だとしても彼女の魔法ともまた毛色が違う………────」


 難しいことを言っていてよく分からないが、この場を離れる訳にもいかないので暫く立ち尽くした状態になる。


 暫くすると、説明をしている間に「ちょっと武器になりそうなものを取ってくる」なんて少し席を外していた双葉があまり見なれない物を二つ手に持ちこちらにやってきた。


「それは……、縄と盾?」


「えぇ、縛縄っていうの。盾の方は軽めの盾ね。私の細腕じゃこれが限界。……持ってみる?」

 

 手渡された盾を持ってみると、それはまるでプラスチックか何かでできているのかとでも錯覚する程度には軽かった。


「本当に軽い……。大丈夫なのこれ?」


 盾の方はそのまま直樹さんに渡した。おそらく斬撃を防ぐ用だろう。触った感じかなり不安だが大丈夫だろうか。


 それともう片方の縛縄と呼ばれた、持ち手が金属でできている麻縄っぽいもの。そちらの方はまるで大縄飛びの縄のようにしか見えなくてお世辞にも凄いものには見えない。しかし、双葉はそれを慎重な手つきでそれを扱っている。


「気をつけてね、これはこの辺の土地の下にある龍脈……、魔力っていうエネルギーが沢山ある所に特殊な方法で百年単位で漬け込んだものなの。もし仮に魔法使いが縄の部分に触ればとんでもない量の魔力を身体に強制的に流されて気絶しちゃう。あと、もし魔力に適性がない人がこれに触れたら急性魔力中毒で死ぬわね」


「死ぬっ!? なんだってそんなものを……」


「魔術師相手に使うなら別に射程の長いスタンガンみたいなものよ。それに相手は殺しにくるんでしょ? むしろ優しいくらい。あと魔法使い相手だと普通の拘束じゃ意味無いし。正直、これがあっても戦闘特化の魔術師相手は怖いわね……」


 双葉の顔に余裕が無い、正直、かなり酷い顔色だ。


 ふと、夢の光景が脳裏にフラッシュバックした。首筋に刃物が当たったような錯覚のうなじが濡れたような感覚に襲われる。


「えっとさ、そんなに大変ならさ、私も手伝った方がいいのかな? ほらっ、私にも『複製』ってのがあるんでしょ? 何が出来るかも!」


「無理に決まってるでしょ」


 半分善意、半分ヤケクソの提案は当然のように一蹴された。


「京香には魔力の知識も無いし、まず魔法を使った事も無いでしょう?魔法ってものは一か八かで使えるものじゃないの。初めての魔法の使用なんて身体に魔力を初めて流す関係上、この縄を触るのと同じ状態になるんだから。しっかりと専門家立ち会いの元万全の安全対策をした上でやらなきゃ」


 そう言って双葉は手に持つ縛縄を指差した。そっか、気絶しちゃうのか。それじゃあ確かに使い物にならない。と言うか、まず使い方も分からないけども。


「それに、第一、危ないでしょう。私、京香にそんな無茶させたくない」


「でも、それだったら双葉だって! 第一なんで戦う前提なの? 逃げちゃえばいいじゃない」


「相手が……ね。今回襲撃に来るらしい過激派っていう集団はね、魔法使い以外は死ぬべきだなんて考えを持ってるの。それでもって、多分今回の過激派の目的は穏健派の中の有力者のお父様を殺すこと。だけど、もしその目的を果たせないのなら嫌がらせとして過激派は魔法という凶刃を無辜の人々に向けるかもしれない。そくなれば、たとえ私達、蒼星家の人間の命が助かっても意味が無い」


「でも、私は双葉が心配で……」


「こればっかりは蒼星家の、魔法使いとしての生き方の問題よ。曲げるわけにはいかないの」


 暗い表情から一点、双葉は堂々とした表情をして見せる。


「あぁ、でも、一つだけ京香に謝らなきゃいけないことがあるの」


「多分私は夢の中で京香が人質にされると京香が危ないって説明したでしょ?」


 そう言われた記憶がある。双葉が縛縄を地面に落として両手で私の手を握る。


「それね、半分くらい嘘なの。勿論京香が人質になっちゃったら京香は危ないでしょうね。……だから、本当なら街の外に出て行ってもらっていた方が安全だった。それをしなかったのは……、近くにいてくれた方が安心だと思ったから。私って、自分で思ってたよりずっと自分勝手だったみたい」


「双葉……」

 

「じゃあ京香は地下の部屋に行ってちょうだい。実は家の地下倉庫には仕掛けがあるの。このメモ通りに操作すれば大丈夫だから。中には三日分くらいの必需品なら置いてあるからね。メモに書いてある合言葉が聞こえない限り扉は絶対に開けちゃダメよ。一応今夜には協会の人が来るしすぐに出られるはずだから」

 

強く握られていた手を離されメモをポケットに入れられたかと思えば、強い力で双葉に抱きつかれる。


「行ってきて。……巻き込んじゃって本当にごめんね。大好きよ」


「なんで、まるで双葉が死ぬみたいな言い方をしてるの」


「……、そうね、また後で」


 双葉が私から離れた。身体にまだ双葉の暖かい感触が残っている。


 その時だった。ピンポーンと、チャイムの音が屋敷中に響く。心臓が跳ねた気がした。


 そしてその音が何度も重なる、拍動がそれに追随する。


「──っ、行きなさい、京香!」


 その時だった、突然チャイムの音が止まる。耳の奥で拍動が聞こえる。身体は動き出す。


 緊張が高まりきったその瞬間、ザン、という音と共に、玄関の扉が文字通り『切り開かれた』。


『氷壁!』


 しかしながら直樹さんの反応も早かった。言葉を発したかと思えば一瞬にして縦横5mはあるかと思われる巨大な氷の壁を形成する。


 それを見て今のうちに地下へと逃れよう、と思えたのも束の間。氷の壁すらもまるで豆腐でも切るかのように細切りになって消えていった。


「おやおやおや、随分と手荒い歓迎で。けど綺麗で賞を授与してあげましょう。いい感じだったよ、あの演出」


 ──── ナイフを持った男、霧ヶ峰の襲撃が始まる。

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