01.甘酸っぱい液体
セリウスに背を向けると、隣の処置室のガラス棚に入れてある茶色の薬瓶を手にする。
ラベルを確認し、近くの作業台の上に置くと戸棚からコップと水差しを取り出して手際よく水をそそぐ。茶色い小瓶の液体を3滴と、オレンジ色の小瓶に入っている蜂蜜色の液体をスプーンで大さじ一杯ほどとると、コップの中に沈めてくるくると攪拌する。
小さな空気を含んだ水のあぶくが、コップの底から上に向けて流れるように渦を作った。
ふんわりとした甘酸っぱいようなすっきりとしたような香りがふわりと浮かんだ。それを銀色のトレーの上に乗せて、エヴァンスが診察の時に使っている椅子に腰を下ろして頭を抱えている青年に差し出す。
「どうぞ。トールトリィシロップの水割りです。飲むとすっきりしますよ。大人には少し甘いかもしれませんが、10分程で頭痛とむかつきが収まると思います。ですが、次回は飲み過ぎにはご注意を」
セリウスは驚いて目を瞬かせ、透明なグラスの中に浮かぶ優しい橙色の柔らかな液体とアルヴィスを交互に見やった。
「甘いのは苦手ですか?」
ふわりと控えめに笑うアルヴィスの灰緑の瞳に移り込む間抜けな自分の姿を認めて、セリウスは諦めたようなゆるゆると首を左右に振る。
穏やかな表情でそれを受け取り、一気に薬を飲み干した。
甘いというより少し甘酸っぱい。人工的ではない優しい甘みと喉の奥が少しスッキリと温まるような液体だった。
「ありがとうございます。どうも久々にアルコールを摂取したので、体がついて行かなくて。お見苦しいところをお見せしたようです」
恥ずかしそうに笑ってセリウスはふう、と目を閉じた。
ついさっきまであんなに最悪な気分と最悪な体調だったのに、頭痛も吐き気もまだしぶとく残っているが、そんなことまるで存在しなかったかのように心穏やかな気分だ。
二十七にもなってこの体たらく。兄が聞いたら何というだろう。いや、指を差して笑い転げるに違いない。
もういっそのこと、このまま眠ってしまいたい。
そういえば、昨日は仲間たちに引きつられられ「失恋おめでとうパーティー」を開催されて。それで。
「あの。差し出がましいとは思うのですが、隣の診察室でお休みになってはいかがですか?まだ顔色も良くないようですし。私はあちらで仕事の続きをしてから帰りますので、どうぞお気になさらないでくださいね」
では、お大事に。
ペコリ、と頭を下げるとセリウスが唖然とする横を通り過ぎて、伝票を作るために隣の事務室に向かった。
******
納品数と発注数に間違いがないかをしっかり確認し、未処理と刻印された木の箱の中に書類を入れると、事務机の右上の引き出しを開ける。中には「アルヴィス」と印がされた布の平たい包みがあり、中を開けると既に記された領収書とピッタリの金額のお金が入っていた。お釣りがないよう、不在時でも二度手間にならないように事前準備をしてくれるのはいつもながらとてもありがたいことだ。
念のためもう一度金額を確かめてから、銀貨一枚と銅貨三枚を仕事用の財布の中に入れる。仕事用の斜めがけの布鞄の中に財布をしまってから、ふと壁掛けの大きな時計を見やれば、あっという間に一時間が過ぎたようだった。
それにしてもそろそろ10時の開院の時間のはずだが、エヴァンスはまだ戻らないのだろうかと小首をかしげる。事務室を出て左手側にある通路の先の診療所の待合室はがらんとしていて人の気配がない。
(そういえば、あの人は大丈夫だったのかしら)
少し心配になり、帰りがけに見ていくことにした。
窓際の端っこのベッドに黒髪のとても美しい青年が眠っていた。
艶やかで絹のようなさらさらとした黒髪が、光を受けて水面のように反射しているような気さえした。
規則正しく呼吸をしているようで、意外と筋肉質そうな上半身の胸元が緩やかに上下している。
はだけた衣類はそのままだが、来院した時あれだけ顔と体中についていた口紅は衣類にはついているものの、皮膚からはほとんどなくなっていた。
すさまじい程のお酒の匂いを漂わせてふらふらの様相でやってきた割に、見かけに反してとても紳士的だった青年の姿を思い出して、アルヴィスは緩やかに笑った。明日王都を離れる前にエヴァンスのところによる予定があるから、その時今日のことを話してみよう。どのみちしばらくは王都に訪れる予定はないのだから。
窓から入り込んだ明るい太陽の光が少し眩しそうで、お節介かとは思いつつ、薄手のレースのカーテンを引いてあげる。そうすると、僅かに眉間に寄っていた皺がふっとほぐれて、柔和な寝顔で寝返りを打った。
随分と深く眠っているのか、こちらの気配には気づいていないようだ。
アルヴィスは安堵して、彼に背を向ける。
今日はこれから一度宿屋に戻って仕事道具を置いてから、必要なものを買い足して明日領地に帰る予定だ。大切に育てている薬草園の薬草たちは不在の間は屋敷の家令たちが管理をしてくれているので安心だ。
「まずは書店、それから薬草屋に行って。マリーへのお土産も忘れないようにしなくちゃね」
こんな自分に仕えてくれる家族同然の大切な使用人たち一人一人の顔を思い浮かべながら、アルヴィスは軽やかに歩き出した。
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