旱魃の巨悪
自分に疑問を持ち始めたのはいつ頃からだったか。
あれはそう、2年前。
初めて吐き気を催すほどの悪と対峙した時だった。
今まで戦ってきた、ただ破壊をもたらすだけの外敵とは違う、明らかで判然とした悪意。
身の毛がよだつほど鬱屈としいてしかし、赫奕とした意志と覚悟を持っていた敵だった。
私たちは彼を"巨悪"と呼んだ。
ただの悪と受け止めるにはあまりにも逸脱しているように見えて、きっとこの先二度とは現れない、いや現れてほしくないという切望から絶対的かつ表せる限り最大の畏怖を込めてそう呼んだ。
その彼の言葉が、ずっと胸に刺さったまま取れなかった。
おそらくそれが、私の疑問の原点だろう。
「君がどれほど人々と世界に尽くしても、奴らは君を何度でも裏切るぞ」
初めは小さな刺で、刺さっている事にさえ気付かない程度だった。
しかしその刺は私が人を助ける度に、世界を救う度に太くなり、やがて亀裂を入れるようになった。
私たちの世界において、魔法少女とはアイドルのようなものだ。
連日のようにネットでランキング付けされ、広告業も盛んだった。
人助けも奉仕活動も全てはマーケティングの一つと化して久しい。
私はそんな在り方にずっと懐疑的な立場であった。
それでも、こうしてお金を稼ぐ事もお世話になった人たちへの恩返しなのだと自分に言い聞かせて、笑顔を気前よく振る舞った。
彼らもランキング一位の私を手厚く扱ってくれた。
しかしそれも、あの金髪の魔法少女が入ってくるまでの話。
彼女は私のように笑顔を振る舞う事もあまりなく、人助けに熱心なわけでもなかった。ただ淡々と敵を倒し、事務的に人を助けた。
そんな彼女が、私の前だと笑顔になる。元々は私が彼女を救い、そして魔法少女にならないかと誘ったからだろう。私には心を開いてくれていた。
その人となりと容姿、圧倒的な実力で一瞬にして私を抜いて一位になった。
愕然とした。私が築き上げてきたものを全て壊されたような気分だった。それでもって当人はランキングなど存在すら認知していないような有様なのが尚の事質が悪い。
それだけならばよかった。人の評価なんて気にしなくていい。そんな風に気丈に前を向く事もできた。だが、私がいくら評価を気にしまいとしても、周りは、特に金稼ぎのために寄ってきたような連中は違った。
私の仕事は彼女に奪われ、減り始めた。そんな私にできるのは彼女が断って回ってきたおこぼれの仕事だけ。彼女が断るという事は当然、それなりの理由があるわけで。そんな仕事ばかりをやるようになった。
しまいには人気も一部のコアで特殊なファン以外は減り続け、ネットでは「おこぼれ魔法少女」だとか「売女小学生」だとか呼ばれるようになった。少しずつ、少しずつすり減り、劣等感と嫉妬でひび割れ始めていた私に彼女は言った。
「そんな仕事、もうやめなよ」
頭が真っ白になった。誰のせいで、だとかお前さえいなければ、だとかそんな罵詈雑言が咄嗟に口を割って出そうになるのを必死で抑えて、笑顔で「ありがとう」と言ってみせた。
最も妬んでいた彼女のそんな言葉でさえ飲み込めたのだ。きっともう大丈夫。そうやって自分に言い聞かせては眠る日々だった。結局、一時間も眠れやしないのだが。
けれど私にとって一番聞きたくない言葉はそんなものではなかった。
それをあの日に知った。
その日はまるで"巨悪"を思わせるほどの強敵と戦った日だった。昔と違い、強く頼もしい仲間も増え、随分と被害を小さく抑え込めた。それでも被害は避けられないもので、だから私は一人でも傷つく人がいないように立ち回った。
だから当然、人を助けた。
「どうせなら、金髪の子に助けてもらいたかった」
二人組の少女だった。去り際、きっと少女らなりに気を使って私に聞こえないよう喋ったつもりだったのだろう。だが魔法少女の聴力は常人の比ではない。
助けを求めている声を、一つだって零さないように。
だから、聞こえてしまう。私にとってはそれが全てだった。人を助ける事。どんなにネットで批判されても、どんなに多くの人に見限られても、それでも私が魔法少女でいられたのは誰かを救いたいという思いがあったから。困っている人を救えるのなら、自分の全てを犠牲にしてもいい。それだけが全てだった。それだけでよかった。
けれど、世界は私のその思いすら不要と吐き捨てた。その日から色と味がわからなくなって、酷く、喉が乾くようになった。
その日以前から私は学校でいじめられていた。最初は色物を扱うような態度から、徐々に悪意と好奇心でもって私を差別し、敵視した。
でも、そんな事は些細な事で、どうでもよかった。ただ少し疲れて、学校を休みたいと両親に話した。
あまりにも予想外で信じ難かったのはそれに両親が猛反対した事。「魔法少女なのだから」と私が規律に反する事を強く拒絶した。
今思えばきっと、両親にとって私は誇りのような存在で、その誇りが世間や世論から白い目で見られている現状は、とても許容できるものではなかったのだろう。あまつさえ、その誇りが自ら道を違えようとしている様は、近頃の鬱憤を爆発させるには十分だったらしい。
あぁ面倒だけど仕方ないか、そう諦め学校へ行こうと玄関で靴を履いている時だった。
「なんて顔してるの。魔法少女なのだからもっと笑いなさい!あなたの取り柄は笑顔でしょう!?」
久しく、笑っていない事を思い出して。と同時に何かが瓦解する音がした。
結局、それしかないのかと。また、お前たちは私に笑顔を求めるのかと。もう、もういい。もう疲れた。
目の前に佇む私を笑顔の商売道具に仕立て上げた両親の姿が、外敵の、怪物のそれに見えた。
無意識のうちに変身していた──
社会も、親友も、信条も、両親さえも、なんど従いなんど助けなんど救おうとも私を裏切り続けるのだと理解してしまった。"巨悪"の言葉がとうとう私のガラス細工の心を砕いて割った。初めて人を殺して、後に残るのは爽快な思いだけなのだと、鏡に映る巨悪の魔法少女は笑っていた。
学校について、私は自分でも恐ろしくなるほど冷静だった。恐ろしくなるほど冷静に、自分に行われるいじめを見ていた。
そして彼らはいつものように私に言った。
「ほら、魔法少女なんだから笑えよ!」
ええ、それがお望みなら。
もう、抵抗はなかった。何の違和感もなしに、自然と笑顔になれた。
もっとも、彼らは笑えなかったようだが。
カラカラに乾いた大地を血が潤す。
それでも少し、後悔があった。灰色の教室に散らばる肉片を彼女が見たら何を思うのかと。自分はこの先何をしてしまうのかと。そんな思いを雑多に纏めて後悔と名付けた。
教室にはった結界のおかげでこの教室に起きたことはまだ誰も知らない。その静謐の結界を破り、彼女がやってきた。
その瞳は見る見るうちに曇っていき、大きく見開いた瞳は私を映して止まった。その瞳を見た瞬間、後悔など消えてなくなった。彼女の瞳を黒く汚せたのだと。彼女の私を映す瞳はいつもキラキラと輝いていて、それが目障りで仕方なかった。あの鬱陶しい瞳をどぶのような色で染め上げてやったのだ。後悔など霞んで滲んで消えてしまった。
しかし途端に、苛立ちがわいてきた。
彼女がいつまでも惚けているからだ。
目が乾いてくる。渇望に喉が震えている。この光景を見て尚呑気に立ち尽くす彼女に、飢餓に喘ぐ獣が如く憤怒が沸き起こる。
お前は何者だ。
何をしているんだ。
なぜここに立っている。
どうして動かない。
お前は、何のためにそのステッキを握りしめているんだ。
「さぁ、巨悪はここにいる」
その使命を、問わねばならない。
「さぁ、こいよ。正義の魔法少女」
巨悪の魔法少女 唱対夢 @satousuzuki50001
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