第3話

「ねえ、悠香。これで対決しない?」


 ゲームセンター内を探索していると、先頭を歩いていた沙紀が突然立ち止まった。後ろを振り向き、俺の隣に視線を送ると近くにあった設置ゲーム機を親指で指さす。


 沙紀が指さしたのはバスケのゴールリングが取り付けられたゲーム機だ。


「いいですよ。私を指名したと言うことは『賭けごと』ですね」


 隣にいた悠香は丸っこい目を細め、臨戦態勢に入る。


 沙紀はよく悠香に対決を申し込む。


 本人としては悠香と遊びたいだけだろう。ただ、うちの妹は勝負するからには『報酬と代償』が必要だと考える性分なので戦う際は何かを賭けることになっている。


 賭けると言っても、アイスやらジュースやらと比較的可愛いものだ。


「もちろん。じゃないと乗ってくれないからね。夏も近づいてきたことだし、アイスクリームを奢るってのでどうよ?」


「分かりました。では、ゲームセンターの入り口近くにあったアイスクリームの自販機からひとつ選べると言うことで」


 悠香は具体的な場所まで指定する。そういえば、ゲームセンターに入る際、隣から「いちごのチューペット食べたいな」って声が聞こえたな。


「良いのか? あいつ、体育祭でバスケしてたぞ?」


 沙紀は体育祭でバスケをしていた。準決勝まで駒を進めていたからシュートの仕方が体に馴染んでいるはずだ。


 対して、悠香はバレーを選択している。この勝負は悠香が不利になるように設計されている。


「構いません。私にはセンスがありますから」


 自信満々な笑みを浮かべ、悠香はゲーム機のある方に歩いていく。


 センスか。正直、王我家にスポーツの才能があるようには思えない。俺みたいに体を改造しなければ良い結果は出せないだろう。


 俺と桜井は少し離れて勝負を見守ることにした。


 桜井の方に一瞬だけ視線を注ぐ。


 彼女は依然として無表情なままだ。


 退屈しているわけではない。顔に表れていないだけで、人知れず握られた拳や俺の視線に気づかない様子から彼女が熱中しているのは間違いない。


 開始を告げるブザーの音で視線を桜井から前の二人に移した。


 二人はほぼ同時にボールを取って投げる。


 沙紀のボールは吸い込まれるように入っていく。反対に、悠香のボールは輪っかによって外に弾かれた。二発、三発と続くが、悠香のボールは入る気配がなかった。


 このゲームは60秒を3セット行って最終的なスコアを出す仕様となっている。


 1セット目は沙紀が14点の差をつけた。


「あら、悠香さん。点数が低いですね」


 沙紀は横を向いて挑発するように喋る。相手のメンタルを攻撃し、失敗させようという魂胆らしい。体育祭の注意事項にスポーツマンシップに乗っ取るとあったが、学校を出た今は関係ないのだろう。


 悠香は沙紀に顔を向けることなく、ゴールリングを見続けていた。反応しようものなら、相手の策に溺れると考えたのだろう。


 それから第二セット、第三セットと行われていった。


「ま、負けた……」


 結果として勝ったのは悠香だった。


 最初はリングから外れていたものの、回が重なるにつれて正確にゴールを決められるようになっていた。第2セットでは8点差まで縮んだ。


 沙紀は焦りを覚えたのか、第3セットではがむしゃらにボールを投げていた。疲労でボールの飛び方が変則的になっており、ゴールに入ったのは少なかった。


 反対に、悠香は疲労を見越して着実に決めていく方にシフトした。これによって第3セットは悠香が10点多く得点し、2点差で勝利したのだ。


「あら、沙紀さん。私よりも点数が低くないですか〜」


 ショックで項垂れる沙紀に、悠香はやり返すように不敵に笑いながら同じ台詞を吐く。


 嫌味を言う妹に悪い気はしなかった。むしろ、自分の有利な種目を選択し、相手に対して挑発的な台詞を述べた沙紀を打ち破ってくれたことに清々しさを感じる。


「チクショー、勝てると思って誘ったのに」


「その余裕さが仇となったんですよ。では、約束どおりアイスクリームを奢ってもらいますね。スペシャルセレクションが良さそうですね」


「ス、スペシャルセレクション!? そ、それってお高いんじゃ……」


「『アイスクリームの自販機からひとつ』が条件ですから問題ないですよね? まさか自分から勝負をふっかけておいて払えないなんてことはないですよね?」


 悠香は捲し立てるように沙紀に棘のある言葉を突き刺していく。食べたかった『いちごチューペット』ではなく『スペシャルセレクション』を頼むところから如何に沙紀にダメージを与えるかに考えを変えたようだ。


 インターバルでの挑発をよほど根に持っているらしい。


「では、私は沙紀さんを連れて自動販売機に行ってくるので、兄さんと彩乃さんは少し待っていてください」


 悠香は沙紀と一緒にゲームセンターの入り口へと歩いていく。沙紀の肩に手を置いて歩く姿は『お前を逃さない』と言っているみたいだった。


 二人の歩いていく様子から目を離し、近くにいた桜井を見る。


「桜井は何かやりたいものでもあるか?」


 俺の言葉を受け、桜井はゲームセンターを見渡す。質問に律儀に答えようとしてくれているようだ。


 ふと、桜井の視線が定まる。結んでいた唇がほんの少し緩んだのが分かった。


 桜井と同じ方角に目をやる。


 視界に映ったのはUFOキャッチャーコーナーの一角だった。大きなアザラシのぬいぐるみが置かれている。


「あれが欲しいのか?」


 桜井が見ている方を指差し、彼女に尋ねる。


「ちょっと見たい」


「じゃあ、行くか」


 桜井を誘うように俺は我先に歩き始めた。後ろに気配を感じるので、桜井は思惑どおり付いてきてくれているみたいだ


 近くに来たことで分かったが、鑑賞用と獲得用では目の形が違っていた。どうやら、アザラシには二種類のタイプがあるみたいだ。


「可愛い」


 アザラシを眺めながら、桜井は俺の隣でボソリと呟いた。


 噛み締めるように口にした彼女の声音には色っぽさがあった。俺が言われたわけではないのに胸が高鳴る。きっと桜井から初めて聞いた声音だったからだろう。


 これはチャンスかもしれない。


「どっちが好きなんだ?」


「奥。眠っている方が好き」


「そっか。すみません!」


 俺は近くにいた店員さんに向けて声を掛ける。騒音が響いていたものの、店員さんは俺の呼びかけに気づいてくれた。こちらにやってきたところでアザラシの配置を変えてもらうよう依頼する。


「プレイするの?」


 店員さんが去っていったところで桜井は俺に尋ねた。


「桜井が欲しそうにしていたからな。優勝した記念に取ってあげるよ」


「優勝したのは王我くんじゃ……」


「ああ。優勝して機嫌が良いから桜井に善行しようってことさ」


「なるほど……」


 歯切れの悪い納得だった。まあ、取り繕った理由だから仕方ない。


 ボソッと感想を漏らすほど桜井にとっては魅力的なぬいぐるみだ。これを取ってプレゼントすれば、彼女は俺に好意的な笑みを浮かべるだろう。


 彼女が微笑んでくれるのならいくらでも出してやる。


 ポケットからスマホを取り出し、タッチすることで料金を支払う。


 同時に脳内チップに命令して『UFOキャッチャーの必勝法ついて』の情報を収集させた。


 一般的な情報収集では検索をかけた情報を視覚情報として記憶するだろう。しかし、俺は脳内チップが最適化した情報を直接記憶する。


 クレーンを動かし、アザラシの重心より獲得口寄りに止める。アームはうまくアザラシを掴むと大きく動かし、獲得口に頭を乗せた。2回目に尻尾の方を狙うと、アザラシは獲得口に流れるように落ちた。


 上手く取れたことに歓喜するも表には出さなかった。俺が喜んでしまえば、桜井の喜びが減少してしまうと思った。


「大事にしろよ」


 なるべく平静を装って桜井にアザラシを渡す。桜井は両手で受け取った。


 眠そうなアザラシの顔を見る。それから俺に視線を移した。

 

 潤った綺麗な瞳が波のように蠢く。俺の顔を除いたまま、アザラシを自分の胸元に寄せた。


 何も言うことなく、桜井の視線はUFOキャッチャーに流れる。だが、それではダメだと言わんばかりに再び俺に戻ってきた。


「ありがと」


 ボソッと出たのは無気力な感謝だった。


 表情も特に変わってはいない。作戦は失敗だったみたいだ。


 とはいえ、感謝を述べる前の葛藤のような視線の動かし方には仄々とさせられた。普段はさっぱりとした桜井にほんの数秒でも迷いを与えられたのは良い成果だっただろう。


「どういたしまして」


 俺は頬を緩めて返事をしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る