『0』の向こう側

ベアりんぐ

『0』の向こう側

 俺は公表された大学2年前期のを見て、絶望した。いや、取れていないことは分かっていたけれど、それでも絶望せざるを得なかった。



取得単位数:0



 小説家を目指す自分にとって大学で専攻している教育学はつまらないものに映っていた。教育者となるつもりもさして無い自分にとって、いったいなんの意味があるのかと。もちろん自分の選択で入った大学だ。文句を言うのなら過去の自分に言えば良い。


しかし卒業という称号は欲しかった。だからやる気がなくとも退学はしないでいた。


 その結果が、明確な数字によって表れてしまった。


 スマホを持つ手は震えたし、学費を肩代わりしてもらっている離れた両親に申し訳なくも思った。色んな文字が頭の中をぐるぐるした。もういっそ恥を忍んで辞めてしまおうかとも思った。


 しかし12月現在、俺はまだ大学に在籍している。2年後期に24単位が取れなければ『留年』だ。もう後がない。こんなことをしているのならばもういっそ、両親に小説家となる覚悟を見せて大学を辞めてしまったほうが楽ではある。


 

けれど大学に残っている理由……それは、友人の存在だった。




*        *          *




「0、か……」



 セミがけたたましく鳴く8月中旬。俺は分かっていた数字を口に出した。それから、こうなってしまった原因が頭の中に言葉となって浮かぶ。


 大学1年の頃から多忙な毎日を送っていた。教育学という文系としては忙しい学科専攻、強豪と名高い合唱団に所属し、野球部も兼部。さらに小説家というおぼろげながらなりたい夢。これらをずっと大車輪のようにして行っていた。


そうなると必然、穴も開く。しかしこの時はまだ良かったほうだ。7月から入った夜勤バイトが、俺へのトドメを刺した。


 結果としてどれもおざなりになり、合唱団は2年の春から休団。野球部も休みがちで、学業もズタボロになっていった。小説もろくに書けず、ただ現実から逃げるために夜勤バイトへ行く日々。今思えば、どこかで心も身体も壊していたのだ。それに気づくのが、遅すぎた。


 そして、0だ。


 ため息も出たが当然、情けなくなった。だってそうだろう、追いかけた先に待っていたのは虚無なのだから。しかし、それでも残ったものはあった。



 0にただ打ちひしがれていると、スマホが震えた。表示を見れば……友人『S』だ。タップして電話に出る。



「チンチン……」



 向こうから聞こえてきたのは、か細いチンチンだった。俺は無言で電話を切る。


しばらくするとまた電話が来る。それにイヤイヤ出ながら、ため息混じりに言う。



「はぁ……傷心中やぞこっちは!」


「え、なんかあったん?俺も傷心中だぜ」



 傷心中のやつはそんなこと言わねぇよ。アホかコイツは?……とりあえず、問うてみる。



「傷心中って……なんかあったん?」


「えっとぉ……ぼくぅ、後期で25単位取らないと留年だわぁ……」


「……すまん、聞いた俺が悪かった」


「ええんやで。それよりおめえさん傷心中って言ってたな。なんだったん?」


「……俺、後期で24単位取らないと留年だわ」


「おい変な運命やめろ」



 俺がそう告げると『S』からツッコミが入る。そしてしばらくの沈黙の後、お互いどデカいため息をついた。前期が0単位だったことはあえて言わなかった。普通に恥ずかしすぎる……。


 それからは互いの傷を舐め合い、心を癒した。本当に癒えたかどうかは分からないが、少なくとも寂しくはなかった。



 『S』は、野球部で出会った友人である。俺たちは出会った時から仲が良かったわけではないが、『S』が俺の自宅へ寿司を食いに来た時に意気投合し、それからは合間を繕って遊んでいた。互いに恥を見せ合った。別に大好きというわけでも無かったが、互いに1番、信頼する相手でもあった。その結果として、どちらも留年ギリギリになっているということもあるのだが。




*        *          *



 

 そうして現在……俺たちは留年を免れるためになんとか大学に通っている。もしそれでダメならば、潔く受け入れるつもりだ。なぜなら横には『S』がいる。


 俺たちは、互いに留年したら大学を辞める予定だ。辞めた先にはか細く短い夢への滑走路だけが残る。しかしそれでも良いと思ってしまう自分がいる。俺は小説家を、『S』は声優を。どちらも夢が叶うかは分からない。しかしこれでも、コイツといられたなら。1人じゃないのなら、悪くはない。


 12月最初の電話で、『S』が突然言った。



「退学すんならさ、シェアハウスでもすっか〜」


「シェアハウスぅ〜?『S』ゴミだらけにすんじゃん」


「はぁ?それこそお前料理作れねぇじゃねえか」


「……てことは俺が掃除して」


「俺が料理作れば……はぁ、また出たよ変な噛み合わせ」


「俺とお前は凹凸だったんだな……」



 そう言う俺に『S』はため息をついているが、その中には笑みが含まれていた。……実際、凹凸なのかも知れない。どこまでも似通っていて、それでいてどちらも個人で。だから、シェアハウスしても良いのかもしれない。


 


 こんなにしょうもない俺でも。


 数字として『0』を突きつけられたとしても。




 俺にはまだ、さまざまなものが残ってる。家族だっているし、夢もある。そして『S』も。


だから俺は、この0を変えたい。単位数として0が変わるのか、それとも別のかたちで0という数字でなくなるのかは分からないけれど……それでも。


それでも……向こう側へ行くのだ。過去は変えられないし、一緒に終えても良いと思えるクズでカスでバカで最高な奴に出会えたから。だから、俺は行く。決して『0』ではない――俺の、俺たちの、人生を。

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