第5話

 人間が暮らす現世と異なる次元に地獄はある。

 その地獄にはとある悪魔の兄弟がいた。

 兄は恐ろしい悪魔の中でも特に強かったが、弟はどの悪魔よりも弱かった。


「行くのかい、兄さん」

「ああ。先に行って待ってる」


 兄は弟が自分の後に続くと確信していた。

 しかし当の本人は違った。


「無理だよ。僕は現世に行けない。どの悪魔よりも体が弱く、魔力だって少ない」

「確かにそうだ。しかし、強くなりたいという気持ちは誰よりも強いじゃないか」


 地獄は弱肉強食の世界だ。強さこそが全てであり、同時に自分より強い者がいたら何をしても無駄という考えが常識になっている。

 その常識に反発しようと、弟は体を強くする方法や、少ない魔力で魔法をうまく使う研究をしている。

 その姿勢に、兄は一目置いていた。たとえ、まだ何も成果を出せなかったとしても。


「お前はきっと強くなる。普通の悪魔にはない心があるからな。絶対に俺より強くなれるさ」


 そうして兄は弟を地獄に残し、人間がいる現世へと渡った。

 12月25日になった直後のわずかな時間、月明かりに魔力が宿る。悪魔はそれを使って、地獄と現世をつなぐのだ。

 現世にやってきた悪魔の目的は一つ。子どもを喰らう事である。悪魔は666秒しか現世にいられないが、子どもの魂を喰らうと、その後もずっと現世に止まれる。

 遥かな昔、子ども達にとってこの夜は安らかではなかった。



 4世紀ごろ、現在ではアナトリアと呼ばれる場所にニコラウスと言う男がいた。

 彼は弱者の味方だった。とある娘が身売りしなければならなくなった時、彼は密かに金貨を渡して助けた。

 ニコラウスはある日、父なる主から悪魔を倒せと啓示を受けた。その悪魔は子どもを喰らい、人々を恐怖に陥れていると。

 啓示はそれだけではなかった。ある武器のありかと、悪魔と戦うための技を伝授した。

 ニコラウスは武器を手に入れ、技を磨くための修業をした。


「傷が治らない!? 何だ、その武器は!?」

「私が最も尊敬するお方の血を受けた槍だ。悪魔には辛かろう」

「ロンギヌスの槍か! だが必殺武器があっても人間自体が悪魔より弱いはずだ。何だその力は!?」

「父なる主は、人の可能性を引き出す技を授けて下さった」


 ホーホーホー。

 天啓により授かった特殊な呼吸法が、彼を超人に変えている。


「人間は努力する。父なる主から授かったものを更に高めるために私は研鑚した。超人化呼吸法と私が編み出した槍殺法がお前を穿つ」

「努力、研鑚。なるほど、それが人間の強みか。お前達が栄えるわけだ」

「観念しろ。そうすればせめて慈悲のある死を与えよう」

「はははは!」


 悪魔はかすれた声で笑う。


「もう勝ち組気分か! 人間は強いが、同時に愚かだな」


 悪魔が何か魔術を使った。ニコラウスは警戒するが、その魔術は攻撃ではなかった。


「地獄にいる弟よ、血を分けた我が半身よ! 人間の武術を覚えろ! そうすればお前は強くなれる。俺など足元に及ばないほどに!」

「しまった!」


 ニコラウスは慌てて悪魔にとどめを刺すが、すでに手遅れだった。

 悪魔の死骸を見て、彼は終わりの見えない永い戦いを予感した。

 人は研鑽によって悪魔を打倒する。その事実を悪魔側が認めて受け入れた。

 これからの悪魔は、人間と同じように自分を鍛えて強くなる。

 もっと強い敵、もっと恐ろしい敵が現れる。


「弟子を、育てなければならない。悪魔を倒す技術が、遠い未来まで受け継がれるようにしなければ」


 ニコラウスは見込みのある若者を集め、育てた。

 同時に仲間も増やした。自分が編み出した槍殺法だけでは足りないと感じたのだ。ニコラウスは世界を旅し、剣や斧、弓の達人と出会った。彼らは悪魔から子どもを守る志に共感し、ニコラウスは彼らに超人化呼吸法を伝授した。

 超人化呼吸法を会得した達人達は、悪魔を倒すために自分達の技を進歩させた。


 子どもを悪魔から守る戦いは、ニコラウスが没した後も志を引き継いだ者達が続けた。

 やがてニコラウスが金貨で娘を助けた逸話を元に、一つの伝説が生まれた。

 悪魔と戦う戦士達は、その伝説にちなんで自らをサンタクロースと名乗るようになった。

 サンタ達は子どもを守りために密かに戦い続ける。

 全ては安らかな夜のため。

 子ども達が悪魔に脅かされずに眠れる。それこそが、サンタの真のクリスマスプレゼントなのだ。



 その悪魔は弱かった。兄は地獄で一目置かれるほどの膨大な魔力を持っていたが、彼はその10分の1にも満たなかった。

 ある日、その悪魔は人間の戦い方を真似するようになった。地獄のどこに行っても、その悪魔は指をさされて笑い者にされた。

 300年後、その悪魔を笑う者はいなくなった。笑った者を残らず殺したのだ。


 魔力量だけを見れば遥かに上位の悪魔ですら、人間の武術を身に着けた彼に手も足も出なかった。

 恐れ、嫉妬、願望。それらの感情を込めて、彼は大悪魔と呼ばれた。

 そして大悪魔は現世へ渡った。


「悪魔よ、待っていたぞ」


 槍を持つサンタが待ち構えていた。それを大悪魔は知っていた。兄を倒した武器だ。


「ロンギヌスの槍の所有を許されているという事は、君が今の世代で一番強いサンタのようだね」

「運が悪かったと諦めろ」


 大悪魔はニタリと笑った。


「いいや違うね。僕は……“俺”は運が良い。本当に強い奴を相手に力を試せるんだからな」


 大悪魔とロンギヌスの槍を受け継いだサンタの戦いは、驚くべき事に大悪魔の圧勝に終わった。


「そんな、馬鹿な。ここまで強い悪魔が現れるなんて」

「ロンギヌスの槍を使ったのはかえって失敗だったな。武器の性能のせいで、一撃さえ入れば勝てるとお前は油断した」


 大悪魔は死にかけのサンタからロンギヌスの槍を奪い、魔法で欠片すら残らないよう粉砕した。


「お前にはがっかりしたよ。最強だと思ってたのに、油断するような間抜けだったなんてな」


 大悪魔は失望のため息を漏らしつつ、人里へと向かった。


「やめろ、待て」


 サンタは追いかけようとするが、力尽きて絶命する。

 大悪魔は人里を襲った。大人は全員殺され、子どもは残らず心臓を喰われた。

 当時最強のサンタが戦死し、ロンギヌスの槍は破壊され、一つの集落の住民は惨たらしく殺された。


 この出来事は最悪の敗北として、後世のサンタ達まで語り継がれる事になる。

 現界した大悪魔を追って、何人もの腕利きのサンタが派遣されたが、誰も帰ってこなかった。

 大悪魔はまだ討伐されていない。



 時は現代。


「手を組もう」


 地獄でとある悪魔がそう言った。彼は炎の魔法と剣道で戦う悪魔だ。

 大昔に大悪魔が人の武術の有効性を示して以来、悪魔にとって魔法と武術を習得するのが当たり前の教養となっている。


「他人の手を借りるのは癪だが、そう言ってられないか。ここ十数年は悪魔側は負けっぱなしだ」


 水の魔法と柔道を得意とする悪魔が同意する。


「去年は確か二人で協力した悪魔達がいたが、サンタも二人出てきて負けたって話だ。手を組むのは本当にありなのか?」


 風の魔法と弓道の悪魔が難色を示す。


「倍ならどう? アタシ達4人がかりならもしかしたら行けるかもしれないわよ?」


 土の魔法と空手の悪魔が言う。


「サンタも4人出てくるだけだ。別のやり方が必要だと思う」


 弓道の悪魔が言った直後、4人の前に立体映像が出現した。映像通信を可能とする伝心の魔法・投影の型によるものだ。


「だったら俺が手を貸そう」


 4人の悪魔達は息を呑んだ。地獄ではもはや伝説となった大悪魔が接触してきたのだ。


「俺は変身の魔術を使ってサンタ組織に潜入している。奴らに嘘の出現ポイントを教えて、お前達が安全に現界できるようにしてやる。だが、それと引き換えにお前達は俺の手下になってもらう」

「……」


 4人の悪魔達は無言で目線を交わす。


「即決できないのはわかっている。俺も悪魔だ。他人に忠誠を誓う屈辱はよくわかっている。3日後の今の時間にまた接触するからその時に答えを聞く」


 立体映像の大悪魔が消える。


「どうする?」

「アタシは取り引きに応じるべきだと思う」

「他人の手下になるのか?」

「他に手は無いよ。同世代はみんなグレーター位階(悪魔にとって有段者に相当する)なのに俺達は未だにレッサー位階なんだ。俺達が子どもを喰らるチャンスはこれしかない」


 こうして4人の悪魔は協力と引き換えに大悪魔へ忠誠を誓った。



 サンタを支援するノーム部隊の任務は多岐にわたる。その内の一つが、クリスマスの夜に悪魔がどこから出現するかの調査だ。

 科学が未発達の時代は、超自然的な感受性の高い者が父なる主の啓示を受けて出現ポイントを把握していたが、あまり正確ではなかった。

 しかし、今は魔力の観測装置などの発達により精度は極めて高い。


 ノーム部隊から今年のクリスマスは夢見町に4人の悪魔が同時に出現すると報告が上がった。

 組織は4人のサンタの派遣を決定した。

 サンタクロース刀殺法、師走・クリスティーナ・美代。

 サンタクロース銃殺法、ジョン・サンダース。

 サンタクロース槍殺法、黒井鋼治

 サンタクロース忍法、赤木鳩美。


 4人は去年に実戦を経験したばかりの新人達だったが、見事悪魔を倒して子どもを守りきった。

 夢見町の駅に4人は集結した。


「みなさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


 普段はミッション系の全寮制学校に通う鳩美は穏やかな物腰で挨拶する。彼女は父なる主に仕える敬虔な忍者だ。


「去年のクリスマスはみんな生き残って良かったよ。みんなの実力は信じていたが、戦いはいつも万が一があるからな」


 ジョンは幼いころに両親を悪魔に殺された。ジョンも悪魔に喰らわれようとしたが、そこにサンタが助けてくれた。

 以来、そのサンタはジョンの養父となり、またサンタクロース銃殺法を伝授した。


「今年はみんなと戦えて嬉しいわ」


 フランス人のと日本人の間に生まれた美代は、日本人離れした風貌だ。しかし彼女は着物を完璧に着こなしていた。


「1箇所に複数を送り込んでくるという事は、地獄側が変わりつつあるみたいだな」


 鋼治はサンタクロース槍殺法の使い手の中で、最も将来有望と期待される少年だ。もしロンギヌスの槍が現存しているのなら、所有者候補に選ばれたと言われるほどだ。


 若き4人のサンタはいわば同期だ。彼らはそれぞれ異なる武術を習得しているが、その以前にはサンタとしての修業を共に受けた。彼らは共に励まし合いながら過酷な修業を乗り越えた。


 彼らはクリスマスイブまでの準備をするアドベント期間に入った。

 すでに夢見町には第6ノーム部隊が派遣されて拠点を密かに作っている。4人のサンタはそこへと向かった。


「上層部はだいぶ判断力が鈍ったと見える。貴様らみたいな若造どもを派遣してくるとはな」


 第6部隊の隊長、鬼影は陰険な上司そのもので、昨年のクリスマスで立派に勤めを果たした若きサンタ達を露骨に見下していた。


「だが安心するが良い。この現場が私が仕切る。私の完璧の作戦立案があれば、お前達のような凡愚でも立派に戦えるだろう」

「越権行為だぞ。現場判断は悪魔と直接戦うサンタが行うのが規則だ」


 ジョンが反論するが、鬼影は鼻で笑った。


「はっ! 良いか。規則なんて言うものは無能でもそれなりの働けるようにするためにあるのだ。私のように真に優秀な者がその能力を正しく発揮するためなら、規則などいくらでも曲げて良いのだよ」

「おい!」


 鋼治が鬼影に掴み掛かろうと1歩前に出た後。影の薄い男が割って入ってきた。


「まあまあまあ、落ち着いて。うちの隊長は悪魔を確実に倒したい気持ちが強いだけなんです」


 間に入って仲裁しようとしたのは副隊長の山田だ。


「隊長は昔、かなりデキるサンタだったんです。悪魔と戦った時の怪我の後遺症さえなければ今でもバリバリ悪魔を倒してましたよ。それくらい優秀な人なんでどうか隊長を信じて指示に従ってくれませんかね?」


 山田は笑みを浮かべる。本人は愛想が良いつもりなのだろうが、しかし若きサンタ達にとっては媚びを売るような品の悪い笑みとしか思えなかった。


「他人の自己顕示欲のために働きたくないわ」

「俺達はサンタとしての責任を他人に差し出すつもりはない」

「どんなに優秀だろうと、自分のためにルールを捻じ曲げようとする人を信用できません」

「だいたい、優秀なら何やっても良いと考えてる奴は、たいてい優秀じゃない」


 若きサンタ達は明確に鬼影に対して拒絶の姿勢を見せた。


「小僧、小娘の分際で……! いいだろう、好きにしろ。私の価値を嫌というほどわからせてやる!」


 それから鬼影は第6部隊をサボタージュさせるというあまりにも幼稚な手段に出てきた。

 若きサンタ達はもとより覚悟の上だった。今回は4人チームを組むというのも幸いして、どうにかノーム部隊無しでもアドベント期間は進められる。

 当然、面白くないのは鬼影であった。


「ここまでやっても理解しないとは。だったら最終手段だ。山田! あいつらに嘘の出現ポイントを教えろ!」

「隊長!? いくら何でもそれはまずいですよ。上にバレたらあなただってただじゃすみませんよ」

「私の優秀さを持ってすれば偽装工作など容易いし、上層部には私の父もいる。その気になればお前を更迭させる事だってできるんだぞ。それが嫌なら私の指示に従え」

「……」

「返事は!?」

「了解しました」


 山田は苦い表情を浮かべながら命令を受け入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る