第3話
1549年12月24日 九州・薩摩藩某所。
当時、薩摩藩を統治する島津家は内部で対立が起きていた。
本家に仕える重臣に裏切りの疑惑が上がる。分家に寝返ろうとしている気配があった。
本家はある忍者に暗殺命令を出した。暗殺の標的は裏切りの重臣本人ではなく、彼の長男だ。幼い世継ぎを殺す事で脅迫し、もって裏切りを止めさせようとするのが目的だった。
忍者は難なく重臣の屋敷に忍び込み、標的の目の前までたどり着く。
まだ幼い少年はこれから待ち受ける運命を知らず、すやりすやりと安らかに眠っている。
忍者は懐からクナイを取り出し、少年に振り下ろそうとする。
「……駄目だ。もうできない」
忍者にとって子どもを殺そうとするのは今回が初めてではない。これまで何度も殺してきた。だがそのたびに、彼の心は摩耗していた。良心を氷の中に閉じ込めていたはずだが、子どもを殺すたびに、その良心が悲鳴を上げる。
結局クナイを振り下ろせなかった。限界だった。器から水があふれるように、もう耐えられない。
忍者は屋敷から立ち去った。これからどうするべきか考える。
いや、始めからするべき事は決まっている。
「腹を切ろう」
それが自分にとって相応の報いであると忍者は考えた。
その場に座り込み、いざ切腹というその時、地面に邪悪な光を放つ円形の紋様が浮かび上がった。
紋様からコウモリのような翼をはやした黒い妖怪が現れた。
「大人か」
黒い妖怪が忍者を見て舌打ちする。
「お前は見逃してやる。用があるのは子どもだからな」
黒い妖怪が重臣の屋敷の方を見る。
「匂うぞ。子どもの匂いだ。まさに食べ頃じゃないか」
忍者は手裏剣を投げた。
黒い妖怪は腕で防御した。手裏剣は鉄のよう硬い肌に弾かれる。
「何のつもりだ?」
「子どもは殺させない」
妖怪の言葉を耳にした時、忍者の中にあった心が動いた。それまで凍り尽かせていたものが、火のように熱を帯びる。
忍者は妖怪に立ちはだかる。
「人間は愚かだ」
黒い妖怪が手のひらから氷の矢を撃ち出す。
予想外の攻撃だが忍者に驚きはない。妖術くらい使って当たり前だろう。
速度は遅く、狙いは甘い。攻撃を的確に避けて黒い妖怪に肉薄した。
下顎に拳を打ち込む。手応えが明らかに人間のそれとは違う。忍者はすかさず距離を取った。
直後、妖怪が氷の短剣をなぎ払う。あのまま攻撃を続けていれば首を切り飛ばされていただろう。
忍者は八方手裏剣を投げる。
脇腹に刺さった。恐ろしく硬いのは上腕のみだと忍者は察する。
「ぐ、毒か!」
投げたのは毒殺用の手裏剣だ。
「これで殺せると思ったのか? 少しばかり気持ち悪いだけだ」
熊すら即死させる猛毒を妖怪は耐えた。
忍者にとってこの毒は唯一の勝ち目だった。
相手は尋常ならざる存在だ。自分が持ちうる他の手段では倒せないかもしれない。
だが逃げつもりはなかった。どうせ腹を切ろうとしていたのだ。ならば子どもを守るために戦って死んだ方が良い。
それが全て無駄な努力だと忍者は承知していた。きっと自分は負けて、あの屋敷にいる幼子は食われるだろう。
それでも逃げない。なぜなら、蘇った良心は逃げるなと言っている。結果の成功失敗は関係ない。
忍者は妖怪に立ち向かった。どういうわけか戦いが長引くほど妖怪は焦るようになる。
「これ以上、構っていられるか!」
妖怪は忍者を倒すよりも、屋敷にいる子どもを喰らうのを優先しようとした。
「逃げるのか!?」
忍者の放った鋭い言葉は、妖怪を縫い付けるように立ち止まらせた。
「なんだと?」
「妖怪というのは思ったほど恐ろしくないな。少し手こずっただけで、もう勝てないと怖じ気づく!」
「だったら望み通り殺してやる!」
妖怪が再び忍者を攻撃する。
挑発した分、攻撃は苛烈だった。忍者はより苦しい戦いを強いられるが、それで構わなかった。
やがて妖怪が現れてから666秒が経つ。
「しまった、時間が! 現界を維持出来なくなる!」
妖怪はまるで霧が晴れるように消えていった。
「驚いた。サンタでもない者が悪魔と戦って無事だとは」
背後からの声に忍者が振り向くと、そこには異国の男がいた。最近になって、異国の説法を広めに来た者達がいるのを思い出す。
「なぜ悪魔と戦った?」
「悪魔? あの妖怪の事か。あいつは子どもを食うと言った。見過ごせなかった」
忍者は悲しげに「俺にそんな資格なんてないのに」とつぶやく。
「どういう意味か?」
「俺は命令で何度も子どもを殺した事がある。いまさら子どもを守ったとして罪滅ぼしにはならない」
忍者の仕事は常に非情だ。敵だけでなく、守るべき人々すら殺した。そうする事でより多くの守れると信じて。
「君、名前は?」
「名は無い。俺は生まれた時から忍者として……影に生きて忠義を果たす者として育てられた。もっとも、今は果たすべき忠義を失っているが」
「ならば、父なる神に忠を尽くし、無垢なる子どもを守るために戦わないか? 君にはサンタクロースになれる才能がある」
「さっきも言っただろう。サンタクロースがなんなのか分からないが、俺にはその資格はない」
だが異国の男は「あるとも」と力強く言った。
「資格と言うよりも義務と言うべきだろう。君は君が殺してきた以上の子ども達を助けなければならない。それで罪が消え、君の魂が天国に行く事はないだろう。しかし父なる主は君がサンタになる事を望まれる」
異国の男の言葉は不思議と忍者の心を引き寄せた。
「私に付いてきてくれないか、名も無き男よ」
どう足掻いたとしても、自分は地獄に落ちると忍者は分かっていた。
しかし、それは子どもを守らない理由にはならない。
「分かった。あなたについて行こう。名を聞いても良いだろうか?」
異国の男は穏やかに名乗った。
「ザビエル。フランシスコ・ザビエルだ」
その後、名も無き忍者はザビエルから洗礼を受け、ベルナルドという名を授かった。
ベルナルドはザビエルから多くを学んだ。
サンタは子ども達に贈り物を届ける伝説上の人物とされているが、実際は密かに悪魔と戦う戦士だと言う。
悪魔はクリスマスと呼ばれる日に地獄から子どもを喰らうためにやってくる。
西洋の妖怪は一時的にしか現世にいられないが、子どもを喰らうと受肉し、ずっと現世にとどまれると言う。
サンタの真の贈り物とは、子どもが悪魔に脅かされず安らかに眠れる夜なのだ。
ベルナルドはザビエルの表向きの仕事を手伝いつつ、サンタとしての修業も受ける。
ベルナルドがサンタとして始めて悪魔の討伐を成功させた後、彼はローマへと渡った。時のローマ教皇パウルス4世の呼び出しを受けての事だった。
「汝が身につけた技をサンタ武術の一つとして認める」
これがローマを訪れた最初の日本人、「鹿児島のベルナルド」の真実である。
●
現代 鹿児島県・聖ベルナルド学園
礼拝堂に女子生徒がいた。
彼女は手裏剣を十字架に見立てて祈りを捧げていた。
彼女は赤木鳩美と言う。
これまでの物語を通じ、歴史の真実に触れてきた読者は、すでに彼女の正体に気づいておられるだろう。
そう、鳩美は父なる主に仕える忍者にしてサンタクロースの一人である。
「鳩美さん、今年のクリスマスであなたが戦う場所が決まりました」
先ほどまで鳩美一人だったが、いつの間にか背後に年配の修道女が突然現れる。
扉を開く音どころか足音すら聞こえなかった。
それも当然で、修道女もまた忍者である。鳩美の師匠なのだ。
鳩美は立ち上がり、師匠と向き合う。
「どこでしょうか?」
「ここです」
修道女は足元を指差す。
「聖ベルナルド学園はサンタクロース忍法の開祖が初めて悪魔と戦った場所に建てられました。そこに再び悪魔が現れようとしています」
ここは表向きはミッション系の全寮制学校だが、その正体はサンタクロース忍法の秘密学校である。
「あなたは私の教え子の中で一番の才能があります。おそらく開祖を超えるでしょう」
「先生でも冗談を言う時があるのですね」
鳩美は師匠からの絶賛を奥ゆかしく受け取った。
「すぐにクリスマスの準備をします」
サンタは悪魔を倒す戦士だ。その戦いは常に命懸けとなる。ありとあらゆる準備が必要だ。人々を守る戦いは、悪魔との直接的な戦いだけではない。
「まだ伝える事があります。今回は悪魔が同じ場所に二人現れる予兆が観測されました」
「過去に例の無い事態ですね」
毎年悪魔は多数が出現するが、全員別々の場所だ。おそらく狩り場の取り合いを避けるためだと思われている。
「でも観測の結果に間違いありません。ここ十数年、悪魔は全て討伐ないし撃退されていますから、向こうもやり方を変えてきてるというのが上の考えです」
「悪魔一人につきサンタ一人が原則です。なら、私以外のサンタも戦いに参加すると言う事ですか?」
「そうなります」
修道女が「お入りなさい」と言うと、鳩美にとって見知った少年が礼拝堂に現れた。
「増援は鋼治さんだったのですね。お久しぶりです」
「サンタの本修業以来だな」
その少年は黒井鋼治。サンタクロース槍殺法の使い手である。
彼とはフィンランドのコルヴァトゥントゥリで行われる本修業で知り合った。
サンタの修業は二段階に分けられる。
最初は師匠の下でサンタ武術を学ぶ。
武術を身につけた後は、真のサンタになるための本修業を受ける。
この本修業はあまりに過酷で、10年に一度の天才と呼ばれるほどの者ですら、才能が足りないと落第してしまうほどだ。
それほどの修業を鳩美は乗り越えたが、そこには友人達の存在が大きい。
美代にジョン、そして目の前にいる鋼治とともに切磋琢磨し、励ましてあいながら修業を乗り越えて真のサンタになったのだ。
「鋼治さんなら、安心して背中を任せられます。共に戦えるのを嬉しく思います」
お世辞ではなく、心から素直な気持ちで鳩美は言った。
「俺もだ。頼りにしている」
鋼治は笑みを浮かべながら言った。
●
アドベント期間と言うというものがある。これは11月30日の聖アンデレの日に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの4週間を指す。
サンタにとって、このアドベント期間は悪魔と戦うための準備期間である。戦場となる地形の把握、悪魔を逃がさないためのクリスマス用トラップの敷設、作戦の立案などと行う。
また今回は歴史上、二人のサンタが協力して戦う。二人は連携の訓練もした。
一日、一日とクリスマスが近づく中、鳩美は毎日祈りを捧げた。これまで彼女が祈りを欠かさなかった日など無い。
そのような鳩美の姿勢に、鋼治は少なからず関心を持ったようだった。
「なあ、鳩美にとってお祈りって何だ?」
鋼治が質問をしてきたのはクリスマスイブの早朝、できる限りの準備は済ませており、後は悪魔が現れるまで待機している時だった。
ごく稀に心ない現実主義者から意地の悪い言葉を投げつけられる事はあるが、鋼治の問いには相手を侮辱してやろうという浅ましい気持ちはかけらもなかった。
「俺はサンタだが、今まで宗教について深く考えた事はなかった」
意外な事だが、現代のサンタの多くが信徒というわけではない。むしろ鳩美のほうが少数派だ。
サンタは悪魔を倒す超人の戦士であるため、宗教家達は彼らの戦闘力を人間同士の戦いで利用しようと目論む事があった。そのため現在のサンタクロース組織は宗教からは一定の距離を置いている。
鳩美が父なる主に仕えているのは別にサンタだからではなく、単に信仰の自由によるものだ。
「あんたは現実的な考えを持ってる。それでも真剣に祈ってる。信仰心を持った事がない俺では見えない、なにか大きな理由でもあるのか?」
「私自身、そう敬虔な信徒ではありませんよ」
そう前置きをして鳩美は言葉を続ける。
「私の祈りは、父なる主が見守ってくださるのだから頑張ろうという気持ちを、再確認するためのものです」
「努力するための心の支えって訳か」
「ええ。鋼治さんもそういうのをお持ちでしょう? でなければサンタになるための厳しい修業に耐えられるわけがありません」
「まあな」
その時、鋼治の目がかすかに揺れた。思い浮かんだ言葉を口にするべきか悩んでいるようだ。
彼は言葉を出す方を選んだ。
「俺の死んだ妹は、10年前に悪魔に襲われて食い殺された」
「では仇討ちのためサンタに?」
鋼治は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「最初はな。でも3年前にその悪魔が発見されて討伐された。仇討ちの必要がなくなって、当時の俺は後の人生をどうしようか悩んでいた。そして悩んだ末、妹に恥ずかしくない男でいようと思った」
「鋼治さんも、自分以外の誰かに対して誠実であろうとしているのですね」
「そうだな」
鳩美は鋼治に共感した。父なる主だけでなく鋼治が見守っているのなら、今夜の戦いは必ず勝つと決意した。
鋼治は鳩美に共感した。妹だけでなく、鳩美に対しても恥ずかしくない男として必ず悪魔を倒すと決心した。
二人に友情が以前よりもさらに深まった。
そして二人のサンタは悪魔との戦いに臨む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます