第2話
子どもがサンタクロースに会いたいと思うのは自然の事だ。
幼きジョン・サンダースはベッドの中から窓に映る月を見上げ、サンタがやってくるのを今か今かと待っていた。
会ったら何を話そうか。トナカイが引く空飛ぶそりに乗せてもらえるだろうか。そのような事をジョンが考えているうちに、12月24日から12月25日へ移り変わっていった。
物音が聞こえた。ジョンはサンタが来たと思った。家には煙突がないから、玄関から入ってきたのかもしれない。
数日前に聞いた友達の言葉を思い出す。サンタなんかいない、プレゼントは親が用意している。
きっとそれは半分だけ正しかったのだとジョンは考えた。つまり親がサンタからプレゼントを受け取って、自分たちの枕元に置いているのだろう。
扉越しに声が聞こえる。父と母の声と、別の誰かの声。
「サンタさん!」
ジョンは部屋を飛び出した。
彼が最初に目にしたのは赤色だ。サンタの衣装ではない。惨たらしく体を引き裂かれた両親の血の色だ。
悪魔がいた。それは人の心臓を貪り食っている。体中に銃痕があり、深く傷ついていた。 ジョンと悪魔の目が合う。悪魔はニヤリと笑った。
「大人は駄目だ。魂が淀んでいるからほとんど足しにならない」
悲鳴を上げられないほどの恐怖で、ジョンは動けなくなる。
「やっぱり、喰らうなら子どもじゃないとなぁ!」
悪魔がナイフのような爪を持つ腕を振り上げたと同時に、銃声が轟いた。
動きを止めた悪魔の眉間には風穴が空いている。それは壊れた人形のように倒れた。
ジョンは悪魔を背後から撃った人物を見る。
拳銃を握ったサンタだ。
絵本や広告のイラストで描かれているような、髭をはやした恰幅の良い老人ではない。歳は30代くらいに見え、服の下からでも分かる鍛え抜いた体は、まるで戦士のようだった。
辺り一面が血溜まりになったこの場所で、彼が着るサンタ衣装の赤だけは優しい色をしていた。
●
ジョンは目を覚ます。過去の体験を克明に再生した夢だった。
18年前のあの日、ジョンは悪魔を倒したサンタに引き取られ、クリスマスの真実を知った。
ジョンはサンタを志した。
自分のような子どもを出さないとする使命感を心の支えにして、過酷な修業を乗り越えた。
そして今年が初めての実戦となる。
ジョンはベッドから起き上がり窓の外から庭園を見る。人の手から離れて半ば野生化した花々は全てが赤い。
この土地はどんな花を植えようと、本来の色と異なって赤色になる。ジョンが一時滞在しているルビーフラワー館もその土地柄に因んで名付けられた。
「血と恨みの色か」
この土地の真実を知っているジョンはふとその言葉をつぶやく。
かつてここは白人至上主義を掲げる
KKK過激派は平等主義と人権主義の発展によって駆逐された。それから時が流れ、この土地のおぞましい歴史が忘れ去られた頃、KKK過激派の拠点跡地にこのルビーフラワー館が建てられた。
館の住民たちはしばらくは平穏に暮らしていたが、数ヶ月前に遺産相続をめぐる凄惨な連続殺人事件が発生する。それからは館に定住するものはおらず、空き家のままだ。
ここまで”厄”が溜まっている場所はそうはない。悪魔が地獄から現世へ渡るには理想的なポイントと言えよう。
サンタクロース組織でも今年のクリスマスは間違いなくここに悪魔が現れると予想し、ジョンを派遣したのだ。
ジョンは館に寝泊まりしてクリスマスに向けた準備を進めた。
数日をかけてこの館の構造や、周辺地域の地形を自らの目で見て熟知できるよう努めた。
すでに彼は地元民と同等の土地勘を手に入れていた。
後は戦いに備えて、最後の準備をするだけだ。
ジョンはアタッシュケースを開ける。中には二丁の自動拳銃が収められていた。2つで1組のそれは名をニコラウスX7という。
養父となってくれたサンタから、ジョンはサンタクロース銃殺法を伝授されている。
この流派はビリー・ザ・キッドを開祖としている。
表向きの歴史において、彼は21歳の時に、保安官パット・ギャレットの手によって命を落としたとされている。
無論、真実は異なる。
ギャレットは保安官であると同時に、サンタを支援するノーム部隊の一員であった。
当時の彼は新しい武器である銃を悪魔討伐に役立てられないかと考えていた。
しかしギャレットには自力で銃を使ったサンタ武術を編み出すほどの才覚は持っていなかった。
そこで射撃の天才であるビリーに取り引きを持ちかけた。その才能を活かして銃を使ったサンタ武術を編み出せば、命は取らない。それがこれまで犯してきた罪に対する贖罪だと。
この取り引きを受け入れた彼はサンタクロース銃殺法は編み出した。
そして悪名を轟かせたアウトローは子どもを守るサンタとなり、悪魔と壮絶な戦いを繰り広げたという。
ジョンは銃を分解し、部品の一つ一つを点検し、丁寧に油を引いていく。師から最初に教わったのは銃の整備だ。それも徹底に。完璧にできるまで技の一つも教えてもらえなかった。
二丁とも整備を終え、動作確認のためいいくつかの技の型を取る。
サンタクロース銃殺法は銃の進歩とともに技が劇的に変わっている。
もはやビリー・ザ・キッドが編み出した技は現代では使われていないが、彼の射撃哲学は今もなお受け継がれている。
修業を初めたばかりの頃を思い出す。あの頃の自分は何も分かっていなかったとジョンはため息交じりに苦笑する。派手な技を教えてくれとせがむたびに、叱られていた。
コンコンと扉をノックする音。二丁の銃をそれぞれのホルスターに収め、扉を開けると髭をはやした50歳近くの男が2つの紙袋を小脇に抱えて立っていた。
「ライアンさん、どうしてここに?」
「ここを受け持つノーム部隊から増員要請があってな。それで手を貸しに来たんだ。そしたら担当サンタがお前だって聞いたんで、一緒にメシでもと思ってな」
ライアン・ブラッドは2つのうち片方の紙袋をジョンに差し出す。
中身はクラブハウスサンドだ。トーストしたパンに挟まっているのはみずみずしいレタスとトマト。かりかりに焼いたベーコン。そしてクリスマスには欠かせないターキー。
「ああ、久しぶりだな」
悪魔との戦いを目前にして、緊張でささくれだったジョンの心が和らぐ。
「俺が独り立ちする前は、稽古の後によく作ってくれましたね」
ライアンこそジョンの親代わりにしてサンタクロース銃殺法の師匠だ。
ソファーに腰掛け、ジョンは早速かぶりついた。口の中いっぱいに懐かしい味が広がる。ライアンももう一つの紙袋から自分の分を取り出して食べ始める。
クラブハウスサンドをじっくり味わいながら、ジョンはライアンには心から感謝した。
師匠としてのライアンは厳格であったが、厳しいだけの男ではなかった。今こうして一人前の男になれたのも、彼が温もりや優しさを与えてくれたおかげとジョンは確信している。
思い出のクラブハウスサンドのおかげで活力がみなぎってきた。これから現れるであろう悪魔を絶対倒す、必ず勝ってやると勇気が湧いてくる。
「なあ、ジョン、俺も一緒に戦う」
ライアンのその一言に、ジョンは目にも留まらぬスピードで銃を抜いてライアンの眉間を狙う。
ライアンも即座に反応して銃を抜くが、ジョンと比べてわずかに遅い。
「それで悪魔と戦えると、本気で思っているんですか?」
ジョンは修業時代の事を思い出す。突然銃を突きつけるのは、いつ何時でも相手の動きに即反応する力を養うためのライアン独特の修業法の一つだ。
「力が衰えたからライアンさんは現役を退いてノーム部隊に移ったんでしょう? 悪魔は俺に任せて、今の自分の仕事に専念してください」
「……俺は」
かつての師とは思えぬほど弱々しいライアンの声に、ジョンはハッと息をのみ、銃を下ろす。
「お前を死なせたくない。俺はお前の両親を救えなかった。これでお前まで死んでしまったら、罪悪感に耐えきれない」
ライアンの目に涙が浮かんでいる。
ジョンも泣きたくなるくらい悲しくなった。昔は無敵のサンタだった養父が今となっては心身ともに衰えている。
同時に彼が自分を案じるのは当然とも思っていた。
「俺を息子のように見てくれるのは感謝しています。けど、18年前のあの時から俺はもう火がついてしまった。悪魔が子どもを喰らって、我が物顔でこの世界を闊歩しようとしている。冗談じゃない」
ジョンは吐き捨てるように言った。
「俺は悪魔と戦い続ける。サンタをやめるのは、死ぬか戦えなくなるかのどちらかだ」
「妥協も必要だぞ」
「たとえ死んだって俺は絶対に妥協しない」
時間が凍りついたような静寂の後、ライアンは静かに口を開いた。
「分かったよ。一人前の男が覚悟を決めているんだ。俺からはもう何も言わない」
ライアンの目は父親が息子を見るものではなくなった。男が男を見る目だ。
「俺は持ち場に戻る。ジョン、後は頼んだぞ」
「任せてください。それとクラブハウスサンド、美味かったです。”また”作ってください」
「良いとも。腕によりをかけるよ」
ライアンは立ち去り、日が落ちた。クリスマスの夜が訪れる。
ジョンはサンタクロース衣装に袖を通し、予備の弾丸を入れた白いバックパックを背負う。
後数分で日付が変わる。ルビーフラワー館のロビーに立つジョンは、自分と同じ日にサンタクロースとなった同期たちに思いを馳せる。
みんな自分と同じ様に、今こうして悪魔を待ち構えているだろう。
「全ては安らかな夜のため」
ジョンはサンタの使命を口にする。
「ホー、ホー、ホー」
サンタ超人化呼吸法により、ジョンの身体能力が爆発的に強化される。
12月25日になった。毒々しい赤色に輝く魔法陣が生じる。ジョンは左右のホルスターから銃を抜き、安全装置を外す。
人の形に似た異形の影を見た瞬間、ジョンは銃を連射する。
出現の直後が悪魔を倒す最大のチャンスだ。敵が3流ならこれを逃さなければ確実に仕留めきれる。
だが、ジョンの前に現れた悪魔は3流ではなかった。
鈍い輝きを放つ何かが、悪魔の前で乱舞し銃弾を弾き飛ばす。
「案の定、忌ま忌ましいサンタクロースが待ち構えていたか」
ヌンチャクだ。
悪魔は地獄の鉄で作られたヌンチャクを使ってジョンの銃撃を防いだのだ。
悪魔は生まれ持った超自然の肉体をより活用するために武術を覚える。ヌンチャクで戦う悪魔がいるのは、常識と言って良いくらい当たり前の事なのだ。
ヌンチャクのリーチは厄介だ。まずは様子をうかがうため、ジョンは距離を保つ。
「ホアタァ!」
シャウトとともに悪魔がヌンチャクを振るうと、その先端から電撃弾が放たれる!
とっさに避けたジョンの横をかすめた電撃弾は壁をくり抜くように貫通して屋外へ消えていった。
悪魔は電撃の魔法を使ったのだ。しかも余計な破壊で威力を無駄にしないよう凝縮している。
「お前、若いな。新米か? せっかく現世に来たってのに、相手に不足があるんじゃ興ざめだ」
「悪かったな」
悪態をつくジョンの頬を冷や汗が伝う。
相手のヌンチャクさばきと魔法の制御は間違いなく一流だ。
「こいつはさばけるかな?」
悪魔はヌンチャクを振り回し、電撃弾を連射する。まるで重機関銃だ!
超人化呼吸法による五感の強化と極度の集中力によって、ジョンの時間感覚が鈍化する。加速した意識が肉体の速度を超え、まるで水飴の中を泳いでいるようにスローモーションとなる。
ジョンは発砲する。弾丸は悪魔ではなく、彼が操るヌンチャクに命中した。そしてヌンチャクの先端から発射される魔法電撃弾の軌道がそれた。
悪魔が不愉快そうに眉をひそめるのを見つつ、ジョンは1歩踏み出しながら再び撃った。 銃弾がヌンチャクにあたって電撃弾をそらす。
それを繰り返しながらジョンは悪魔に接近した。
途中、弾丸が切れたら、ジョンはすかさず銃を背中側に回す。バックパックに付属するロボットアームが即座にリロードした。
やがて射撃の間合いから、格闘の間合いへと入った。
悪魔は攻撃を切り替えた。電撃弾ではなく、帯電したヌンチャクを叩きつけてくる。
ジョンは片方の銃を撃ってヌンチャクを弾きつつ、もう片方の中で悪魔を攻撃する。
だが、悪魔もヌンチャクでジョンの銃を叩いて外側へそらす。
銃の火とヌンチャクの雷が無数に生じては消える。まるでその場に極小の嵐が生まれたかのようだ。
刻一刻と時間が過ぎていく。悪魔とジョンから余裕が消えていく。
悪魔は子どもを喰らわなければ、現界から666秒後に地獄へ強制的に戻される。悪魔にとってそれは敗北であり屈辱だ。
同時にサンタにとっても同じ意味となる。悪魔を取り逃がしてしまえば、1年間も鍛錬する時間を与えてしまう。今年殺さなければ来年はより強くなって戻ってくる。
悪魔が床を蹴り、大きく後ろへ飛ぶ。
また電撃弾を連射するつもりだろうか?
ジョンは銃撃の手を止めずに追撃しようとする。
悪魔は電撃弾を撃たなかった。代わりにヌンチャクで銃弾を防ぎつつ、魔力を貯め始めた。
大技を使うつもりだと判断したジョンはリロードして備える。
「アタァ!」
悪魔の全身が雷に包まれる。あれではうかつに接近できない。
意識を集中させ、ジョンは五感を研ぎ澄ませる。悪魔の筋肉のわずかな動きすら見落とさず、次の攻撃を先読みしようとした。
しかし悪魔はジョンの予想を完全に裏切った。窓を破って外に出たのだ。
想像を絶する速度で悪魔の姿が消える。
敵が使った魔法は、電撃の魔法の奥義とされる瞬電の型だ。あろうことか、それを逃げるために使った。
「くそっ! なんて思い切りの良いプライドの無さだ!」
悪魔の価値観からすれば、人間から逃げるのは屈辱だ。にも拘わらず、ジョンの前から逃げたのだ
ルビーフラワー館から3キロほど離れた場所に小さな集落がある。事前調査で数人の子どもも確認されていた。
悪魔はその子らを喰らうつもりなのだ。
●
電撃の魔法・瞬電の型は超常的な悪魔の身体能力をさらに強化する効果を持つが、同時に諸刃の剣でもあった。
「ああ、クソ。痛え」
思わず声に出るほどの痛みが悪魔を苛む。電熱で内臓が焼かれているのだ。魔法はすでに解けている。
電撃の魔法の奥義を逃げるために使った。この事実が知られれば地獄ではあざ笑われるだろうが、もとより故郷に戻るつもりはない。
この悪魔にとって何よりも優先するのは子どもを喰らう事だ。子どもを喰らい、現世に永住できるようになれば、人間の魂は食べ放題だ。
悪魔の生は飢えとの戦いだ。魔力で活動する悪魔は食事をとらなくとも死なないが、しかし飢えは人と変わらずにある。
その飢えを満たせるのは人の魂のみ。だが地獄に落ちてくる悪人の魂だけでは、全ての悪魔を満たせない。
全ての悪魔は現世に渡って、飢えない日々を夢見る。
不意に、足裏から硬い感触が伝わってくる。
地面が爆ぜた。悪魔は空中に放り投げられ、背中をしたたかに打つ。
「サンタのくずめ。こんな卑怯な罠を仕掛けやがって!」
悪魔の魔力を感知した時のみ起爆するクリスマス用の地雷だ。サンタクロース組織ではこのような兵器も開発されている。それをライアンたちノーム部隊が敷設した。
喘ぎながら悪魔は立ち上がり集落へ向かう。
新しい痛みが悪魔の飢えを刺激する。
悪魔はついに集落に足を踏み入れた。飢えで鋭敏化された嗅覚は、目の前の家に子どもがいると悟る。
「ああ、子ども! 子どもの魂! 穢れてない無垢な魂! 全てを投げ打ってでも欲しかったもの!」
悪魔の口から唾液が垂れる。
子どもの魂は一体どんな味なのだろうか。噂によれば甘いという。甘いとはどういう味なのだろうか?
生臭くてエグみのある悪人の魂しか口にしていない悪魔は、甘いを知らない。
これからそれを味わえる。高揚感で心臓の鼓動が速まる。
だが、その鼓動は唐突に停止した。背後から撃ち込まれた、1発の弾丸によって。
●
スコープ越しに悪魔が倒れるのをジョンは見た。
彼は拳銃ではなく対物狙撃ライフルを構えていた。名をベルツヘルムZ9という。
サンタクロース銃殺法は何も拳銃を使った格闘に限らない。狙撃の技も編み出されている。
狙撃は特に徹底してライアンに叩き込まれた。ジョンが自分と同じ過ちを犯さないよう、万が一悪魔が逃げても、誰かが犠牲になる前に射殺するためだ。
「こちらジョン。悪魔を倒した。死骸の回収と現場の隠匿を頼む」
通信機を使ってノーム部隊に連絡する。
『了解した。後はこっちに任せて休んでいろ』
応答したのはライアンだった。彼の声でジョンは緊張をとき、安堵する。
ジョンはもう一度、ベルツヘルムZ9のスコープを覗く。その先には、悪魔が襲撃しようとした住宅がある。窓からは子どもがすやすやと眠っている姿が見えた。枕元にはその子の両親が置いたであろうクリスマスプレゼントがある。
それを見たライアンは誇らしい気持ちになった。
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