第5話 閃光のウォルト

 スプラッシュヒルは、小高い丘の形をしている。アトラクションのほとんどは屋内のルートをボートで移動するだけなのだが、最後の大落下だけは、屋外にでる。外の高い景色を見ながら、滝壺へと落ちていくのだ。最大角度45度、落下距離は約16メートル。落下速度は時速60キロメートルほどで、パークでも一、二を争うスリリングなアトラクションである。


「お客様にお知らせします。現在、スプラッシュヒルはシステム調整のため運休しております。再開の目処は立っておりません。誠に申し訳ございません」


 スプラッシュヒルの前で、マイクロフォンを持ったスタッフがアナウンスを繰り返していた。

 ボブは暗雲立ち込めるスプラッシュヒルを見上げていた。私は彼の肩を叩いた。


「ウォルト」

「ビリーは見つかったか?」

「連絡があったんだ。スプラッシュヒルの中で閉じ込められているって」

「ラッキーラビットの言う通りだな」

「どういう意味だい?」

「君は知らなくていい! 安心したまえ。君の大切な人はきっと助かるよ」

「ありがとう、ウォルト」


 雨が降りだした。私の中で、あの日のことがよみがえる。


「ウォルトはどこに行くの?」

「古い友達に会いに行く。彼を止めなくては」


 スプラッシュヒルのどこかから、ウフフフフ、とラッキーラビットの笑い声が響いた。人々はどよめき、かなりの人たちが、ボブが持っていたのと同じ板をスプラッシュヒルに向けた。


「さあ、意地悪で偉そうなビリーくん。君を生き返らせはしないぞ。この恨みとつらみを君にぶつけて、Dパークでぼくたちの悪口を言ったことをずぅーっと後悔させてやる。今、君は丘の頂上目指して昇ってきているな。ぼくにはよぉーく分かるんだよ。ここにいる君の大切な人にも思い知ってもらおう。ぼくたちの怒りと! 悲しみと! 恐怖をね。ウフフフフ……」


 大落下のレールの頂上に、ラッキーラビットが現れた。瞳がチカチカと目まぐるしく色を変えている。完全にキマっているようだ。


「やめろ! ラッキーラビット!」

「ウォウ! 素敵な歓声ありがとぉー!」


 ラッキーラビットはこちらに手を振る。


「さあ、聞こえてきたよ。一艘のボートがグングンと上がってくる音がね……」


 ベルトコンベアで引き揚げられたボートが坂の頂点で止まった。ボートの前面に、白人のガッチリした男が縛り付けられていた。もがいているが、逃げられそうには見えない。

 突然、体の力が抜けていくのを感じた。膝をついて見上げるのが精一杯だ。ビリーが戻ってきたことで、私の存在が弱まってきている。


「時代遅れのアニメ野郎が……! こんなことをして、ただで済むと思うなよ!」


 ビリーが怒鳴り、ラッキーラビットにつばを吐いた。

 ラッキーラビットは身軽に躱し、どこからか棍棒を取り出した。セル画のような質感に見える。それを振りかぶり、ビリーの脇腹を打った。野太い「んー!」という叫びが聞こえた。


「ウフフフフ……! 痛いかい? 痛いだろう! ぼくの苦しみはこんなものじゃないぞ!」

「やめて、ラッキーラビット! 君を嫌いになりたくない!」


 ボブが叫んだが、ラッキーラビットは二発、三発と軽快に棍棒でビリーを叩きつける。


「ぼくは君が嫌いだ黒人ホモ野郎! 君たち黒人が下手な抗議をしなければ、ぼくの映画は今でもたくさんの人に見てもらえたのに! それを君たちは! ぼくを一体なんだと思っているんだ!」


 ラッキーラビットは棍棒をこちらに投げてきた。ボブは咄嗟にしゃがんで躱した。


「やめてくれ、ラッキーラビット! 俺のことはいい。だが、ボブには手を出すな!」

「ビリー、君は何か言えた立場なのかいっ!」


 ラッキーラビットは、またどこかからハンマーを取り出してきた。それでビリーの脛を強く叩く。ビリーが痛ましく叫んだ。


「見ているかいウォルト! こいつを生贄に、君を永遠にぼくたちの仲間にしてあげるよ! 決して死ぬことはない! ここで一緒に楽しく暮らそう!」


 ビリーの叫び越えが響くたびに、私は抜けていった力が回復していくのを感じていた。私は、ラッキーラビットの投げつけた棍棒を拾った。ラッキーラビットを止めなくてはならない。私はその一心で、棍棒をラッキーラビットめがけて放り投げた。棍棒は、予想以上の勢いで回転し、高笑うラッキーラビットの顔面に直撃した。


「ラッキーラビット、そこを動くな!」


 私はスプラッシュヒルの水流に足を踏み入れて、彼の元へと向かった。

 ラッキーラビットは言っていた。今のウォルトはぼくたちと同じだ、と。

 私は膝を思い切り曲げてバネのように弾ませ、その勢いを使ってひと飛びでラッキーラビットのもとへ着地した。


「ウォルト!?」

「ラッキーラビット。ビリーが息絶える前に、誓約させるんだ。Dパークで君たちの居場所を絶対に奪わない、とね」


 私がそう言うと、ビリーは息も絶え絶えに「ふざけるな」とこぼした。

ラッキーラビットがハンマーを振りかぶり、ビリーは身構えた。私はラッキーラビットを制止させ、ビリーを見た。


「ビリー君。私が誰か分かるかね」

「あなたは……ウォルト!? まさか……」

「何を驚く? ここは夢と魔法の世界だ。それは君の体がよくわかっているだろう?」

「はぁ……それは……」

「私からビリー君に頼もう。ビリー君、彼らを大切にしてやってくれ。君にも聞こえるはずだ。君の大切な人だけでなく、ここにいる多くの人たちが、ラッキーラビットや彼らを愛していることを。そしてみんなで集まって、一緒に凧を揚げよう。美しい空の下ね」


 私はラッキーラビットに目配せをした。彼は息を飲み、ビリーの言葉を待った。


「……分かりました。私は、彼らを大切にします。そうするよう、会社に掛け合うように動いてみます……」


 ラッキーラビットはハンマーを捨てて、飛び跳ねた。見届けた人たちも結構いる。拍手をする人もいた。私はラッキーラビットにウィンクをした。雨が止み、雲の切れ間から光が差し込んだ。

 その時、風が吹いた。

 ビリーを乗せたボートが、僅かに前に傾いた。このままでは落下する。


「え、嘘」


 ビリーが力なくつぶやいた。ボートは完全に傾き、滝壺への自由落下に入る。私はビリーに覆いかぶさった。落下の様子を収める撮影用のフラッシュが、私を打った雷のように閃いた。

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