第4話 ラッキーラビットとスプラッシュヒル
スプラッシュヒルは、トーマスおじさんが子どもたちに語り聞かせた物語を下敷きにしたアトラクションである。私は、このアトラクションが子どもたちを心底喜ばせるものになると信じて止まなかった。
まさか、既に完成しているとは思わなかった。
そして、凧を上げたカルフォルニアのDパークでは既にクローズしているとも思わなかった。これは何かの夢だ。予知夢とか、イマジネーションの神が私に見せている幻かもしれない。
だが、それ以外の可能性もあるのかもしれない。
それはきっと、いま私の目の前に現れたラッキーラビットが教えてくれるだろう。
お客様と写真を撮ったり、ハイタッチをしたりしてラッキーラビットの姿が、そこにはあった。彼は囲ってくる人たちの対応をしながら、ほんの一瞬だけ私の顔を見た。
私は旧友に再会するときの何とも言えない気持ちに駆られた。それと同時に、開けてはいけない蓋ががたがたと揺らぐような頭痛がした。
ラッキーラビットは私の前に近づいて両手を振ってきた。彼とハイタッチし、私はハグを求めた。ふわふわとした体に、中年男性の体が包まれる。私は彼に耳打ちした。
「君が呼んだのか。ラッキーラビット」
「わーい! ウォルトが生き返ってくれた! 流石はぼく! とってもラッキーだね!」
アニメの声と変わらない、底抜けに明るいソプラノボイスが聞こえた。
「生き返った? 私が?」
「いくらラッキーなぼくでも、大変だったんだよ? でもウォルトが来てくれれば、もう安心だ。きっとぼくを助けてくれる。だってウォルトはぼくのことが大好きなんだもの!」
「君を、助ける?」
「このままだと、ぼくは来年でいなくなる予定なんだ。代わりによく分からない新参者のアトラクションが建てられて、ぼくもこうしてみんなと会うことも出来なくなる。ウォルトだって嫌だろう?」
「でもラッキーラビットも知っているはずだ。Dパークは永遠に完成しない。この世にイマジネーションがある限り。新しくならないパークは、Dパークではない」
「ぼくがいなくなったDパークは死んだも同じだよ。最近、Dパークはおかしくなっているんだ。ウォルトも見ただろう? 醜いラ・ベルを。大人の事情であんな姿にさせられている。可哀想だよ。本当はもっと美しいのに」
私たちは長く抱擁を続けた。
「いまのDパークは、煙草も吸えない。ぼくの映画なんか、見たことない人ばっかりだ。ぼくはまだやれる。お願いだよウォルト。君の力で、ぼくやぼくの仲間たちを助けてよ」
「ラッキーラビット。どんな力を使ったのかは知らないが、死んでしまった私にできることなど、何もないよ。パークに来た人たちは笑顔で楽しんでいる。それで十分じゃないか」
ラッキーラビットは沈黙した。肩はこわばり、震えているのが伝わる。
「ウォルトを呼ぶために、一人の人間を水底に落としたよ」
と、ラッキーラビットは言った。
「なんだと」
「その男はなんとね、D社の人間だったんだ。あいつはスプラッシュヒルに乗りながらこんなことを言ったんだ。『Dパークに古臭いアトラクションは要らない。このアトラクションのようなくだらない過去も、差別的な海賊の男どものアトラクションも、古い美しさだけを押し付けるプリンセスも正さねばならない』ってね。僕らはカートゥーンだ。でもね、実は生きているんだよ。それを簡単に消そうとしてくる奴らは、例えD社の人間であっても許せないよ!」
あるべき姿を歪めていたのは日本ではなく、私の会社そのものだというのか。
「それで私を?」
「前々から考えてはいたんだ。でも、亡くなった人を具現化するためには同じ分だけのエネルギーが必要なんだ。つまり、一人のキャラクターにつき一人の代償さ。それでもウォルト。君がここにいられるのは一時的なんだ。スプラッシュヒルの水底に落ちたビリーという男は程なく帰ってくる。そうすれば間もなく、ウォルトもいなくなる。だが、ビリーが戻ってきたタイミングで奴をとっ捕まえて、愛する黒人ホモ野郎の前でボコボコにしてもう一度沈めてやれば、ビリーは二度と這い上がって来ない。あの黒人ホモ野郎をここに呼んでおいたのはぼくさ。さっき新しい連絡を送ったから、スプラッシュヒルの最後の落下地点が見える場所に来るだろう」
「ラッキーラビット、君は――」
「ぼくはね、ウォルト。君を守れなかったことが悔しくてたまらない。君が雷に打たれるなんていうカートゥーンみたいな理由で死ぬとは思わなかったよ。でも今のウォルトは、僕たちと同じだ。じゃあねウォルト。会えて良かった」
最後にもう一度きつく抱き締めると、ラッキーラビットはどこかにしまっていたらしい黒いひらひらとした何かを私に渡した。それが焦げた凧だと気づいたときには、ラッキーラビットは、ほかの子どもたちの相手をしにどこかへ行ってしまった。
空は厚い雲に覆われていた。
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