第2話:新しい目標
少しばかり焦げ臭い匂いが充満する部屋の中。
今でも床に倒れ込みたいとズキズキと叫んでいる全身を敢えて無視し、しゃがみ込んでいる少女の方に向かう。
「お母さん・・・お父さん・・・はやく帰ってきて・・・」
床に散乱している血液など気にしていないのか、あるいは気づいてすらいないのか相変わらず廃人のようにブツブツと言葉を繰り返している。
この少女は精神に大きなショックを受けていてるのか正常には見えなかった。
なぜ俺はこの部屋でこの少女と閉じこもっていたのか・・・。
また、カノンちゃんの報告にあった『イレクシア世界への魂の移動』とはなんだ。
まさか本当に転生でもしてしまったって事か?
まずは魔神討伐の報酬内容が本物だと想定してみよう。
魔神を倒した俺は無意識的にイレクシアに転生したいなどの発言をし、そのまま意識を失ったと同時に魂がこのゲームの中に入ってきた・・・。
じゃあこの身体は誰のだ?
「キャラクターステータス」
・・・・・・。
システムの無反応がますますこの『イレクシア』にキャラクターとして接続した訳ではなく、一人の人間として飛び込んできていると確信させてくれた。
信じがたいことだが受け入れるしかない。
「あの・・・」
俯いてる少女の目の前に立ったが、なんと言葉をかければいいのか。
ふとこの身体が口にしていた名前を思い出す。
「アリシア・・・だな? 大丈夫か?」
隣に座って少女の顔を見ると、項垂れていた姿勢からソロリと面を上げる。
「お兄ちゃん・・・?」
少女と目が合った。
俺がどういう表情でこの少女を見ているのかは分からない。
まだこの身体にはそれほど慣れていないのだ。
依然として感情も、生気も籠ってない虚ろな瞳。
だがどうしてだろう。
その目は必死に俺に「うん」と答える事を促しているように見えた。
まるで俺がお兄ちゃんであることを確認しているみたいだった。
「俺は・・・」
「大丈夫なのか」
答えようとした矢先、部屋の前に人影が差し込んだ。
圧倒。
全身を支配する戦慄に身体は縛られたまま、指先一つ動かせない。
その低く響く声に細胞の隅々までが反応し、危険だと訴えている。
戦力の差を語るレベルではない。
純粋なる格上の存在。
呼吸すらままならない。
意識して魔力を流さなければ、肺に空気を通すことすらできない。
「敵はもういないのか」
敵がいないと確認した男の一言とともに全身を纏っていた威圧感が消えて体が動くようになる。
この身体が万全の状態でも全く勝てる気がしない禍々しい魔力。
ましてやボロボロの今の状態では戦闘すら成立しかねない。
そんな不安を抱えたまま顔を上げて正体を目にする。
骨太でがっしりとした体格。
彫が深い顔立ちはより男らしさを際立たせ、何より光を含んで氷色に輝く目は何もかも見抜けているように俺の目を見つめていた。
「貴様は何者だ」
しばらくの静寂を破った奴の質問に戸惑ってしまう。
奴がここに入って最初に発した言葉は「大丈夫なのか」だった。
恐らく俺とこの少女の安全確認のために来ただろう。
なら本名を言っていい訳がない。
俺がこの身体の持ち主ではないと知った途端どうなるのか保証できないから。
「貴様は『アシュタロス』ではないな。何者だ」
続く奴の言葉にギクッとしてしまう。
俺がこの世界の住民ではないことを見破られているのか?
それより今なんと言った?
アシュタロス・・・?
俺が知る限り、このゲームでアシュタロスと呼ばれている人物はたった一人。
ラスボスである魔神アシュタロス。
「アシュタロスの魂はどうした? 答えねば、バンシーを用いて貴様の魂をその器より強制的に引き剥がすまでだ」
部屋に入ってきた時より比べられない程の魔力の上昇。
その禍々しい魔力に大気中の魔元素も反応している。
プレイヤーならバンシーに身体を乗っ取られて死んでも再接続すればいいだけの話だが・・・今の状態では死んだら終わりだ。
あの目・・・。
奴は本気でこの身体から俺の魂を分離させようとしている。
「お兄ちゃんを・・・・・ないで」
奥の方からぼんやりと聞こえる少女の声。
「お兄ちゃんを・・・いじめないで!!」
先まで魂が抜かれたように何の反応もしていなかった少女は大声を張り上げて立ち上がった。
鮮明に輝く琥珀色の両目。
少女は唇を噛みしめてしっかりと冷めきった奴の氷のような目を見ていた。
少女の右手に凄まじい魔力が溜まっていく。
もしかすると俺のために・・・?
「アリシア・・・誤解だ」
何をしたのか全く見えなかった。
だが、結果的に立ち上がった少女は気を失って地面に倒れてしまった。
「全部話します」
勝てる相手ではない。
戦える状況でもない。
だが、理由も判らないままゲームの中に飛ばされてきて、このまま終わらせたくはない。
その結論に至った俺はここまでの経緯を洗いざらい話した。
魔神アシュタロスの討伐。
目を覚ませばこの真っ暗な部屋。
一緒にいる白銀の少女。
奴は何も言わずに黙々と話を聞いていた。
「別の世界か・・・そしてアシュタロスは未来の魔神になるのか」
奴との会話で判ったのは二つ。
俺はあいにく自分が倒したこのゲームのラスボスである魔神アシュタロスの身体の中に入ってきている事。
また、アシュタロスというこの魔族の男は現在魔神では上に、俺は過去のイレクシアに来ているとの事。
「とりあえずまだ状況の整理がつかない状態です」
「・・・・・」
何も言ってこない。
中身がアシュタロスではないと知った奴は俺を殺すのか。
「まずは訊こう。貴様はこれからどうするつもりだ?」
別に元の世界に戻りたい訳でもない。
戻ったところでもう俺を待つ家族はいないから。
これから俺がする事。
そんなのとっくに決まっている。
「俺は亡くなった祖父さんと妹の遺言を守り抜きたいです。この世界で」
「その遺言とは」
「『人の記憶に残るような人生を生きる事』と『素敵な恋をする事』です」
祖父さんと妹がそれぞれ残してくれた遺言。
理由がどうであれ、俺は転生したこの世界でこの遺言を守って生きていく。
「記憶に残る事と素敵な恋か・・・」
そう言った奴はおもむろに地面にうつ伏せ状態になっている少女の方に歩いていく。
「我は竜神ラゼリス。古代竜を含めた全ての竜族を統べる者だ」
竜族・・・?
ゲーム内で幻と言われ、書類上でしか記録を残さなかった竜族が実在してたのか?
ラゼリスと名乗った奴は少女のさらっとした白銀の髪の上に手を乗せる。
「何を・・・」
「関係があるのか? 実の『妹』ですらないこの少女に」
何も言い返せない。
実際、あの少女は今日会ったばかりの無関係の人だ。
「今のアリシアの精神は限界まで崩壊している。恐らくこの戦争で見てはならぬものを目にし、かなりの精神的なダメージを受けているのだろう。このままでは、彼女は永久に廃人となる。故にそれに関わる記憶を封じる。
だが、記憶とはただ見たものを脳に映像として留めるだけの単純な仕組みではない。一瞬一瞬の心的変化、そして脳神経と魔力神経の反応が複雑に絡み合い、形作られるものだ。
その精密な網を繊細に操るなど、不可能に等しい。すなわち・・・」
正常な生活が出来るように記憶を封印すると、少女の戦争に関する記憶だけではなく、少女の記憶に最も大きく関与している他の記憶も連鎖的に封じられる可能性が高いと言った。
少女にとって最も大切でありながら大きく関わっている記憶。
それはすなわち、少女の家族に関係した記憶と思い出だった。
あの少女はそれらを思い出せなくなるのか。
「アシュタロスの魂の所在が不明である以上、貴様の魂を引き剥がしてもその器であるアシュタロスの死が確定するだけだ。それはアシュタロスとアリシアに危害を加えないという我が信条に反する」
ラゼリスは淡々とした口調で言葉を続けた。
「それで選択肢を与えよう。この子を連れていくか?」
「なぜそうなるのですか」
「偽りとはいえ、その器はこの子の『兄』であることに変わりはない」
ラゼリスが言ったことは正しい。
中身が変わったと知らないこの少女からすれば俺はまだお兄さんのままだ。
俺が未来の時点で魔神アシュタロス、つまり、少女のお兄さんを倒した影響でこのような事が起きてしまった。
責任は俺にある。
「それを断るのならば、アリシアは我が預かる。さすれば、貴様は自由となる」
「その子はどうなるのですか」
「この世より隔絶された空間にて、記憶を封じられたまま生きることとなる。一生、その地を出ることなく、我と共に在り続けるのだ」
一生、大切な家族の事を思い出せないまま生きていく。
それはある意味、もう会えないけれど思い出を振り返ることができる俺より、ずっと悲惨なんじゃないか。
祖父さんと結衣が俺の事を思い出せないまま生きていく・・・。
そんな状況を想像するだけで、胸が引き裂かれそうになる。
少女の頭に乗せていたラゼリスの手が薄青く輝いた。
今ので記憶が封印されたのだろう。
「答えは?」
もう一度、少女を見る。
やはり妹の顔が重なってしまう。
あのほっこりする笑顔が。
あの純粋な泣き顔が。
「お兄ちゃん」と呼ばれたせいかもしれない。
あるいは、俺の為に立ち上がってくれた時の少女の表情が、説教をしてくる妹と似ていたからかもしれない。
俺は祖父さんが亡くなった時に誓った。
聞きそびれたその遺言をこれから守っていくと。
今、目を背けてしまうと、少女は大切にしていた家族を何一つ思い出せないまま生きていくことになる。
転生した理由も、少女の事も、ここがどこかさえも・・・知らない事だらけだ。
それでもやってみせる。
この少女が封印された家族の記憶を取り戻し、再び安全に暮らせるまで、俺が傍にいる。
元々俺が蒔いた種なんだから。
事が済んだら全てを打ち明け、騙したことを謝ろう。
それまでに俺は、この少女、アリシアのお兄さんを完璧に演じてみせる。
そして記憶を封印されたアリシアにとって、
「俺はアリシアの記憶の中に残る最初の人になります」
と真剣な面持ちでラゼリスに決意を伝える。
すると、奴は口角をわずかに上げ、かすかな笑みを浮かべた。
「その回答、気に入った。だが、戦は未だ終わらぬ。事情があり、我は表立って貴様らを守ることは叶わぬのだ。故に、今より貴様とアリシアを封印する。いずれ戦が収束し、平和な時代が訪れる時が来れば、その封印は解かれよう」
アリシアの記憶を封印した時の薄青い光が部屋全体を満たしていた。
その魔力に抵抗することは出来ず、段々と意識が薄れていく。
次第に目が閉じ、やがて視界は真っ暗闇に覆われた。
ーーーーーーーーーーー
それから・・・どれ程の時間が経ったのだろう。
他人の意志によって身体が少し揺れている。
長い間使われなかった筋肉がこわばったせいか、なかなか目を開けられない。
光が細い隙間から入り込んでくる。
目を細めながら、それを感じ取るように意識を研ぎ澄ませた。
「あなたは誰・・・?」
さらっと靡く白銀の髪。
アリシアは不安そうにこっちを見下ろして訊いてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*近況ノートにイラストがあります*
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