イレクシア: プレイヤーからラスボスまで『近況ノートにイラストあり』

@JinKoon

第一章 旅の始まり

第1話:ゲームの世界へ転生

 世界中に人気を誇るゲーム『イレクシア・オンライン』。

 9年前の2032年、人類はついに通常のVRマシンをを画期的に進化させた完全拡張型VR機械である『DDARマシン(Deep Dive into Another Reality)』の開発に成功する。

 バイクのヘルメットのような形をしているDDARマシンには、視覚情報の拡張に頼り過ぎる従来の VRマシンと違い、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、そして痛覚までといった人間が有している殆ど の感覚をリアルタイムに再現できる『タイムラグレス』技術が搭載されている。

 まさに世の中を変えるような代物であった。

 そしてこのタイムラグレス技術を活用した初のゲーム、『イレクシア・オンライン』がある日突然ゲームページにアップロードされた。


 開発者不明。

 サービス提供者不明。

 唯一公式に記載されてあったのはこのゲームのクリア条件とその報酬の内容。


『クリア条件:ラストボスの魔神を斃せ

 報酬内容:いかなる願望も叶えられる権利』


 どう見ても怪しい報酬内容だった。

 どんな願望も叶えられるとは、それこそ映画や漫画によく出てくるような話であって当てにならないと思った。

 それだけではない。

 このタイムラグレス技術はゲームや映画といったコンテンツへの適用には天文学的な予算がかかり、採算が合わないため技術の常用化はまだ先のことだと発表されている。

 しかしその発表の間もなく突如ゲームページにアップロードされたのだ。

 そのような不思議な点がありながら、イレクシア・オンラインはわずか1年で世界中最も人気の高いゲームとなった。




 そして2041年11月9日。

 今日魔神アシュタロスが俺が滞在していた町の近くで暴走し始めた。

 俺は『魔神討伐』という突発クエストを引き受け、ほぼ単身で魔神を見事に討伐した。


「氷室 亮・・・。妹を頼む・・・お前なら救えるかもしれない・・・」


 魔神はその言葉を最後にかすかに光って粒子のように大気中に散らばった。

 ゲームのラスボスに本名で呼ばれ、更に謎の頼み事を頼まれた俺はそのまま意識を失ってしまった。



ーーーーーーーー



 真っ暗闇に覆われた空間。

 一点の光すら差し込まないここには漆黒の背景がどこまでも広がっている。

 ここはどこなんだ?

 何も見えないし、身体も動いている感じがしない。

 先程から手を伸ばそうとしているが、自分で何かを動かしている感覚は全くなかった。

 確か魔神アシュタロスを斃した俺も倒れて・・・。

 それでいきなりこんな所に落ちてくるなんて・・・状況の整理がつかない。


 徐々に両目が暗闇に慣れてきた。

 少しずつ視界に情報が入ってくる。

 うっすらと見える小柄な体躯。

 次は、聴覚が回復したのか女の子の小声が聞こえる。


「・・・お父さん・・・お母さん・・・」


 幼い子供を連想させる高らかな声が耳元に届く。

 録音された音声データのようにひたすらお父さんとお母さんを繰り返しているその声からは、感情の一かけらも感じられなかった。

 ただただ機械的に反復作業を行っているだけだった。


「『ライト』」


 周囲を灯す光属性の初級魔法。

 右手の魔力反応によって光が発散され、真っ暗闇の空間を照らしていく。

 しかし、これは俺がしたことではない。

 魔力を使ったどころか、身体すら動かしていないのだ。

 現に、俺は何もしていないのにも拘わらず、自ずと身体が立ち上がって声が聞こえる方向へと歩いていく。

 まるで身体が幽霊にでも乗っ取られたような気分だ。

 1人称の視点で感覚は共有しているが、身体の主導権はない感覚。

 不思議であると同時にとても不愉快だ。


「父さん・・・母さん・・・早く帰ってきて」


 奥の方に歩いていくと、この身体が放った光を柔らかく反射する白銀のボブの少女が体育座りで言葉を繰り返していた。

 俯いたせいか肩にかかる長さの髪が落ちてきて、白く透き通るような肌を一部隠している。

 少しぷくぷくとした丸顔は少女の幼さを際立たせ、虚ろな目線を床の一点に送り続けている琥珀色の瞳は光を失ったようにやや色があせていて何か事情があるように見えた。

 一目で質感の良さが伝わる豪華な黒のドレスはその少女の気高い佇まいを漂わせていて、頭から生えている2本の黒い角は雰囲気を損なうことなく、むしろアクセサリーのように自然だった。


「アリシア、父さんと母さんならきっと大丈夫だ・・・」

「父さん・・・母さん・・・」


 勝手にこの身体は見覚えのない目の前の少女に言葉をかけていた。

 アリシアと呼ばれた少女は何の反応もなく、床に釘付けになって親を探している。

 よく見ると何かを恐れているようにガクガクと身体が震えていた。

 両足を抱えている両手に力をぐっと入れすぎたせいで赤黒い液体が垂れて床に落ちている。

「何かあったのか?」と訊こうとしてもこの身体と声は反応せず。


「アリシア・・・俺がずっと傍にいるから」

「母さん・・・」


 勝手にかけられた俺の言葉に対してアリシアという名の少女は同じ単語を述べるだけだった。

 これが特別なイベントだとしても、今はそれどころではない。

 魔神との激戦は精神的にきつかった。

 疲かれたし・・・ログアウトして今度にしよう。


 バーーン!


 その時だった。

 荒い音と同時にドアが開いたのは。


「ここにいたのか、あの女の娘は!!」


 外の光とともに入ってきたのは背中に白い翼がある天使族の男だった。

 よかった。これがどういった状況なのか、あの天使族のNPCに訊いてみよう。


「それ以上近づいたら殺す」


 しかし、口から出た言葉は俺が思っていたのとあまりにもかけ離れたものだった。

 いつまで続くんだ、このイベントは・・・!

 スキップもないし、このまま見るしかないのか?


「これはこれは・・・想定外の収穫だ。これは天神様に褒められるぞ・・・!

 テメェは待ってろ。まずはあの小娘と楽しんでからだ」


 男の天使は警告を無視してつかつかと白銀の少女に近づく。

 常に慈悲深い笑みを浮かべてプレイヤーの体力や魔力を回復してくれたあの天使族とは到底思えない。

 そんな彼らの今の言動は聞き間違いだったのかと自分の耳を疑うくらいだ。


「貴様・・・!」


 この身体は奴の動きに反応し、魔力を用いて左手から氷の塊を生成させていく。

 凄まじい魔元素の量が集中され、また的確に左手に伝わっていく。

 扱う魔力が多ければ多い程、それを効率的かつ無駄なく使用するのは難儀の技だ。

 それなのにこの身体の持ち主は見事にそれをこなしている。


氷結弾フロスト・ショット・・・!」


 撃ち放たれた氷の塊は天使の張ったバリアによって簡単に砕け散る。

 これほどの魔力の攻撃をあっさり防げるとは。

 戦力差が大きい。

 とはいえ、勝てない程ではない。

 確かに素晴らしい魔力のコントロールと威力だったが、魔法戦において勝利を左右するのはそれだけではない。

 同じ魔力の量でもどの属性で相手のどこを狙うのか、同じ魔法でもどの部分に集中させるのかなど勝敗を決める要素は並べきれない。

 つまり、これくらいの戦力差はいくらでも埋められる。

 残念ながら身体の主導権はない上に、別にこの身体の持ち主が死んでも俺が困る要素はない。

 ゲームのPV動画でも見ている感覚で楽しめばいい話だ。


「奴の息子の訳だ。腕や足一本斬られるくらいじゃ死なないよな・・・!!」


 かーーン!


 昂った天使の叫びと鉄と鉄がぶつかる鈍い音が部屋の中に鳴り響く。

 一瞬にして魔力から剣を生成して攻撃に反応したのはいいが、この体制だと次の選択肢が限られる。


「いやあぁぁ!!」


 部屋の奥から聞こえる少女の甲高い悲鳴。

 この身体が振り返る方向に沿って、俺の視界範囲も動いて白銀の少女の姿が目に入る。

 ブルブルと全身を震わせて恐れわななくその様子はもはや正気ではないように見えた。

 こいつ・・・! 戦闘中に振り向くんじゃ、


ザスッ・・・!


 冷たい何かが俺の思考ごとに身体を貫通した。

 スッと突き抜ける感覚。

 全身に激痛が走る。

 胸辺りが熱くなって早く抜けと身体が悲鳴を上げている。

 しかし剣は抜かれることなく、天使の男はそのまま追加の攻撃を行った。


「『爆裂発散エキスプロ―ジョン』」


 周囲の大気が炎と一緒に熱されて爆発させられる。

 轟音とともに地面に弾かれて風景が何度も真っ逆さまになって転がっていく。

 転がり終わった視線の先には項垂れてわなわな震えている少女がいた。

 痛い、痛い、痛い、痛い。

 気を失いそうだ。

 こんな出鱈目なイベントあるのか?

 感覚共有させておいて身体は動けないとかクソゲーじゃいか。


「あの女の娘だけあって可愛いじゃねえか。たっぷり遊んでやる」

「妹に・・手を出すな・・・」


 ビクッとした。

 口から出た『妹』というその言葉に。

 もう二度と会えない、呼ぶことも出来ないあいつを考えながら。

 廃人のような目をしている白銀の少女は俺と同様、体への主導権がないのか奴に対して何の抵抗もしていなかった。

 動くはずのないダメージを喰らったにも拘わらず、この身体は『妹』と推定される少女に向かって必死に動こうとしていた。

 なんとか手を伸ばす所までは成功したが、それ以上は何も出来なかった。

 薄れていく意識。

 視野が段々と真っ暗に覆われていく。

 それに抵抗する力すら残っていないこの身体と感覚を共有している俺の視界もやがて完全なる黒の背景に染まっていく。



 ーーーーーーーーー



「くはっ・・・!」


 ハッと目が覚めた。

 一気に視界に光の情報が入ってきて状況の把握を図る。


「はぁ・・・? 今ので生きてるのか? 死んじまったらどう天神様に言い訳するか心配してたが、これはついてるな」


 さっきの天使の男は少女への足取りを止めてこっちに振り向いていた。

 胸元が熱い。

 触ってみると赤黒い液体が垂れていた。

 ん? 触った?

 俯いて右手を見ると血まみれになっていた。

 もう一度確認するべく、左手を開いてみる。

 思うままに左手の指と指の間が遠ざかる。

 理由は判らないが、ずっと1人称視点で見ていたこの身体に入ってきていた。

 それはどうでもいい。

 この痛みから早く解放されたい。


「ログ・アウト・・」


 システム反応なし。

 ぽつりと言いだした「ログアウト」は空気中に跡形もなく消えていた。

 こんなイベントはもう御免だ。


「ログ・アウト!!」


 勢いよく叫んだ言葉は部屋の中で空しく響き渡る。

 おかしい。

 ギルド本部から受け取った依頼をクリアしたが、依頼主のNPCから「さっさと消えろ」と罵声を浴びて喧嘩になった程度のゲームのバグは今まで何度もあった。

 しかし、一度もログアウトができないようなシステムの欠陥はなかったのだ。


「うるせぇ・・! 今からいいとこなんだから黙ってろ!!」


 突き抜けられた胸の辺りが熱すぎる。

 しかし、頑丈なこの身体はなんとか意識を保っていた。


 〘使用者の認証を行います〙


 聞き慣れた固有スキル『ヘルパー・カノンちゃん』の音声が脳内に聞こえた。


 〘使用者:氷室 亮(魔神となる者)。認証が終わりました〙


 淡々とした機械音のカノンちゃんの報告に少しだけ痛みが和らいだ気がする。

 名前の次に変な称号が聞こえたが恐らく気のせいだろう。


 〘魔神アシュタロスの討伐に成功しました。報酬の内容を確認します。

 報酬の内容:いかなる願望も叶えられる権利。

 使用者の願望である『イレクシア世界への魂の移動』が受理されました〙


 カノンちゃんの音声に俺は唖然として口をあんぐりと開いてしまう。

 肺に流れる空気量が急増して胸の辺りが激痛に襲われる。

 いかなる願望も叶えられるとは本当の事だったのか?

 いや、待て。

 そもそも俺はそんな願望など言ってないはずだが・・・。


ゴホッ・・・!


 考え込むと吐血をしてしまった。

 本能的に解った。

 今この身体のまま死んでしまうと本当に死ぬ。

 ログアウトなどのゲーム感覚ではない。

 恐らく本当の意味で死んでしまう。

 辛うじて地面から立ち上がる。

 足がふらふらして少しでも気を抜けば倒れそうだ。


「テメェにはチャンスをやる。この小娘とヤッてる間に逃げきれたら生かしてやる・・・どうだ?」


 天使の男はニヤッと笑って上からの目線でこっちを見下していた。

 そもそもこいつに俺を生かすつもりはない。

 だが、これほどの魔力を持つ身体ならその活用方法によっては奴が想定している距離以上も移動できる。

 そうすれば逃げ切れる。

 目の前の少女には悪いが、まずはこの場を離れて回復する必要がある。

 俺は最後にぶつぶつと母さんと父さんを言い続けている少女の姿を見て、出口の方に足を運んだ。


「マジで行きやかがったな・・・! それこそクソな魔族に相応しい行動・・!」


 そう言った天使の男がこれから何をするかは俺の視界内に入らなかった。

 ただ黙々と生き延びる為に光が差し込むドアへと向かった。


「お兄ちゃん・・・」


 その単語にこの身体は反応し、足が止まった。

 もしくは無意識に反応した俺が足取りを止めた。

 もう二度と聞くはずのないそれを耳にして亡くなった妹を思い出してしまう。


 いつも傍にいてくれたその存在を。

 いつも明るかったあの笑顔を。


 頭では解っている。

 あの少女は俺の妹ではない。

 多分俺が入ってしまったこの身体の持ち主の妹。

 目眩がする。

 正しい判断ができない。

 そのせいかもしれない。

 論理的思考より感情が優先されてしまったのは。

 立ち尽くしたまま振り返ってみると、


「・・・・・」


 琥珀色の瞳をした白銀の少女の虚ろな目線と合った。

 感情の感じられないその無表情にふと身体が反応してしまう。

 妹の最後を見届けられなかった俺は勝手に妹の最後の表情がああだったかもしれないと想像する。


「肌つるつるじゃねぇか!」


 奴は少女の腕にスッと手を滑らせていた。

 嘔吐が出そうな行動はそこで止まらず、腕をさすっていた手が少女の胸元に移動する。


「カノンちゃん―!! スキル情報!!」


 〘現在の身体が保有しているスキルと魔法のリストを脳内に送ります〙


 カノンちゃんの言葉が終わった途端、入りきれない情報量が頭の中に流れてくる。


「『地のアース・ソーン』『猛毒ヴェノム』・・・!」


 瞬時に奴の足元に狙いを定めて魔力を流す。

 奴が踏んでいる地面からいくつかの棘が湧き上がる。

 更に、魔力を凝縮して棘の先っぽに集中させる。


「こんな中級魔法くらいじゃ・・・!」


カーーン!!!


 研ぎ澄まされた棘の先端は展開された奴のバリアを貫通する。


「スキル『身体強化フィジカル・リインフォース』、『迅速アクセラレーション』」


 既に限界を迎えた身体の筋力と硬度を一時的に上昇させ、更に反射速度を加速化させる。

 手がブルブル震える。

 頭がズキズキする。


風足取ウインド・ステップ


 しんみりした空気に満ちていた部屋内に風が吹き始め、足を纏う。

 その少女から手を退かせ。


「くっ・・・! テメエ・・・!!」


 地面から湧き上がった棘はそのまま奴の手を突き抜ける。

 その汚い手を、


「切ってやる・・・!!」


 身体が俺の思考速度を超えて先に動いた。

 体力の分配、魔力のコントロール、魔法の属性、武器による相性など戦闘を行う前に考慮すべき点は山ほどある。

 奴の羽の硬度は?

 得意属性の魔法は?

 残りの魔力は?

 スキルの数は?

 剣術の熟練度は?

 それらを判断する脳内プロセス速度を超えて俺は奴の真横に移動する。


「ちょ・・・」


 狼狽える表情。

 何かを言おうとする口。

 それに構わず魔力で生成した剣を大きく振り回す。


「くあぁっ・・!!」


 腕から分離された両手が宙を舞って地面に落ち、きれいに両断された手首の断面からは血しぶきを上げている。

 まだだ。

 この程度で奴は倒れない。


「天使族は万物の頂点に立つものであり、最も尊き存在である・・・!

 尊きが故に、天使族は崇敬されるべき存在である・・!!

 崇敬する者には慈悲を、崇敬なき者には天罰を・・・!!!」


 斬られた手首から強烈な光が発散される。

 この魔力は恐らく天使族の固有魔法。

 天使族ならではの魔法でありながら、魔族にはより強力な威力を発揮する。

 しかし、


「くっ・・・!」


 奴は派手に血を吐きながら口からも血飛沫を上げていた。

 お陰で精神が乱れて集まった魔力が大気中に散る。

 棘に付けておいた毒が効いてきたようだ。


「動けないだろう」

「崇敬する者には慈悲を、崇敬なき者には天・・・、


ザスッ!


 右手に魔力を溜めた俺は奴の言葉を遮り、胸の真ん中を突き抜けて持ち上げる。

 声も出ずにしかめ面になった奴の体内にそのまま魔力を流す。


「『地獄炎ヘル・ファイア』・・」


 紫の炎が空いた胸の穴から拡散され、やがて全身を覆う。

 空中で足掻いていた天使の動きが止まる。

 そして翼ごと全身が黒の粉となって大気中に散りばめられた。


 頭がズキズキして今でも倒れそうだ。

 少女の方を見やると赤黒い液体が散乱した地面を眺めながら口を動かしていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*近況ノートにイラストがあります*

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