2章 本当のアイドルになりたい。

2-1 あの子あっての、あたし。

 本番前。

 楽屋はあたしたちだけのものじゃない。あたしたちより前の出番の子たちが、この楽屋を使った痕跡が残っている。

 化粧品、香水、ヘアスプレー。

 可愛くなるため、目立つため、売れるため、きらきらするため。

 ありとあらゆる形で魅力を求めて変身しようとした、脱皮の匂い。


 ステージ前の準備をさっさと終えているあたしは、でも外は寒いから居場所が無くて、楽屋の隅っこで脱皮の匂いにじっと耐えながら、爪のささくれを毟っている。


 あたしが所属しているアイドルグループ、メロティック・スタンプは、現在は6人でやっているアイドルグループだ。現在はっていうのはつまり、アイドルっていうのは出入りが激しいってこと。

 そう、あたしは今、一応アイドルをやっている。

 ……「一応アイドル」っていう肩書には理由がある。正直まだ、アイドルだけの給料で完全には食べていけてはいないからだ。


 「いちごちゃん今日前髪かわいい!」

「えーマリアのがかわいいよぉ!」

超音波でも出してるのかってぐらい甲高い声。あたしは静かに目を閉じる。ささくれを毟り続ける。


 ――でも、昔に比べたら、バイトの時間はずいぶんと減った。

 昔はアイドルとしてライブに出たりレッスンをしている時間よりも、バイトの時間の方が長かった。考えてみたら色々やったな。コンビニとか、ロックバンドの物販のスタッフとか、ああ、工場で短期のバイトも入ったっけ。


 でも今は違う。

 あたしのスケジュール帳を埋めるのは、アイドルとしての予定ばっかりだ。そしてその隙間に、カレー屋のスタッフのバイトをちょっとねじ込んでいる。


 それもこれも、正直あたしと、赤羽根あかばね ひなたのツートップが頑張っているからだろうと思う。


 もちろん他のメンバーにだって専門で推してるオタクはついてるけど、ばん、とステージから見下ろした時、白色のあたしへのペンライトと、赤色のひなたへのペンライトが場の大半だ。

「小雪ちゃん、そろそろ出番だよ」

「あ、うん。ありがとう」

 青色担当の美澄みすみ スイカが顔を出す。あたしはにっこり笑って立ち上がりながら、むしったささくれと頭痛薬のシートをゴミ箱に捨てた。


 廊下を歩きながら深呼吸をする。

 「緊張しませんか?」って、よく聞かれる質問だ。

 あたしはいつもそれに、アイドルとしてこう答えてる。

「緊張を楽しめるのが、アイドルだよ」

 そう答えるのが、役割だから。

 それでファンの間ではあたしは、「緊張も楽しめる天性のカリスマアイドル」ってことになる。

 本当は。

 胸が張り裂けそうだ。

 この、楽屋からステージまで続く廊下。これが永遠に続けばいいとさえ思ってしまう。ステージに立ちたい。皆にあたしを見てもらいたい。スポットライトを浴びて、一生きらきらの中で生きていたい。

 でも、それが一瞬しかもたないことを知ってる。いつだって何かに怯えてるし、ステージに飛び出した瞬間、白いペンライトが一本も無かったらって妄想がいつだって付きまとう。


 歌詞が飛ぶ夢を見る。

 ダンスの振りが全部飛ぶ夢を見る。

 知らないおじさんとのスキャンダルが起きて、一瞬で失墜する夢を見る。

 ステージの下が崖になってる夢を見る。


 相方のひなたの上に馬乗りになって、彼女の首を両手で絞めて殺す夢を見る。


 このステージまでの廊下が永遠に続けばいい。

 でもそれは、生き地獄が続くという事だ。

「はーい! みんな、今日もがんばっていきましょう!」

ひなたの掛け声に、みんなで「やるぞ! メロティック・スタンプ!」と声をあわせる。

 テンポのいいイントロが鳴り始め、緊張しいでドジな上原 柚来うえはら ゆきの皮を脱ぎ捨てる。

 そしてステージの床板を踏みしめ、”天性の妖精アイドル”白之原 小雪しろのはら こゆきになった瞬間、あたしはもう無敵になれる。


 「こ・ゆ・き!」

「ひ・な・た!」

 歓声。熱狂。ここが世界の中心で、あるいは宇宙の中心で。この熱狂を世界中が感じ取っている、そんな眩暈に酔いしれる。

 最大で200人ぐらいが入れるライブ会場。他のグループの子たちのファンもいるから、全部が全部あたしたちのファンじゃないって分かってる。

 でも、今はただ一生懸命やるしかない。

 あっという間の時間。永遠に続いてほしい。一瞬で過ぎ去って早く終わってほしい。続いてほしい。終わってほしい。ずっとキラキラしていたい。地底の底に沈みたい。


「——え?」


 何百回、何千回と練習してきたダンスのはずなのに、間奏でよろけた。ぐらり、と体勢が崩れ、客席の方に転びそうになる。

「やば」

声に出さないけど心の声が飛び出た。その瞬間、ぐいっと身体が一瞬、空中浮遊する感覚。

「うわっ」

振り返ると、ひなたの手があたしの腕を掴んでいた。あんな華奢な身体のどこにこんな力強さがあるんだろう。腕1本で、あたしを支えている。

 ほんの一瞬だったけれど、ひなたに支えられ、あたしは体勢を立て直す事ができた。幸い、メインで歌っているのは別の子だったからステージの進行にも問題ない。

 あたしはどうにかうまく体勢を立て直し、口の形だけで「ゴメン」と言った。ひなたは何事も無かったかのように、白い歯を見せてニカッと笑った。

 間奏が終わる。

 あたしはラスサビに向けてのソロを歌いながら、頭の片隅で考えていた。


 今のやりとり、軽くバズるかな。


***


 ライブ終わり。楽屋では、熱気の残り香を扇風機が怠惰に掻き回している。

 「楽しかったねぇー」

「あ、なんか間奏でトラブルあったの?」

「あートラブルってほどじゃないけどちょっとよろけた」

「ひなたが助けたんでしょ。SNSで話題なってる」

「なってるねぇ」

「もう、ほんとみんなよく見てるんだから」


 あたしはちらりと、隣に座っている紫担当のすみれのスマホを覗き込んだ。

 『こゆきとひなた。二人がお互いを支えあってるのがマジで尊い』

 うん、そうなんだろう。これでいいんだろう。

 ふと、あたしの視線に気づいたひなたが、ニカッと笑った。

「気にしなさんな~」

「うん、ありがとう」

あたしは微笑む。


 これでいい。あたしたちってこれでいいんだ。

 もう一度、ちらりとスマホを見る。そしてあたしの笑顔は強張る。

 『やっぱり、なんだよな』

「……」

「どうしたの、ゆきちゃん」

「ううん、なんでもない」

あたしは静かに首を振り、手早く水を飲むと、ライブ後のストレッチを始めた。


***


 その日のライブ後のことだった。

「皆、ちょっといいかな」

メロティック・スタンプのマネージャーの久留実くるみさんが、全員を控室の隅に呼び出した。その顔があまりにも深刻過ぎてあたしは思わず、久留実さんのご家族に何かあったのかとか、或いは突然グループの解散を言い渡されるのかとか、だいぶビビってしまった。


 「実は、いい話と悪い話がある」

久留実さんは無理やりおどけて見せたが、久留実さんをとりまくあたしたちの緊張は、そう簡単にはほぐれなかった。それを悟ったのか、久留実さんはフーッと息を吐いた。そして言った。

「セイレーンズバトルロワイヤルって知ってるよね」

ひなたが威勢よく頷く。

「2時間の特別番組ですよね。アイドルとか歌手とかミュージカル俳優とか大道芸人とか、ジャンルは問わず歌と踊りのパフォーマンスに自信のある無名の人たちが、審査員と視聴者からのリアルタイム投票でサバイバルバトルをする奴」

「あたしもたまに見てた」

すみれがおずおずと言う。

「だって今めちゃくちゃ売れてるあの『MANA』だって、元はあの番組で優勝して、そこからCMのタイアップとかドラマの主題歌とか、あの番組からいっきに、だったもんね」

「そうだ」

久留実さんは頷いた。


 まさか、と。ピリピリする緊張がその場に走る。


 「その番組に出る為のオーディションの話が来てる。ただし」

久留実さんはグループのメンバー一人一人の目を見ながら、ハッキリと言った。



「出られるのは、だ」


<続>

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