[幕間1]

シグナリアス社調査報告(1) 「6丁目の沼に関する現地調査 1回目」


 8月10日。

 蛇巳枇たんび町6丁目、駐車場。一番端に、グレーの乗用車が止まっている。


 エンジンを切った乗用車の運転席で、梅原 蒼次郎うめはら そうじろうが寝ている。

 彼は、シグナリアスハーモニー調査会社(以下シグナリアス社)の調査員である。

 清潔感のある黒の短髪に、白のワイシャツに黒のスラックス。細身だが筋肉質の身体を運転席に押し込めるように座り、首をカクンと前に折ったまま熟睡している。


 蒼次郎が寝始めてから、およそ15分が経った頃。

「お昼ご飯、買ってきましたよぉ」

がちゃ、と助手席のドアが開き、キャラクターモノのエコバッグをガサガサと言わせながら、河瀬 咲乃信かわせ さきのしん——サキが乗り込んできた。


 細身だが服の上からも筋肉の丈夫さが分かる蒼次郎とは正反対に、サキは小柄で骨格も薄い方だ。

 顔立ちも童顔で、服装も本人の嗜好に伴い、調査員として華美すぎない程度にポップでユニセックスな、いわゆる「カワイイ」服を着ていることが多い。

 今も、彼が着ている猫耳フードの先端が車のドアに挟まって「ぐぇっ」と声をあげているところである。


 その「ぐぇっ」の声で目を覚ました蒼次郎が、ぱちりと目を開けた。

「んぁ……ご苦労さん」

「ポイント貯まるんで、大丈夫ですよぅ」

サキが「コンビニも高くなりましたよね、マジで」と言いながら、エコバッグの中身をポイポイと出していく。

「はい、コロッケパンとサラダチキンとブラックコーヒー」

「ん」

受け取ろうとした蒼次郎の手が、宙を掠める。サキが唇をひん曲げながら言った。

「蒼次郎さん、ありがとうは?」

「ありがと」

素っ気ない「ありがと」に、しかし『ウンウン』と満足げに頷くと、サキは蒼次郎に昼食を渡した。そして自身が選んだ昼ご飯――ヘルシーアボカドサラダパスタをダッシュボードの上に置く。

 フォークを包んでいるビニール袋をぺりぺり破きながら、サキは尋ねた。

「ね。蒼次郎さんはどう思いました? あの沼」

「……」

蒼次郎はコーヒーを一口飲んでドリンクホルダーに差すと、ボソリと簡素に答えた。

「嫌な気配はする」

「そりゃしますよぉ。だってなんかもう負の気配の感じ、アタシでもガンガン分かるぐらいあるし! ぞわーってした! でもぉ!」

サキはサキなりの気迫を込め、蒼次郎の横顔に迫った。

ダッシュで調査始めるべきか、ってなるとちょっと微妙じゃないですかぁ? あくまで街にはびこるウワサでしょ? 『何を捨てても浮かんでこない沼』って」

「お前はどう思う」

「うーん。なんか不気味だとは思うし、もしも今、アタシらの手が空いてたら調査すべき仕事、ってカンジ」

「じゃあ、何を優先するべきだと思う」

「そりゃもう『呪いの人形』ですよぅ!」

「……あっちの案件か」

コロッケパンに大きな口でかぶりつきながら、蒼次郎は頭痛に耐えるように目を細めた。その隣で、買ってきた『ハイパーヘルシー野菜ジュース』をゴクゴクと飲んでから、サキは止まらない勢いで話し始める。

「だってぇ、もう『呪いの人形』のせいで、骨折とか意識混濁とか! 確認できるだけでもうこの3か月ぐらいで5件は事件が起きてるじゃないですかぁ。ぜーんぶ、街に出回ってる謎の『呪いの人形』のせい! でも、誰が作ったのか誰がばらまいてるのかも謎、謎、謎!」

「……5件中2件で、被害者が誰に呪いの人形を渡されたか判明したんだろ。どっちも、知り合い……だっけか」

「人間ってこっわいですよねぇ! かるーい気持ちで呪いの人形を知り合いのカバンやロッカーに忍ばせるなんて! でもでもでもね蒼次郎さん、そもそもその呪いの人形の出どころだって、転売の転売の転売って感じで、未だに『結局誰が元々呪いの人形を作って売ってるのか』ってのが分かってないじゃないですかぁ。他にも懸念する案件だったら、『南の祠の啜り泣き』だって気になるし! そりゃもうアタシらの人員がね、100人体制ならね、他の案件にも同時に人が割けるけどぉ」

「秘密結社の割に大企業だな」

「もー蒼次郎さん茶化さないで!」

「すまん」

「結局、調査する対象を取捨選択するしかないのは、まあそりゃ歯がゆいですけどぉ。でも、実際に被害が沢山出てる『呪いの人形』事件と、うーん、なんだろう……『不気味な感じがするってウワサの沼』でしょ? だったらぁ、沼は後回しでもいいと思うんですよね! 断然、『呪いの人形』のが先! 恐いもん!」

「……」

「ねっ、蒼次郎さんもそう思うでしょ?」

「……」

「……あれ? 違うんですか?」

蒼次郎は4口で食べ終えたコロッケパンの袋をくしゃくしゃと丸めると、深く息をついた。

「俺はあの沼、放っておかない方がいいと思う」

「えぇ、なんでぇ?」

「あれは……よくないモノの気配がする」

「んんん、えー……えぇえー……じゃ、じゃあ、七夏子ななこさんにはなんて報告するんです?」

「……『呪いの人形』と同等に留意すべき、だろうな」

「んぇえー納得いかねぇなァ」

そんなサキを横目にサラダチキンを二口で完食し、飲み込むと、蒼次郎は言った。

「まあ、最終的にどの案件にどの程度手をつけるか判断するのは所長ななこさんだ。……俺は少なくともあの沼、放っておかない方がいいと思う」

「んーそっかなあ。まあ蒼次郎さんが言うならそうなんだろうけど。アタシは納得してないッスよ」

サキは『ご褒美ガトーショコラ&濃厚バニラこしあんサンド』のパッケージをペリペリ剥きながら、思うところが止まらない様子で喋り続けた。

「っていうかそもそも、『沈めたものが浮かんでこない沼』でしょ? でもでもさぁ、捨てたいモノがあるんだったら、そんなのゴミの日に出したらいいじゃないですかぁ。そんな沼があって喜ぶのなんて、うーん。不法投棄したい悪徳ゴミ処理業者ぐらいじゃないですか? 



<続>

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