第2話

 クリスマス・イブ当日。


 オリガがユガミと出会って数週間が経った。あれから彼女が店に来ることは一度もなかったが、その顔を見ない日は一日として無い。街中に貼られた〈情報提供者募集〉のポスターには、ユガミの顔が大きく写っていたからだ。

 警察の見回りや、どう見てもカタギではない男たちの往来も増えた。ユガミが何か大変な事態に巻き込まれたのではないか、という不安を抱きながら、オリガは今日も店を開け続ける。


 その日も、客がいない時間だった。

 昼過ぎの空は高く、紺碧を薄い空気の幕が隠していく。どう見ても快晴だ。雪どころか雨さえ降らなそうな空模様を眺め、オリガは溜め息を吐く。


「やっぱり、サンタなんか来ないよねぇ……」


 頭の片隅にある稚児の夢じみた信仰さえ恥ずかしくなり、オリガは大袈裟に笑った。

 そもそも、こんな望みを抱くのが無謀なのだ。ここに来てから変わらない天気が今日明日で急に変わるわけもなく、それでも降雪を信じ続けるのは馬鹿のすることだ。こんな願いなど、捨てた方がいい。オリガは自嘲じみた笑みを浮かべ、カウンターに突っ伏す。


 それでも。

 それでも、祈る手は止められなかった。


 何が彼女を突き動かすのか、祈っている本人すらよく分かっていない。果たすことの出来なかった約束か、ユガミが見せた能力の片鱗への畏怖か、或いは。


「フォッフォッ、よく頑張ったね。しっかりと祈っている君にプレゼントをあげよう。……なんてね」


 聞き馴染みのある声にオリガは頭を上げる。店の扉を開けて現れたユガミは、ショートボブだった黒髪を長く伸ばした白髪に変えていた。背後から差す後光めいた輝きが、彼女の神秘性を高めている。


「久しぶり、おばちゃん」

「ユガミちゃん!? 私、ずっと心配して……」

「あはは、家出が大事おおごとになっちゃった! ルーくんからは『あまり単独行動をするな』って言われたんだけど、そんなに祈られたら来るしかないんだよね」


 ユガミは窓越しに空を指し、指を鳴らす。均衡の取れた空模様に不明瞭なノイズパターンが発生し、彼女は満足げに微笑んだ。


「……これでよし! 外、出ようか」


 人工降雨システムが突如として不具合を起こしたのか、ノイズは抽象絵画めいて空を覆っていく。彼女から注視する視界が全て埋まった後に、青空から白い結晶が舞い散った。

 しんしんと雪が降っている。オリガの故郷では冬の日常だった景色が、彼女の目の前に広がっている。誰もが望まなくなって淘汰された天気でも、彼女は願い続けた。その祈りは、叶ったのだ。


「すごい……本当に雪だ……」

「……そっか、この程度なら身体の負担も少ないね」


 ユガミは自身で合点がいったようなリアクションを取ると、夢中で空を見上げるオリガをじっと見つめる。


「覚えておいてね。今日の日に、私がいた事を」

「忘れるわけない、忘れるわけないよぉ……!!」

「……ありがたいね。じゃあ、これはサービスだ!」


 それは、雪の温かさが見せた幻だったのだろうか。オリガの視界には、白く染まる世界で踊り続けるアイラの姿が鮮明に映っている。初めて見る天気に瞳を輝かせ、彼女は一心不乱に喜びを表現している。

 都合の良い夢に違いない。そうオリガは思う。それでも、それでも。雪を前に踊るアイラは、この世の何よりも可憐だ。

 オリガは深く祈る。彼女が天国でも雪を見れますように。この世に神や天使がいるのなら、自分が元気に暮らしていることを伝えてくれますように。


 気付けば、ユガミの姿はオリガの視界から忽然と消えている。眼前に広がるスノードームのような景色を前に、オリガは静かに呟いた。


「メリー・クリスマス、ユガミ」

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デミスノー・デミエンジェル @fox_0829

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