担任教師・野々村咲への取材-1

 とりあえずGoogleで検索してみると、偏差値70近い、県内有数の進学校だった。少年A――もとい、星川斎月について、学業成績が優秀という言葉がいくつか散見されたが、それは確かにそうなのかもしれない。


 桜中央高校に問い合わせしてみると「本校はその事件について関係ありませんので」と取材は当然のように断られたが、どうしようかと思っていた実春だったが、事態はその数時間後に変わる。

 数時間後のほぼ夜中の時間、弦悠社に一本の電話が入った。実春宛に。


 その電話の発信者は、埼玉県立桜中央高等学校の現代文の教諭である野々村咲であった。彼女は電話口で、自身が「星川斎月が高校二年生時の担任教師である」と自己紹介した上で言った。


「弦悠社の記者の方だと聞き及んでおります。大したお話しはできませんが、私ひとりであれば取材をお受けすることができます。ですが……学校としてはまったく歓迎しておりませんので、他の職員には気づかれないようにしていただきたいんです」


「わかりました。では……どうしましょう? 二者面談で親として来たみたいな感じで良いですか?」


「……今の学校は、防犯の関係上、『誰それの母と父が何月何日の何時に行きます』などと事前に学校を訪れる旨の申請をしなくてはいけないんです」


「そう、なんですか……」


「あの、つかぬことをお伺いしますが、仁野さんはお若いですか?」


「え? あ、えっと、若いかどうかはわからないですが……一応、26歳です」


「それなら、こういうのはどうでしょう」


 提案されたのは、大学生に扮し、卒業論文で「高校における近現代文学の教育と実践について」書くために現場の教員に取材をするという「体」だった。


「うまく、いきますかね?」


「この間、数学の教員が似たようなことをやっていました。もちろん、向こうは本当の教員志望の学生だったようですが」


「……そうですか。そうですね……では、その策でいかせてください」


「わかりました。ではできるだけ大学生に見える恰好でいらしてください」


「はい。ところで……」


「はい?」


「なんで、この取材にそこまで親身になってくれるんですか?」


「それは……」


 言葉が途切れ、沈黙が流れる。

 電話線は無言という時間を送り続けてきた。

 少しして、電話の向こうで大きく息を吸う音が聴こえた。そして再び、野々村の声が実春の耳に伝わる。


「ひとつ、私がどうしても訴えたいことがあるからです」


❀❀❀


 取材は平日の昼間――おそらく時間からして五時間目の時間帯――を指定された。この高校では、放課後や土日に進学指導をしているとのことで、授業の入っていない平日の昼間の方が都合が良いのだという。

 桜中央高校は、埼玉県の県庁所在地であるさいたま市のM駅から歩いて十分程度のところに位置していた。このあたりは学園都市でもあるのだろう。周りには公立私立問わず、いくつも高校が建っていた。なかでも、桜中央高校は公立高校ということもあって、特別新しいというわけでも、綺麗というわけでもなかったが、洗練された印象を与える学校だった。

 校内に緑が多いからかもしれない。花や樹が多く中庭に植えられており、それだけでなくグラウンドには中央に、一本の大きな木がたっていた。大きさからして、樹齢は相当いっているだろう。

 実春が通されたのは、保健室の隣に設置された相談室。一か月に二回程度、臨床心理士の先生が訪れ、カウンセリングルームとして使用している部屋だという。カウンセリングを受ける生徒のプライバシーを守るため、二重扉となっている。内密な話をするにはもってこいの場所だった。


 カウンセリングルームまでの道のりは、野々村がすべて案内をしてくれた。校門付近で「桜中央高校の野々村です」と自己紹介は受けたが、その後はひとつの世間話を挟むことはなかった。彼女は静かに校門横の職員専用扉を開け、カウンセリングルームの扉を閉めた。


 野々村は、文学少女がそのまま大人になったような容姿をしている。線の細い身体。傷みのない、ひとつに結ばれた長い黒髪。紺色の膝丈のワンピース。縁のない眼鏡の奥には、薄いアイメイクが施された二重瞼がまたたいている。アクセサリーは、胸元の一粒パールのネックレスだけだ。左手の薬指に、指輪も、それから指輪の痕もなかった。学校の教師というより、ピアノ教室の先生のイメージに近い気がした。


「それで、星川くんはどういう生徒さんだったんでしょうか?」


「……本当に、普通の子でした。問題を起こすこともなく、特に大きく目立つこともなく、穏やかな生徒だったんです。成績もとりたてて優秀というわけではありませんでしたが、いつも平均よりも高い点数を確実にとっていました。一言でいうなら、真面目な生徒です」


「そうですか」


 野々村は参考に、と星川斎月の成績表を広げる。一学期の中間考査から三学期の中間考査までの、それぞれの科目の点数がずらっと書かれていた。星川斎月が事件を起こしたのが、高校二年生の二月だったから、学年末考査は受けられなかったんだろう。そこには横線がひかれていた。ついでに野々村は高校一年生時の成績表も見せてくれた。一年時も二年時も、どちらも成績は良いほうなのだろう。どの科目も、野々村が言ったように、平均より高い得点をキープしている。しかも、ぎりぎりというわけでもない。一番、教師としては扱いやすいタイプの成績だろうと思うラインだ。


 成績の面を見れば、真面目を絵に描いたような人物だ。実春は取材ノートに「成績に異常なし」と書き込む。


「では、部活は? 何部にはいっていたんですか?」


「部活には入っていませんでした」


「え……それは、ありなんですか?」


 実春が通っていた高校は、全員部活に入ることが義務付けられていた。


 AO入試や推薦入試などを使用する際、部活の欄が真白だと外聞が悪く、入試に受かりにくいからだと聞いたことがある。他の高校もそうだと思っていたのだが、違うのだろうか。あるいは、頭の良い学校だと、そんなことは考慮しなくても問題ないのかもしれない。


「今、そうですね。はい。数年前までは全員、部活に入るのを強制していたのですが、PTAから、その……ご意見が多数よせられまして」


「ご意見?」


「……ええ。部活に放課後の時間を拘束されると、勉学に支障が出るかもしれないから、撤廃した方が良いというご意見です」


「ああ、そういう……」


 つまるところ、クレームが入ったというわけだろう。


 正直、高校生にもなって、部活に入らなければいけないという校則に噛みつく親がいることに驚きを隠せない。時間がなかったり、部活をやりたくないなら、ほとんど入っていないも同然の、活動が緩やかなクラブに入れば良いだけだ。実際、実春もそうしていたし、そういう友人は少なくなかった。


 それだって、高校生活で学ぶべきことのひとつだろう。親ならそう諭すべきなのではないだろうか。少なくとも、実春の親はそうだった。でも、そうはいかない親もいるのだろう。


 一時期、モンスターペアレントという単語が流行った。言葉自体は廃れたように思われたが、教育現場にいる人間からしたら、今もなお、直面している問題のひとつなのだろう。


「結局、部活動は全員強制ではなくなりました。まあ、その結果……何かが変わったわけではないんですけど」


 この学校は、おおまかな大学の合格実績を過去10年間分開示している。実春も今日ここに来る直前、学校のホームページを読んでいたため、そのあたりの項目にも目を通していた。確かに、東大や京大、国公立大学医学部、難関私大などに多数の合格者を出しているが、その数はほとんど横ばい状態だ。減っているわけではないが、増えているわけでもない。

 部活動への強制参加と学業成績は、ほぼ関係なかったのだろう。世の中、だいたいそんなものである。


「では、他に何か気になることとかありませんでしたか?」


「いえ……。申し訳ないくらい、私は星川くんについて知らないんです。担任教師だったというのに、恐縮ですが」


「そうですか」


 実春は壁に掛けられた時計を見る。取材を始めてから、10分程度しか経過していなかった。

 学校の先生から聞ける話なんてこの程度か、と思ってボールペンをかちりとノックする。そういえば、電話口できいた「訴えたいこと」とはなんだろうと思いつつ、ノートも閉じようとしたところで、野々村が「仁野さんはニュースの映像、観ましたか?」と訊いてきた。



「ニュース、ですか?」


「はい。……YouTubeで流されていた映像です。私も、生徒から見せられて知ったんですが……」


 この取材を始める前に、一通りのものは見ていた。どれのことだろう、と実春は会社で観た映像を頭の中で再生する。


「ここの学校の校門前で撮ったとされている、映像がありました。テレビのリポーターの人が、逮捕された少年というのはどういう子でしたか、って生徒や先生に訊いているものです」


 そこまで訊いて、あれのことかと思い当たった。


 事件からしばらく経ってから、「あの事件は結局どうなったのか」ということをコンセプトに、逮捕された犯人や被害者のことを調べたりする番組だ。確か、『あの事件の真相は【「K市マンション女性殺害事件」を追う】』という名前だったはずだ。K市マンション女性殺害事件の場合は、2022年8月に番組映像が配信されていたため――事件発生から半年たって、番組が放送されていたことになる。



「ああ、はい、観ました。先生とか、部活の先輩とか後輩とかが映ってて、彼はすごく優しかったから、そんなことをするなんて思ってなかった、そんなことをしたなんて信じられないって……」



 そこまで言ってから実春は、あれ、と思う。


 星川斎月は部活動に参加していなかった、という情報はさきほど聞いたばかりだ。


 でも、あの映像には確かに、同じ部活の先輩後輩とされる男の子二人組が映っていた。映像の中の男の子たちは、リポーターに「逮捕された少年との関係は?」と質問されて、「同じ部活の先輩と後輩です」と答えていたし、テロップにもそのように書かれていた。先輩の方は、彼が「レギュラーになって……」という説明もしていたはずだ。実春はあのインタビュー映像から、てっきり星川斎月は運動部に所属していると思っていた。でもよく思い出してみると、彼らは部活に関するものを持っていなかったし――もちろん、ぼやかされていたのかもしれないが――、「○○部なんですけど」と言うこともなかった。全部がニュアンスでぼやかされていただけだ。



「あれ、作り物なんです」


「え……」


「正確に言うと、作り物だと思われるんです。あれに出演しているのは……多分、テレビ番組を制作した側だと思うので」


「それって……」



 捏造じゃないですか、と言おうとしたところで、野々村が口を開く。


「星川くんが逮捕されてから、いえ、星川くんのお母さまが殺されたとわかってから、うちの学校では緘口令が敷かれました。すべて校長の指示によるものです」


「緘口令ですか。それはマスコミに対して?」


「はい。テレビや新聞、すべてのマスコミに対してです」


 じゃあ、なんで今、取材を受けているんだろうか。しかも、学校という場で。私に卒論執筆のための大学生という役まで与えて。


 そんな疑問が湧いてきたが、実春はとりあえず飲み込んだ。

 彼女の言った「訴えたいこと」が登場してきそうな気がしたからだった。



「星川くんが逮捕されてからすぐ、うちの学校はリモート授業に切り替えたんです。これも校長先生の指示でした。学校にはマスコミが押し寄せるだろうし、そうなると授業どころじゃなくなるから、と」


 リモート授業のノウハウはすでにあった。2020年、新型コロナウイルス蔓延にしたがって、生徒が学校に登校できなくなったため、多くの学校で採用されたからだ。


 この高校も例外ではなかった。


 加えて、さまざまな理由で、学校に通えなくなってしまった生徒に対して、リモート授業を行うという教育も行っているらしい。学校側としては、特に苦労もなくできたのかもしれない。


「リモート授業への切り替えの判断……それはすごいですね」


 リモート授業のノウハウがあったとしても、それ以上にすぐに通常授業からリモート授業に切り替えるということはなかなか判断ができないだろう。システムや技術云々以前に、実春はそこに感心していた。


 生徒が逮捕されるという事態なんて、遭遇しない率の方が高いはずだ。星川斎月の件は、桜中央高校の教職員からしたら、考えてもみないことだっただろう。なんとなく道を歩いていたら、現役ボクサーからボディブローをくらいました、くらいのことかもしれない。なのにもかかわらず、ここの高校の校長先生は冷静に事態を対処したということだ。


 正直、千里眼でも持っているのではないかと疑うほどの手腕である。


「もともと危機管理能力の高い先生でして、実は教職員には様々なことを想定したマニュアルが配られているんです」


「ちなみに、その様々なこと、っていうのは?」


「地震や火事などの自然災害に対するマニュアル……とはいっても、このあたりは校長先生がつくったというより、行政からの指示でしょうね。あとは学校に不審者が現れた場合、学校周辺に不審者が出没した場合とか。それ以外にも、生徒の親が何事かで乗り込んできた場合とか、教職員の不適切行為が露見した場合、それから生徒が不適切行為をした場合の事後対処など、多岐にわたります。……星川くんの件の際は、生徒が不適切行為をした場合に当たりましたね」


「それはまた……すごいですね」


 自然災害や不審者関連まではわかる。生徒の安全を守るためのものだろう。あと生徒の親が乗り込んできた場合、というのも、さきほどの部活動の強制参加をやめてほしいと学校側に言いに来た保護者がいるというくだりを聞いていれば、理解はできる。


「着任してすぐ、マニュアルを渡されて、目を通すように言われるんです。毎年四月にはそのマニュアルに従った教職員合同会議が行われます。……私も初めてこの学校に来たときにはやりすぎなんじゃないか、って思ったんですけどね」


「今回は、それが良かったというわけですか……」


「そういうことです。……あの番組では、星川くんが逮捕された直後に撮られたインタビュー映像だと紹介されていました。でも、それはあり得ないんです」


「お仕事しに来る先生はともかくとして、授業がないんじゃ、学校に来ている生徒はいないですもんね」


「ええ。学校は出入りを禁じていましたし、それこそ部活動も禁止していました」


「そうですか……それじゃあ、本当にあの二人組は、役者みたいなもの、ってことですよね」


「……少なくとも、ウチの高校にはいませんでしたね。……それに我が校には事件当時も、今も、あんな教員はおりません。極めつけに、星川くんは部活はしていませんでしたから。……何の意図を以って作られたのかはわかりません。わからないんですけど、でも、何か悪意を以って、あの映像が作られたんじゃないかと思ってしまうんです」


「……そう、ですよね」


「今回、弦悠社さんから取材の申し込みが来たと聞いた際、チャンスだと思ったんです」


「チャンス、ですか?」


「はい。……世に出ている映像が、偽物なんだと訴えるチャンスだと」


 これが彼女の「訴えたいこと」だったのか。先ほどまでぐるぐると廻っていた疑問が、胃のあたりに収まった気がした。

 


「……そうですか」


「はい。だから取材を受けたんです」


「でも、ひとついいですか?」


 ひとつ呼吸を置いて、実春は口を開く。




「あの映像で、星川くんは悪いことを言われていませんでした。優しくて、優秀で、真面目な子っていう描かれ方をしてましたよね」


「ええ。確かにそうです」


「それでも、訂正したい、と?」


「訂正じゃないです。あの番組の内容を訂正したいということじゃなくて、あれが作り物だということを訴えたいだけなんです」




 どういうことだろうかと頭を悩ませていると、野々村教員は「怖かったんです」と語り始める。




「私の生徒が、私の知らない誰かによって、『こういう子でした』と証言されているのが怖かったんです。言われている内容は差し障りのないことで、大した意味のない文字列でしたけど……そういうことじゃなくて、なんか怖かったんです。こうやって、きっと、適当な犯人像とか被害者像が作られていくんだな、と思って、怖かったんです」


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