担任教師・野々村咲への取材-2

 怖かった。


 その言葉は明らかに、メディアに関わる人間に向けたものだと実春は理解した。


「そう、ですよね……」


「はい。別に何が悪いとか、これが嫌だとかそういうことじゃないんです。でも、何か知らないところで、私の知っている人の適当な像が作られるという現実が怖かったんです。だから、あれは作り物なんですと、どこかで訴えたかったんです」


「なるほど……」


「でも、私は高校教師で地方公務員という立場です。SNSにもブログにも、そんなことは書けません。だから、何かしらの機会を伺っていたんです」


「そうでしたか。……私の書く記事に、どれくらいの影響力があるかはわかりませんが、とりあえず、このことは書きます。記事が公開された際には、確認してください」


「わかりました。……ありがとうございます」


「いえ」


 なんとなく取材が終わる雰囲気になったところで、馴染みにあるチャイムの音が鳴った。ふと壁掛け時計を見れば、もう取材を始めてから50分が経っていた。



「すみません、こんなに時間を取ってしまって……!」


「いえ、私が余計なことを申し上げたのが問題ですし……!」



 すみません、すみませんとふたりで謝り合っていると、再びチャイムが鳴る。今度は休憩時間が終わり、六時間目が始まる合図だった。


「すみません、先生、授業は大丈夫ですか?」と訊くと、「今日は午前中だけの授業なので」と返ってくる。その言葉に、実春はホッと胸をなでおろした。



「なので、校門までお送りします」


「ありがとうございます」


 促されて、荷物をまとめていると、実春の足元に一枚の紙が落ちていることに気づく。拾い上げると、明朝体で「アルバイト許可願」と書かれていた。その届け出書類に、実春はなつかしさを憶える。高校などかなり前に卒業してしまったから忘れてしまっていたが、確かに、アルバイトをするには学校に届けを出さなくてはいけなかった。実春も、夏休みや冬休みなどにアルバイトをしようと担任の教師に届けを提出するたび、「仁野、お前そんなことする前に勉強しろー。行ける大学ないぞー」と言われていたものだ。懐かしい。とはいえ、結局、許可印をくれたのだが。


 野々村に「落ちていましたよ」と渡そうとしたところで、届けに書かれた名前が「星川斎月」であることに目を留める。思わず実春の口から、え、と声が零れた。


「野々村先生、ちょっと最後にひとついいですか?」


「え? あ、はい」


 すでに書類をまとめ終え、カウンセリングに貼ってある掲示物を眺めていた野々村を呼び止め、実春はアルバイト許可届の書類を見せる。すると、野々村が「あ、すみません。通知表と一緒に持ってきちゃったんですね」と言う。




「その……星川斎月くんは、アルバイトをしていたんですか?」


「ええ、そうです」と言いながら、野々村は日付を指さす。

 

 その日付は2021年5月10日になっていた。ちょうどゴールデンウイーク明けくらいだ。


「2年生になってすぐくらい――なので、私が担任になってすぐのころに、アルバイトをしたいから、その許可届の書類が欲しいって言われました。4月中に渡したと思うんですが、アルバイト先の面接とか、そういうことが終わったのがゴールデンウイーク明けだったんでしょうね」


「理由とか、訊いてます?」


「やっぱり母子家庭だから、大学の費用の足しにしたい、と」


「大学進学費用の足しに……ですか」


「ええ」


 星川家は一家の大黒柱を喪っている。とはいえ、その父親が他界する理由となった事故は出勤途中であったため、当然ながら労災がおりている。さらには大手運送会社のトラックに轢かれたため、多額の賠償金が支払われていた。


 非情に下世話な話をすれば、本来、星川聖子がパートに出なくても良いくらいの金がある。ついでに言えば、大黒柱が逝去したため、あのマンションのローンだって無くなっている。


 つまり何が言いたいかといえば、星川家は困窮するような経済状況ではないはずなのだ。もちろん、贅沢や散財をしていないという前提の話ではあるが。


「星川くんは高校一年生の頃から、国立大学を志望していたと、前年の担任から引き継いでいました」


「それも、母子家庭だからってことですか?」


「ええ。お母さんにできるだけ負担はかけたくない、と。でも大学は出ておきたいということで。現在は大学全入時代ですし、大学進学は私としても賛成でした」


「まあ、そうですよね……。就職先だって、広がりますし……」


「ええ、そうです。それ以外にも大学を出ていた方がとれる資格が多かったりしますから。……とはいっても、首都圏の国立大学は、まあ、人気ですし、偏差値もだいぶ高めです」


「それは……」


 実春の脳裏に、赤門が浮かぶ。当然ながら、それ以外にも国立大学は多くある。だが首都圏にある国立大学はどれも偏差値も高ければ、倍率も高い。難易度が高い。


「そうですね。確かに首都圏の国立大学に受かるのは大変ですよね」


「ええ。私たち教職員も、彼の家庭事情は知っていました。だから母子家庭の星川くんに、他の生徒と同じように、予備校に行けだなんて言えません。だから、地方国立大学に行くのはどうか、とすすめていたんです。それなら学校でのフォローだけでどうにかなる可能性が高いから、と」


 頭のどこかにひっかりを憶えながら、なるほど、と実春は頷く。


「でも地方に行けば、今度は生活費がかかります。部屋を借りる初期費用だって、もちろんかかります。彼はそれを調べたんだそうで……。だから少しでもその足しになるよう、お金を貯めたいと言っていました」


「そういう理由でしたか……」


「ええ。だから私も迷うことなく、許可の印を捺しましたよ」


「そうですよね……」


「でも、だからこそ思うんです」


「何を、ですか?」


「……大学の進学にかかる費用のことを考えられる高校生は、少ないです。もちろん、経済的に困窮している家庭のお子さんであれば、お金のことを考えられる子も多いですが……」



 そう言いながら、野々村は窓の外を見る。


 カウンセリングルームということもあって、窓から見えるのは、学校をぐるりと取り囲む木々だけだ。だが代わりに、外から元気のよい高校生たちの声が聞こえる。「シュート」や「そこいけー」という言葉が飛び交っているから、体育の授業で、サッカーでもプレイしているのかもしれない。


 それを聴きながら、野々村は続ける。



「実際、うちの高校に来るような子は、中学生のころから塾にいけるような経済的に恵まれた子が多いんです」


「そう、なんですか? そういう子って私立にいくものでは……?」


「もちろん、私立に行く子も多いですよ。ですが、公立賛美があるのも事実ですから。塾に入れて、頭の良い公立に入れるという親御さんも少なくありません」


「そういうものなんですか……」


「ええ。公立の上位校に通っている子が、軽トラを知らないなんて事象も起きているみたいですからね」


「ええ……そんなことってあるんですか?」


「特にこのあたりは車社会じゃないですからね。知らない子は知らないですよ」


 野々村にそう言われて、実春は納得する。


 何を隠そう、実春は車移動が基本の場所で生まれ育った。田舎ではないが、都会でもないという中途半端な場所だ。もちろん軽トラはここそこで走っていたし、実春の祖父母は所有もしていた。


 だが、都内にほど近い学校に通う高校生であれば、基本が電車やバスなどの公共交通機関で移動する。車は所有しているだけでも、駐車場代やらガソリン代やら、税金やらが発生するからだ。軽トラだって、同じだ。それに軽トラは農作業などの仕事に従事している人が持っている印象が強い。実際、実春の祖父母は山梨でぶどうを育てていた。でも、このあたりでは農作業をする土地もない。子どもたちが知らないのも、無理ないのかもしれない。


「私は大学を卒業してからすぐに教師になって、異動もなく、ずっとこの高校で教えているんです。だから、割とずっとそんな子たち……経済的に恵まれて、塾やら予備校やらに行って、場合によっては家庭教師をつけてもらって、それで大学受験に臨むという子を相手にしています。だからこそ、驚いたんです。星川くんのおうちがシングルマザーだとはいえ、大学受験のときに勉強や成績のことだけでなくて、お金のことも考えられる高校生が本当にいるのか、と。普通は自分の成績のこととか、試験のことで頭がいっぱいになってしまいますからね」


「……まあ、普通はそうですよね。私もそうでした」


「こんな偉そうなことを言っていますが、私もそうでした。だからこそ思うんです。なんで、星川くんはお母さんを殺したんだろう、って」


 野々村がそう零した瞬間、校庭の方からピーというホイッスルの音が聴こえた。それはまるで、言ってはいけないことを規制するかのような音だった。


「あ、すみません、なんか変なことを言って……」


「いえ、いいです。ぜひ、そのあたり先生の考えを聞かせてください」


 そう促すと彼女は伏し目がちになってから、「私は今でも、星川くんがお母さまを殺したとは考えられないんです」


「その、理由をお伺いしても?」




「……担任教師としての私が知る星川くんは、お母さん思いの良い子でした。それも普通の高校生よりも、ずっとお母さんのことを考えていました。だからこそ、私は彼があんなことをしただなんて、考えられないんです」

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