第2話 フィルネストとエイレンの思い出

風に乗って漂う草の香りと、鳥のさえずりがあたりを包む中、街はずれの小高い丘の上に建つ祠(ほこら)はひっそりと佇んでいた。苔むした石造りの壁には、ところどころにひびが入り、古びた装飾が風化している。祠の周囲は、何百年もの間、人々の手で守られ続けてきたことを物語るように整然としていたが、その神聖さは少しも損なわれていなかった。入り口の石扉には古代文字が彫られており、かすかな魔力の痕跡を感じさせる。


この祠は、300年前に街を襲った魔物から人々を救うために、伝説の勇者がその力を封じた場所だとされている。フィルネストの家系――リューヴェン家は代々、この祠を守る役目を受け継いできた。



「お嬢様、早く掃除を始めないと、またお父様に叱られますよ」


エイレンの真面目な声が響く。彼は、祠の中で箒を手にしながら、じっとフィルを見つめていた。その表情には、ほんの少しの困惑と焦りが混じっている。



「だいじょうぶよ、エイレン!」



フィルは茶色の三つ編みの髪を揺らしながら、祠の中心にある祭壇の上に飛び乗った。緑色の瞳は輝き、手には杖を握っている。彼女の動きは活発で、掃除をする気はまるでなさそうだった。


「さぁ、今から私は伝説の勇者、フィルネストよ! この杖で魔物を退治するの!」


彼女は祭壇の上でポーズを決めると、大きな声で叫んだ。「街の平和は私が守るわ!」


エイレンはため息をつき、箒を下ろした。「お嬢様、本当にやるんですか? それじゃあ僕は、サポート役の魔法使いですか…」


しかし、彼の透き通る水色の瞳には、どこか楽しそうな光が宿っていた。



「そうよ! あなたは頼りになる相棒の魔法使い!」



フィルは杖を振り回しながら、祠の奥を指差した。「エイレン、あそこに魔物がいるわ! 火の魔法を使って追い払って!」


エイレンは少しだけ苦笑いを浮かべてから、小さく呪文を唱える真似をした。「了解しました、勇者様。火の呪文…えーっと、バーン!」


そう言って手を伸ばし、空を指差す。もちろん何も起きないが、フィルは「さすがエイレン!魔物を倒したわ!」と満足げに頷いた。




フィルは杖を掲げ、胸を張って大げさなポーズを取る。その仕草があまりに真剣すぎて、エイレンは思わず吹き出した。



「お嬢様、それじゃあ勇者というよりは…旅芸人みたいですよ。」



彼はそう言いながらも、手にした箒を剣に見立てて構え、フィルの隣に並んだ。「でもまあ、僕たちならどんな魔物だって倒せますね!」


「そうよ! 私たちがいれば、この街は永遠に平和よ!」


フィルは自信たっぷりに言い放ち、エイレンもつられて笑った。


二人は肩を並べて笑い合った。その声は祠の中だけでなく、外の静かな森にも響き渡るようだった。


外の風が、開け放たれた扉から吹き込み、二人の笑顔を優しく包み込んでいく。森の木々がざわめき、鳥たちが楽しげにさえずる中、まるで世界が二人の無邪気さを祝福しているような気さえした。



「じゃあ、次はどんな冒険にする?」



フィルがいたずらっぽい笑みを浮かべて聞くと、エイレンは少し考え込むふりをして、からかうような声で答えた。


「次は…祠の掃除をちゃんと終わらせてから、冒険に出るのはどうでしょう?」


その言葉にフィルは一瞬だけむっとしたが、すぐにまた笑い声を上げた。エイレンもそれにつられて声を上げ、二人の笑い声は風に乗って広がっていった。


それは、どこまでも平和で、どこまでも明るい瞬間だった。



そして、それから何年かが過ぎた――。

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