第8話 少女の覚悟
「んーーっ! んっーー!」
「静かに!」
くぐもった声で騒ごうとするレイチェルに、ジェイミーは首元から短剣を離すと顔を近づかせ囁き声で沈黙を求める。
「騒がないと約束しますか?」
顔の距離を保ったまま真剣な表情で問いかけるとレイチェルは黙って首を縦に振った。
嘘はついてない。そう判断するとジェイミーは口から手をどけた。
「……ぷはぁ! いきなり何するんですか⁉︎」
「それはこっちの
訴えを無視し、逆に冷ややかな視線を向けると一転してレイチェルはバツの悪そうな表情になった。
「いなくなった貴方を追いかけなくちゃって思って、もしかしたら学園の方に向かったのかもって……」
「それで?」
「貴方が言っていた通り学園の周りには結界が展開されていたどこからも入れなかったんですけど一箇所だけ抜け穴みたいなところがあって……」
どうやらジェイミーが細工してきた箇所を目敏くも見つけて入ってきたらしい。
「何であそこで待っていなかったんですか?」
「待ってろなんて言ってなかったじゃないですか」
「そんなことは――」
あった。確かに「待て」とは言わなかった。
だからと言って明らかに良からぬことが起こっていると分かる場所へ行こうとするものなのだろうか?
疑問はあるが取り敢えず目の前のこの同級生をなんとかしなくては。
”穴”は既に閉じているだろう。ならば――、
「今現在、この学園は何者かに占拠されており、大講堂では生徒の皆さんが人質に取られています」
「えっ……」
「敷地内には敵の見張りがいる可能性もあります。貴女はここで身動き一つせずに待っていてください」
「貴方はどうするんですか?」
「おれはこの状況はなんとかします」
レイチェルを外へ逃すことは叶わない以上、じっとしてもらうのが安全を確保するための最善。
それに自分の実力を知られるわけにはいかない。
見たところ学園入学を機にやってきたのであろう田舎娘の彼女が【分隊】について知っているとは考えにくいが、どんな形でもこれ以上疑念を持たれるのは厄介だ。こんなことをしていて既に不可解に思われているだろうに。
つまりレイチェルに隠れてもらうことは彼女の身を守ると同時に正体を隠すことが出来る一挙両得の解決策。
これで自分は心置きなく任務に専念できる。そう思ったのだが――、
「わたしも一緒に行きます!」
「…………はい?」
予想外の返答に調子の外れた声をこぼしてしまう。
「わたしもこの学園を助けるために協力します!」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
こんな無茶に対する返答は一つだけだ。
「結構です」
「いいえやります!」
しかし、レイチェルも引き下がる様子はない。
ジェイミーは分かりやすくため息を吐くと説得を始める。
「学園を占拠した連中は戦闘のプロです。間違っても子どもの貴女が勝てる相手ではありません」
「貴方だって子どもじゃないですか!」
「おれはそこらへんの人と出来が違うので」
「わたしだって故郷で魔獣退治をしていました。同年代の人たちと比べたら戦えます!」
「魔獣と人では勝手が違います。死にますよ?」
「死にません!」
「死にます」
「死にません‼︎」
レイチェルの頑なな態度にジェイミーは早くも説得が困難なことを悟った。
子どもの身で戦うことがどれだけ無茶なことか理屈で説き続けても無駄に時間を浪費するだけ。そう判断すると恐怖に訴えかけることにした。
「きみは人と戦う怖さを分かっていない」
口調と同時にジェイミーの纏う空気が変わる。
それをレイチェルも如実に感じ取った。
「魔獣と人間の違いは悪意だ。魔獣にも悪意はあるがそれは極めて野生的なもの。だから人と魔獣の戦いは生物同士の生存競争という原始的なものになりやすい。だが、人同士の戦いはそんな単純なものじゃない。憎悪、欲望、衝動、あらゆる動機の元成り立っている。この動機が多ければ多いほど悪意は複雑化し、大きくなる。きみはそんな巨大な悪意にこれから晒されることになる。特にきみは女だ。ただ殺されるだけとは限らない」
淡々と感情を挟まず紡がれてゆく言葉。だがそれが故、話の意味がダイレクトに伝わってゆく。
それを証拠にレイチェルの双眸に恐怖の陰りが見え始めた。
あと一押し。
そう確信するとジェイミーは説得を再開する。
「それに人を殺す感触は魔獣を殺すそれとはまるで違う。何故多くの宗教で殺人が禁忌とされてきたか分かるか。単に罪深いからじゃない。
実体験を交えたジェイミーの語りは非常に生々しくレイチェルにその情景を容易に想像させた。
魔法と言う文字通り「魔の法」に触れる以上、人の死を目にする機会は必ずある。それくらい魔導師を志したものなら誰でも理解出来ていることだ。
しかし、覚悟が出来ているかは別である。
長く生きてきた分、様々な人の死を見てきた大人ならば出来ている者も一定数いるだろうが、反対に子どもはそうでない者の方が圧倒的に多いだろう。レイチェルもその一人だ。
語り終え、先程よりも陰が色濃くなった翡翠色の瞳にジェイミーは脅しはこれで十分と判断し、背中を向けた。
「それが理解出来たなら、ここで大人しくしているように」
そう言い残すと話は終わったとばかりに歩き去ってゆく。
「わたしは!」
だが、遠ざかるその背中を震え混じりの声が止めた。
「軍人になりたくて故郷から出てきたばかりで、キミの言う通り人と戦ったこともなければ、それがどれだけ恐ろしいことかも分かっていない……でも、魔法学園はわたしや他の人たちにとっても夢を叶えるための第一歩で……そんな憧れの場所を荒らす人たちが許せないの!」
完全に心を折ったつもりだった。
どこにそんな勇気が残っていたのか。
面食らった心持ちで振り返るとレイチェルが真っ直ぐにこちらを見据えていた。
黒の双眸は確かに怯えの色彩を帯びているが、それを塗り潰すように覚悟の精気で溢れている。
ジェイミーの話が理解出来なかったわけでも、楽観視しているわけでもない。確かにその恐ろしさを脳髄に叩き込まれた上で決意を固めている。
「確かに悪意に晒されることも、人を殺すことも怖い。でも、こんなところで止まっていたらわたしの夢は叶えられない! だから、わたしも戦わせて!」
だから何だと言うのだ。
いくら勇気があろうとそれに見合う力がなければただの蛮勇。一蹴し、改めて「大人しくしていろ」と告げるべきだ。それが彼女のためでもある。
しかし――、
「――分かった」
そう一言だけ返すと再び背中を向け、歩き出した。
それがどういう意味なのか一瞬掴みあぐねたレイチェルだったが、すぐ「ありがとうございます!」と頭を下げ、ジェイミーの後を追いかける。
何故、ジェイミーは彼女が着いてくることを許したのか。
根負けしたというのはある。死への恐れでレイチェルの心を折ることが出来なかった時点でジェイミーは負けていた。
だが、そんなことを意に介さず彼女の意識を奪い、どこか安全な場所に監禁するなどの強硬手段に出ることも出来たはずだ。任務を完遂する上でレイチェルの存在は邪魔でしかなく、盤面から排除するのが得策であることは間違いない。
それにも関わらず何故――、
(似ていた――からかもな)
恐れを押し殺し切れなくとも脅威に立ち向かおうとする姿が。
(あの人に――)
久々に思い返した気がする。いつもは思い出さないようにしていた。思い出しても辛いだけだから。
(そう言えば――)
ここでジェイミーは自分の思考が任務とは無関係な事柄に傾きかけていることを自覚した。
(今は任務に集中しろ)
そう自分に言い聞かせるとジェイミーは未練を断ち切るように思考を完全に任務だけに没入させた。
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