第6話 入学式中止
時は遡りレイチェルが遅刻を回避しようと爆走していた八時五十分。
入学式を十分前に控えた魔法学園の大講堂には多くの新入生が詰めかけていた。
これからの学園生活に胸を躍らせる者、緊張した面持ちの者、落ち着いた佇まいの者、十人十色の様子を見せている。
しかし、とある者がやってきたことによってそれは驚きの一色に染まった。
「いらっしゃったぞ……」
「綺麗……」
「あれが『
前髪を切り揃えた汚れを知らぬ処女雪のように白い長髪に
彼女こそがレア・ターニャ・シオン。この国において最もやんごとなき血を受け継ぐシオン皇室の一員である第二皇女だ。
「有象無象め。不躾な視線を皇女様に向けよって……」
「そうカッカッするなよジル。皇族を、しかも絶世の美女で有名なレア様を
「逆にフェリックス、おまえは緊張感が足りないのだ。もう少し自分が護衛だと言う意識を持て」
そう言い合うのはレアの側に控える生真面目そうなブロンドヘアのボブカットの少女と、亜麻色の髪の間から毛皮に覆われた耳を生やした
「大丈夫よ二人とも。
「レア様……しかし……」
「貴女が護衛としての任を全うしようとしてくれてるのは分かるけどあまり気張り過ぎないで。そんな眉間に
「なっ……美人など……皇女様に比べればわたくしなど路傍の石も当然で……」
顔を赤らめながら謙遜するジル。
確かにレアと比べれば劣るかもしれないが、通った鼻筋にアーモンド型の碧眼、小顔がより際立つスラリと高い身長は十分美人と呼ぶに相応しい。
これでもう少し取っ付きやすい性格だったらなとフェリックスは苦笑した。
「でも、
そう下から笑いかけてくるレア。
その優美さを感じさせながらも年相応のあどけなさが残る笑顔にジルは同性ながら見惚れそうになる。
が、鋼の意志で何とか持ち直し再度周囲へ注意を向けると怪訝げにこちらを見るフェリックスに気が付いた。
「どうしたんだ?」
「いや、レア様なーんか今日はリラックス出来てるなーって。いつも人前に出る時は割と緊張気味なのに」
「フェリックスが
不本意な指摘にジト目で応射するレアだが、それでもフェリックスがたじろぐことなく見つめ続けていると不本意とでも言いたげに息を吐いた。
「
そう再度ジト目を送るとフェリックスは破顔し、おどけたように言ってみせた。
「そんなムキにならないでくださいよ。緊張をほぐすジョークですよジョーク」
「そのジョーク自体が不要なのだ。レア様は緊張などしていないのだからな」
ジルの援護射撃が加わるとフェリックスは降参とばかりに両手を上げ、それ以上は何も言わなかった。
そして三人はあらかじめ空けられた最前列の中央へ横並びに並ぶ。順番は右からフェリックス、レア、ジルだ。
始業時間まで十分を切っているのに列の穴が意外に多いことが気になるも
だが、いくら待てども始業式が始まる気配がない。
「……遅いな」
フェリックスが懐中時計を取り出し見てみると時刻は予定時間とっくに過ぎており、九時十分を回ろうとしていた。
「何をしている……いつまでレア様を待たせるつもりだ」
同意するように苛立ちを口にするジル。
集まった他の生徒たちもこの状況に違和感を持ち始めており、ひそひそ囁き合っている。
「何かトラブルでもあったかしら?」
「そう言えば教職員の人が何かごたついてような」
「本当かフェリックス? ならわたくしが事情を確かめに――」
「いや、念のためレア様からは離れるな。何かあるかも――」
フェリックスはそこで言葉を切った。
獣人は人間に比べ、元々の五感が優れている傾向にある。
迫り来る複数の乱暴な足音、それに合わせるように奏でられる無機質な金属音。
教師のものかと一瞬思うもフェリックスの本能は違うと警報を鳴らしていた。
「クソッ! やられたッ!」
遅きに失した己の気づきに悪態をつきながらも体の向きを変え、レアを背後に庇う形で前へ出るフェリックス。
直後、生徒たちから見て背後にある入り口の扉が乱暴に開けられると雪崩れ込むように黒いローブで身を包んだ集団が入ってきた。
「〈全員動くな〉! 〈動けば攻撃するぞ〉!」
学園関係者でないのは明らかだ。
侵入者らは脅し文句を詠唱とし、頭上目掛けて次々と魔術を連射してゆく。
放たれた魔術は大講堂の天井を抉る音を立てながら建物全体を揺らした。
突然ことで呆気に取られていた生徒らは止まっていた時が動き出したように悲鳴を上げ、頭を守るようにその場へしゃがみ込んだ
「全員黙ってその場から動くな。妙な動きをすればその場で殺す」
しかし、それらの絶叫は神経を凍てつかせるようなその一声で沈黙に帰した。
声の主は他の者たちと同じ黒ではなく、青いローブを着た男。
声量があるわけでもないのに全員の耳に届いたほどの威圧感を伴ったその声は生徒たちに命令を従わせることを強制した。
(あいつがリーダー格のようだな)
声の言う通りに従いながらフェリックスはそう判断した。
リーダー格の男は生徒全員が座ったのを確認すると二人の部下を連れ、最前列で足を止めた。
「皇女レア、我々とともに来て頂きたい。さすれば他の者には危害を加えないと約束しましょう」
「そのようなこと許すと思うか!」
その要求に反発したジルが立ち上がるとともにどこからか黄金に輝く砂が出現した。
金。それがジルの操る砂の正体だった。その美しい光沢と加工しやすさ、腐食せずあらゆる水溶液の耐性を持つという点から古代より最も価値のある物質の一つとして扱われ、人類が奪い合ってきた金属。
高密度に凝縮した砂金を無数の弾丸とし侵入者へ放つ。当たれば体が穴だらけになること請け合いの一撃だが――、
「砂金か。なら――」
一同を弾丸から守るように謎の液体が壁となり、その全てを融解したのだ。
「バカな……金を溶かせることの出来る液体など――」
「あるだろう? 濃硝酸と濃塩酸を3:1で混ぜ合わせればできるものが」
「――っ!
「しまっ――――」
それは人にとっても劇薬である。
死を招く橙赤の蛇がお返しとばかりに
「〈震撼せよ〉、〈我が旋律〉!」
だが、詠唱とともに放たれた衝撃波が彼女をそれから守る。
「すまない。助かった……」
「間に合ってよかったよ……肝が冷えたぜ……」
安堵したように返すのはフェリックス。
第三階位魔法振動系魔術[
「おっさん……でいいのか分からねえけどあまり舐めない方がいいぜ。見たところお前ら十三人しかいねえだろ。こっちは百四十人はいるんだぜ。未熟な魔導師の卵と言えどもこの数全員を相手取るのはいくらなんでもキツいんじゃねえか?」
フェリックスのその言葉に生徒たちの恐怖心が僅かに和らいだ。
戦力差は十倍以上。それに自分たちは仮にも魔導師。非武装の一般人とはわけが違う。侵入者側も戦闘の心得はあるだろうが数の暴力で勝てるのではないだろうか?
そんな希望的観測が彼らの中に見えてくる。
それは行動となって現れ、一部の生徒が座れと言う命令に逆らう形で立ち上がり始めた。
しかし――、
「確かに、君たち全員を相手にするのは我々でも骨が折れるかもしれない。しかし――我々が斃れるまで君たちは何人死ぬかな?」
その言葉で大講堂内の雰囲気が凍りついた。
「まさか我々全員が殺されるまでの間、君たち全員が無事でいられるとでも思うたか? 命惜しくば再度膝をつけ。それでも
濃密なまでの殺気が生徒全員の心臓を貫き、戦慄の寒気がぶり返してくる。
少し考えれば分かることだ。戦いとは互いの命を賭けて行われる殺し合い。勝利=生存などと言う単純な世界ではないのだ。
生徒たちの何よりの望みは自分が助かること。その可能性が揺らぐことがあっては逃げ腰になってしまう。
例え侵入者たちを殲滅出来たとしても自分が死んでしまっては意味がない。
これが戦いを
残酷な現実を突きつけられ生徒たちは一人、また一人と死への恐れに屈し、膝を折った。
「何をしている! 皇女殿下を守るために今こそ――」
「ジル」
生徒らを鼓舞しようとするジルを制止し、レアはリーダー格の男へ語りかける。
「
「ええ。皆が大人しくしているという条件付きではありますが」
その言葉を聞いたレアは男の真意を見定めるようにローブの中から覗かせる双眸をじっと見つめていたが、ややあって背後を振り返るとフェリックスに向かって軽く視線を遣った。そして――、
「分かりました。あなた方の要求に従いましょう」
体を正面に戻し、そう了承した。
「レア様お待ちを! こんな輩の要求に従う必要などありませぬ!」
「ジル、そしてフェリックス。後はお願い」
考え直すよう訴えかけるジルの言葉にレアは答えることなく、ただ安心させるような微笑みを向けた後、三人に連れられその場を去っていった。
「待ってください! 待っ――」
「止めろジル。レア様のご命令に従うんだ」
尚も食い下がろうもするジルを止めるフェリックス。
だが、ジルが落ち着く様子はなく、腕を掴んでくる彼をキッと睨んだ。
「何故止めるフェリックス! おまえはわたくしよりもずっと前から護衛をしているのだろう! それなのに――」
「あのおっさんがヤベェからだよ」
周囲に聞こえないよう顔を近づけ、小声でフェリックスは言った。
「あれがいる限りおれたちだけじゃどうにもなんねえ。多分おれたちが束になっても敵わなねえよ」
その推察にジルは言葉を失う。
自分はそんな者に刃を向けていたというのか。
「それにここには上流階級出身の子息、息女が大勢いるんだぜ。こいつらが死ぬことがあったら大問題になる」
「だからと言って……」
「安心しろ。ヤツらもすぐにレア様をどうこうするつもりはねえ。そのつもりならわざわざ連れ去ったりはしない。それに――」
「それに……何だ?」
「いや……何でもねえ。とにかくレア様は大丈夫だ。分かったなら大人しく座ろうぜ。奴らの機嫌損ねて殺されたらレア様が身を挺した意味がなくなっちまう」
そう言われ、仕方なく状況を飲み込んだジルが下唇を噛み締めながら腰を下ろした。
「先生方か外からの助けが来るのを待つしかないということか……」
「……まあ、そうだな」
そう言いながら自分も腰を下ろすフェリックスだが、助けが来るのは難しいと考えていた。
(連中は綿密な計画を練ってこの襲撃を起こしている。そんなヤツらが何の対策もしてないとは思えねえ。恐らく外には既に侵入者を阻む結界が張られてるだろう。それに奴らが襲撃して来るまでここに教師陣は一人たりともここへ来なかった。つまりは――)
生徒に知られればパニックになるであろう最悪の事態をフェリックスは誰にも聞かれない脳内で言葉にした。
(先生方は足止めされてるか、殺されてるってことだ)
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