第5話 初めての甘味

 カフェ“ハーデンベルギア”。学生街に店を構える人気喫茶店カフェでコーヒー、サンドイッチ、パスタが定番メニューとして知られている。

 そんな繁盛店も学生たちが学舎で勉学に励んでいる平日の午前は閑散としており、一人の客もいないという時間も少なくない。

 しかし、現在は二人の学生が屋外の客席である街路沿いのテラスに腰掛けていた。


 彼らのテーブルの上には定番メニューには目もくれないと言ったようにケーキ、ムース、クリームパフ、プディングなどの甘味スイーツ類が大量に置かれており、そのアンバランス極まりない注文にたまに通りかかる通行人たちは皆二度見をしていた。


 (どうしてこんなことになっているんのだろう……)


 テーブルを挟む形で着席する二人の学生の片割れであるレイチェルが心中で呟いた。

 自分はこれから魔法学園の入学式に向かう予定だったはずだ。

 始業式の時間はとうに過ぎている。こんな所でゆっくりしている場合などではない。

 焦燥感から膝が小刻みに震え、落ち着きなく目線があらゆる方向に揺れる。


 それなのに――何故自分は初対面の男子とお茶をしているのか。


 正面を見ると自分をここへ連れてきた張本人である青年は一言も発さず、テーブルの甘味スイーツをパクパクと食べている。

 また意外に思うかもしれないが、この偏った注文は全て青年によるものでレイチェルは一切関与していない。


 「あの……」


 「何ですか?」

 

 入店してから何も話そうとしない青年にレイチェルが勇気を出して声をかけるとようやく彼は手を止め、顔を上げた。


 「あなたは――」


 「ジェームズ」


 「はい?」


 「おれはジェームズ・フレミングです。親しい人からはジェイミーと呼ばれています」


 どうやら自己紹介をしているらしいと気が付いたハリエットは自分も名乗り返す。


 「あ……はい、わたしはレイチェル・ライダーと言います」


 「レイチェル・ライダーさん、ね。覚えた」


 そう確認の言葉を口にすると興味を無くしたように再び甘味スイーツへ視線を落とす。


 「あ、あの!」


 「食べないんですか?」


 「え?」


 「さっきから一つも食べていないですよね。折角なんだから少しくらい食べたらどうですか? 貴女も食べるつもりで注文したので」


 そう促されたレイチェルは自分の前に置かれた皿に初めて目を向けた。

 食欲をそそる茶色に焼かれ、三枚重ねの薄型の丸いスポンジケーキの上にたっぷりのメープルシロップと一欠片のバターが置かれたそれはパンケーキという甘味スイーツだ。

 甘味スイーツの原料となる砂糖や蜂蜜は高価なため、庶民家庭出身のレイチェルにとっては初実食となる。

 目の前のパンケーキもこの一品で一ヶ月分の食費を賄えるほどの値が張ってもおかしくない。

 そう考えるとたじろいでしまう気持ちもあるが、それ以上に皿から漂う芳醇な甘い香りが鼻腔をくすぐり食指を促してくる。

 もう我慢できない!

 文字通りの甘い誘惑に負けフォークとナイフを手に取ると目で追いきれない速さでパンケーキを八等分し、三枚分まとめてフォークで突き刺す。そして、口へ放り込んだ。

 

 「――――‼︎」


 それは今まで味わったことがない味だった。

 ふわふわの食感、口いっぱいに広がる小麦と砂糖とシロップの甘味、そしてそれにメリハリをつけてくれるバターの塩気。

 まるで幸福という概念を具現化したような味わいに頰が緩み、瞳が蕩ける。

 この時間を出来るだけ長く堪能したい。

 そんな衝動に突き動かされるように次々と残りのパンケーキを口へ運んでゆく。


 「美味しかった?」


 パンケーキを完食したレイチェルにジェイミーが尋ねる。


 「はい! とっても!」


 「よかった」


 その返答にジェイミーは満足げに微笑んだ。


 (そんな表情かおも出来るんだ……)


 出会ってから一度も崩すことのなかった無表情を綻ばせ、優しげな眼差しを向けてくるジェイミーにレイチェルはどう言葉で表現して良いのか分からない感覚を覚える。

 この胸の中を染め上げる感情は何なのか。

 分からない。

 強いて言うなら遅刻しまいと全力疾走していたつい先程までの感覚にも近い気が――、


 「あ」


 ここでレイチェルは失念していた自分の置かれた現状を思い出した。

  

 「こんなことしている場合じゃないですよ! もう入学式も始まっています。少しでも早く行かないと――」


 「大丈夫ですよ」


 レイチェルとは対照的な落ち着き払った声色でジェイミーは言った。


 「何も気にすることはありません。貴女はここでお茶をしていればいいんです」


 「何も大丈夫じゃないですよ! これから学園に入学するのにその門出である入学式に参加しないなんて前代未聞です! 周りから白い目で見られるのは間違いない上に下手をすれば入学取り消しになるかもしれないんですよ!」


 事の重大さを必死に訴えかけるレイチェルだが、それでもジェイミーの表情は変わることなく冷静なまま。

 側から見れば彼女の言っていることを理解できず楽観視しているようにも受け取られるかもしれないが、当のレイチェルの目にはそれを理解した上でジェイミーが動揺していないように感じられた。

 だが、その理由がわからない。どんな考えがあればこの状況で呑気に甘味スイーツなど頬張っていられるのか。


 「心配する必要なんてありませんよ」


 「だからどうして――」


 「入学式は中止になるから」


 その言葉の意味を理解するより先に異変は起こった。

 レイチェルの視線の先――魔法学園を囲うように魔素マナの障壁が展開し、立方体の形となって校舎を閉じ込めたのだ。


 「あれって――」


 「結界術を使った魔法学園の防衛システムですね」


 魔法学園には外敵から生徒を守ったり、侵入者を閉じ込めるための防衛システムがいくつかある。

 その中で最も強力なものが学園の周囲に張り巡らされた第四階位魔法防御系結界術[護法結界プロテクション・キューブ]。あらゆる物理、魔法攻撃を無効化する障壁を平方キロメートル単位で立方体の形状で囲む防御系の結界術だ。

 つまり学園は今何かしら危険な状況に陥っているということ。

 中では何が起きていると言うのだろう。

 様々な疑問が気泡のように湧き出てきて頭を駆け巡る。

 しかし、レイチェルの気に留まった疑問は一つだけだった。


 (まさかこの人はこうなることを知って――)


 そう視線を前へ戻すがそこにジェイミーの姿は既になく、代わりに注文した値段分の紙幣がテーブルの上に置かれていた。

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