第2話 特別任務通達

 「ジェームズ・フレミング。任務結果の報告を」


 「はっ」


 窓ひとつなく日の光も届かない、ランプの灯りのみで照らされた薄暗い室内に彼はいた。

 ここはシオン帝国軍務省直下中央情報庁庁舎の地下に設けられた施設の一室。

 多くの機密情報を扱う中央情報庁の拠点には数多くの防犯、対盗聴、対盗撮システムが完備されているが、中でもこの地下施設は特に厳重な仕様がなされている。

 しかし、ここがどう言った用途で使用されるのか――いや、そもそも地下施設の存在を知っている者自体、中央情報庁内でも少ない。


 そしてその数少ない人物がジェームズ・フレミングとその正面、机越しに腰掛けた軍服を纏う褐色肌にアッシュグレー髪を短く切り揃えた精悍な顔立ちの男。彼の名前はラティーフ・ウッディーン・スィヤーム。シオン帝国の全諜報員、工作員を統べる中央情報庁のトップである長官を務めている。


 「午前二時九分、情報通りプレイ海岸へ工作員二十六名の上陸を確認。その内二十五名を抹殺、残る一人である隊長格の男から既に潜入している仲間との合流場所を聞き出すことに成功しました。本部に連絡したのちその地点へ向かい、午前三時十五分に到着。しかし、時間である二十分を過ぎても工作員らしき者たちは姿を現さなかったため、そこから更に四十九分後に合流した情報分析官と交代する形でこちらへ戻って参りました」


 「相分かった。それについてはプレイ海岸方面から通信の痕跡が確認されている。恐らくは襲撃の混乱の最中さなかに連絡を入れられたのだろう」


 「このような至らぬ結果となってしまったのはひとえに私の力不足によるものです。このフレミングいかなる処分も――」


 「いいや、今回情報を掴めたのはギリギリで十分な準備もままならなかった。それに本来の目的である密入国者らの殲滅には成功したのだ。気に病む必要はない」


 「お気遣い痛み入ります」


 そう言うと頭のてっぺんから爪先まで無駄な身じろぎひとつない洗練された動きで頭を下げた。


 「貴官が倒した工作員の男は既にこちらで拘束済み。合流場所周辺も徹底的に調べてはいるが――」


 「まだ時間がかかりそうなのですね?」


 先回りした部下の言葉にスィヤームは表情を僅かに曇らせて頷いでみせた。


 「連中が追加の応援を寄越したのは作戦の目処が立ったということだ。それを潰されたことで作戦の見送り、延期をする方向へ舵をきるかもしれないが警戒するに越したことはない。最短で叩く方向で行く」


 相手が今回の一件がきっかけで手掛かりを掴まれ、作戦が破綻することを恐れていることは間違いない。そうなってくると準備が万全でないまま作戦を強行してくる可能性も十二分にある。

 希望的観測は捨て、迅速に行動すべきなのは明白だった。


 「新たな情報を掴み次第、連絡をする。それまでは新たな任務に従事するように」


 「新たな任務、ですか?」


 「うむ。貴官にはこれから長期の特別任務にあたってもらう。詳細も今ここで説明しよう」


 「はっ!」


 拒否権などない。

 ただ与えられた任務を淡々とこなす。

 間を置かず返事の声を上げるとすぐに頭を次の任務へと切り替え、下される指令に耳を傾ける。


 「これから四年間、貴官には魔法学園に通ってもらう」


 「……はい?」


 学園。今までの人生とはまったく無縁の言葉に思わず間の抜けた声を洩らしてしまう。


 「聞こえなかったか? では今一度。貴官には魔法学園に――」


 「いえ、聞こえています。聞こえていますともスィヤーム長官。ですが、何故私が学園へ? 任務というのは理解出来ますが……」


 「それには三つの理由がある」


 その言葉に気持ちが再度引き締まる。

 それが任務内容の詳細を指すと理解したからだ。


 「まず一つ目が貴官に公での身分を与えるということ。知っていると思うが貴官の隊は皆、表社会における身分を持っている。貴官は今までそう言ったコミュニティに入りにくい立場にあったが、もう今年で十五歳だ。魔法学園への入学が可能になった」


 「つまり私には学生の立場を利用しつつ、諜報活動に従事して欲しいということですね?」


 「それも重要だが同じくらい学業も疎かにしないように。魔法学園の卒業資格を得ることが出来ればその後の隠れ蓑キャリアの選択肢が大きく広がる」


 要するにこの進学は自分の諜報員としての今後を占う大きな分岐点。

 油断されにくい学生の身分を使っての任務遂行と言うよりも魔法学園を卒業し、経歴に箔を付けることを上官は望んでいる。

 そのよう解釈すると「承知しました」と短く答えた。


 「二つ目が貴官と同じく魔法学園へ入学予定の皇女殿下の護衛だ」


 「皇女殿下の……ですか?」


 「うむ。我らが陛下には二人の皇子と三人の皇女がおられる。その中の一人で次女であるレア皇女殿下は貴官と同じ十五歳で魔法の適性があったため、魔法学園へ入学されることになったのだ」


 「ですが、皇女殿下ともなれば護衛は大勢いるはず。わざわざ私が出張る必要などないのでは?」


 その指摘にスィヤームは否と首を横に振った。


 「学園内に警備部隊はいるが、皇女殿下だけに張り付いているわけにはいかない。加えて学園への部外者の立ち入りは原則禁止されているためそばへ控えられるのは否が応にも学生になってしまう。しかし、護衛として適性を認められたのはたった二人。それだけでは正直心許ない」


 魔法学園内でレアの護衛を務めるには三つの条件がある。


 まず一つ目が魔法学園への入学。

 魔法学園は単なる学校ではなく、国の息がかかった最先端の学術機関でもある。

 故に望めば誰でも入学出来るわけではなく、魔法の適性を認められた上で高倍率の試験に合格しなければ入学は認められない。一応推薦枠もあるが、それを獲得出来るのは入学前から成果を上げているような一部の天才だけだ。

 この時点でほとんどの者がふるいに掛けられるが条件はまだ二つある。


 その二つ目が護衛としての適性。

 どんな窮地に置かれようとも自分の身よりも護衛対象を守り抜こうとする鋼の意思、そしてそれを貫けるほどの実力が必須。護衛と言う任に就く者としては当然の条件だが十五歳の子どもに求めるにはあまりにハードルが高い。

 現にレアの護衛二人は前者の条件はギリギリ満たしているものの後者についてはまだまだ発展途上との評価を下されていた。

 尤もこれらを完璧にこなすことは本業の護衛でも難しいことなのだが。


 最後の三つ目が後ろめたいことのない、信頼出来る者であること。

 これはある意味、先の二つの条件よりも重要と言えるだろう。

 皇女であるレアを籠絡しようとする者やその身柄を狙おうと考える者は腐るほどいる。

 そんな連中がこれを絶好の機会と見てお誂え向きの人物を送り込んでくることもあるかもしれない。


 つまりレアの護衛を務めるには魔法学園へ入学出来るほどの秀才かつ、どんな状況でも自らの役割を全うする実力と精神性を兼ね備え、私利私欲に走ることのない清廉潔白な人物でなければいけないのだが、そんな都合の良い人物がそうそういるわけがない。

 そんな厳しい実情が反映されたのが未熟な護衛二名という心許ない結果だった。


 「承知しました。普段は狙う側ですが、だからこそそう言った連中のやり口も分かります。完璧にこなしてみせましょう」


 確かな経験と自信から由来する部下の返答にスィヤームは深く頷いた。


 「そして最後の三つ目だが、これが一番重要だ。心して聞くように」


 「はっ!」


 そう力強い返事をしながらも内心では首を傾げた。

 王女の護衛よりも優先されることがあるのだろうかと。


 「貴官の社交性の乏しさ――分かりやすく言うとを改善するのだ」


 「……………………は?」


 いかめしい顔つきのまま、「コミュ障」と言う砕けた表現を用いた上官の言葉に長い長い沈黙の後、再び間の抜けた声が洩れ出た。


 「諜報員において最も重要視されるのは情報を得ること。そのためには相手に警戒されず、懐に入れるような社交性が必須だ。少々特殊とは言え、貴官の隊でもそれは分からん。にも関わらず貴官は他者と関わりを厭い、対象はおろか隊員同士のやり取りも最低限しかしようとしない」


 「し……しかし、私は諜報員として活動するようになってからのこの二年間、任務に失敗したことは一度たりともございません。もちろん正体が露見するようなことも」


 「それは重々承知している。ジェイミー、貴官は我が国でも最強の諜報員と称して差し支えない。だが、今のままではいずれボロが出る。具体的に言うと社会へ出た際に悪目立ちしてしまう。それを小官は懸念しているのだ」


 ジェームズを愛称で呼んだスィヤームの言葉は職務に対する悪影響を憂慮しているようにも聞こえるが、そこにはもう一つ別の感情が宿っていた。

 それは親心にも似た純粋な心配。

 スィヤームは年長者として部下の身の上を案じているのだ。このままでは彼が真人間として生きていけないのではないかと。

 そんな上官の気持ちをジェイミーは理解していたが、彼にはどうしても訂正したいことがあった。


 「長官、一つ申し上げますが、私はなどではありません」


 「ん?」


 今度はスィヤームが表情を崩す番だった。

 何故だかその反応に納得がいかず、ジェイミーは自分がコミュ障ではない根拠を並べ始める。


 「私が普段他者と話さないのは会話が苦手だからではなく、その必要がないからです。言葉など交わさなくとも相手の思考は読めますし、その行動を読み違えるなどと言ったこともありません。故に私にとって会話とは時間を浪費するだけの無駄な行為でしかなく、一秒一瞬の遅れが命取りになる諜報員の職務をこなすにおいて可能な限り切り捨てるべき要素であると考えます。そもそも私は長官が懸念するような会話下手ではございません。現にこうして問題なく話が出来ていますし、隊の者とも必要なコミュニケーションは取れています。加えて――」


 「……分かった。もういい」


 放っておけば延々と続きそうな部下の主張をスィヤームが頭痛でも催したかのような表情で手を前へ出し遮る。


 「小官の懸念は間違いではなかったようだ。貴官は重症らしい」


 「重症? 私は極めて健康体でございますが……」


 「まずは友達を一人作るところから始めなさい」


 親が子に諭すような優しい口調で告げられたジェイミーは置いてけぼりにされた気分で頭上に疑問符を浮かべた。

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