カフェ店員 亜耶②
「うーん。サイズ合うかな?この色、似合いそうなんだけどな」
亜耶さんは旦那さんの服を数種類持ってきて唸っている。
「章太郎くん旦那より身長高いもんね。そうだ。ワンサイズ大きめの服があったかも」
両手をパチンと叩き、亜耶さんが店の奥へ消えていく。
「あ、お気遣いなく‥」
「ちょっと待ってて。章太郎くん、身体冷えてるだろうし、お風呂入っとく?」
「え⁈いやいやいや!いいです!」
「冗談よ」
悪戯っぽく笑う。あー、何て癒しだ。
俺って、年上好きなのかな。いや、これは亜耶さんが悪い。
こんな純粋無垢な人妻がいるなんて、天文学的確率だろ。
「おふろ、入らないの?」
「うわっ!」
急に耳元でそう囁かれる。
そうだ、俺は今、幸せと不幸が同時に起こっている。
ホラー映画のようにテレビの中から出てきそうな女の人は、俺以外には見えていないらしい。
よくよく見てみると、少し浮いている。
ということは、信じたくないが、目の前にいるのは人間ではなく、幽霊だという確率が高い。
恐る恐る顔を見てみる。暗い所では分からなかったが、こうして明るいところで見てみると、何というか。
伸び切って前を覆う髪とオドオドしい態度、暗い雰囲気で気づかなかったが、よくよく顔を見てみると、その幽霊は美人だった。
パッチリ二重の大きな目。髪の毛を綺麗に切ったらもっと印象が変わるに違いない。年齢も俺とそう変わらないのではないか。
「ねぇ。ふろ、入らないの?」
「あのね、そんな図々しい事出来ませんよ」
「だって、あの女が」
「女、じゃなくて、亜耶さん」
「あや‥。すきなの?」
「だから、そうじゃなくて、いや、好きですよ?でもそれは異性としてじゃなくて」
「じゃあ、わたしのこと、すき?」
何でそうなるんだ。
頭が痛くなる。
「あの、あなたが俺以外には見えないとして。どうやったらいなくなってくれるんです?」
女の人は無言で下を向く。
あー、駄目だ。怖すぎる。目が覗かなくなるともう恐怖映像だ。
困った、と頭を抱えていると「ふたつある」と言った。
「二つ?え、二つも?」
女の人は指を一本立てる。
「わたしのことを、愛してくれること」
「二つ目は?」
俺はすかさず答える。そんな選択肢があってたまるか。そもそも幽霊をどうやって愛せばいいというんだ。
幽霊の負のオーラがいっそう強まった気がしたが、続けて二つ目を口にする。
「‥あなたが、大切な人以外の女と、浮ついたことをしないこと」
「浮ついた事?ってなに」
「せいこうい‥」
「は、はぁ?」
何言ってんだこの女。そんなの、当たり前じゃないか。もしかして、本当に亜耶さんの事を好きと思っているのか?馬鹿馬鹿しい。亜耶さんはそれは魅力的だが、旦那がいる。しかも、俺にだって凛がいる。
そんな二人が、何を間違ってセックスをするというんだ。
「‥しない?」
「あのねぇ。するわけないでしょ。だからさっさとどこかへ—--」
「おとこは、すぐに、うわつく」
静かで小さい声だが、プレッシャーを感じるのは何故だろう。迫力というか、怨念というか。
「すぐ、うらぎる。あなたも、そう」
その断定的な物言いにイラっときた。
「あなたに何かあったのかは知りませんがね。俺はそんな事しませんよ」
「‥なら、ためしてみる」
「試す?」
なにを。
「あったあった。あったよ。これならきっとサイズも合うと思うんだけど」
亜耶さんが晴れやかな笑顔で一枚の上着を手にこちらへ駆け寄ってきた。
「一回、これ着てみてもらえる?」
「あ、はい」
俺は亜耶さんから受け取った上着を片手に後ろを振り向く。
しかしそこには幽霊の姿は見当たらない。
どこに‥
周りを見渡す。そこで、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
「え、は、はぁ??」
幽霊は亜耶さんの頭上の所で浮いて止まっており見下ろしている。そこから八の字に動いた後、勢いよく亜耶さんの身体の中へ、入った。
あっ、と小さく声が漏れ、電気を食らったかのようにビクンと反応させた亜耶さんは、足から崩れ落ちた。
「亜耶さん⁈」
俺は慌てて駆け寄る。
な、何が起こった。一瞬、幽霊が亜耶さんの中へ入ったような。
「亜耶さん!亜耶さん!」
俺は激しく身体を揺らす。
嘘だろ、あの幽霊、もしかして‥。嫌な予感がし、もう一度大きな声で亜耶さん、と叫んだ。
「う、うーん‥」
唸り声と共に、亜耶さんの目が開いた。
「亜耶さん!」
「あ、あれ、章太郎くん‥ここって」
「何言ってるんです。お店ですよ。亜耶さんの店」
「あ、そっか。ごめんごめん。なんか、急に意識が抜けちゃって。疲れてるのかな」
あははっ、と照れながら笑う。
良かった。いつもの亜耶さんだ。
俺はもう一度当たりを見渡す。幽霊の姿は見えない。
どこかへ、消えたのか?
「あ、あのー、章太郎くん」
亜耶さんが何か言いにくそうに俺の方を見ている。
その視線は、俺の手に。
俺は、どさくさに紛れて、亜耶さんの腕を強く掴んでいた。
「あ!す、すみません」
「ううん。別に。ごめんね、迷惑かけて」
最悪だ‥。気が動転していたとはいえ、軽々しく身体を触るなんて。
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