カフェ店員 亜耶①

最悪だ。


突然降り出した大雨に「くそっ!ありえねーだろぉ!」と俺は天に向かって叫んでいた。


バイト終わりの金曜日。時刻は夜八時を回っている。

最悪だ。今日は雨が降るなんて言ってなかったのに。

雨はどんどん激しさを増す。顔に当たる度にイラつくが、早く家に着きたい一心で自転車を必死で漕いだ。


撫子橋を渡る直前で信号が赤になる。


チッと舌打ちをし左右を見渡す。車は来ていない。信号無視をしようとペダルに足をかけて進んだ。


信号を渡り、少し坂になっている橋を渡る。


(この橋、妙に長いんだよな‥ん?)


何か前方に気配がした。


ライトを照らしてないことに今更気づき、俺は足で自転車のライトをつける。


(なんだ‥?‥まさか)


丁度橋の半分に差し掛かる位置で、違和感の正体に気がついた。


嘘だろ。


雨の中、傘もささずに立っている女性。

それだけではない。その女性は橋の上に立っており、今にも飛び降りそうだったのだ。


急ブレーキをかけた拍子に、キィィ!という音と共にスリップし自転車ごと横に倒れる。


「‥ってぇ‥」


倒れた自転車のライトが橋の上を照らす。そこには長髪で白のワンピース姿の女性がこちらを見下ろしていた。


黒髪は顔を覆うように伸びており、その隙間から目が妖しく光る。夜と雨というシュチュエーションもあって、より一層不気味さを増していた。

しかし今にも飛び降りそうなその女性に対して、俺は「あ、あのっ」と何とか言葉を振り絞る。


その女性は身動きひとつしない。

いや、いい。そのまま、動かなくてもいい。


下の河川敷を流れる川はいつもの穏やかさから一変し、雨で流れが速くなっている。

こんなところに流されたら一溜まりも無い。


「あ、あの!な、何してるんですか」


雨で掻き消されないよう、声量に気をつけて問いかける。


「危ないですよ、そんなところに立っていたら」


刺激しないよう、ゆっくりと近づく。

不思議と、怖くない。

何故か妙な親近感さえ感じる。


「とにかく、降りませんか?何があったのかは知りませんけど‥」


馬鹿。何て無責任な言葉。


その女性は、ゆっくりと口を開く。


「わたしのこと、すき?」


「え?いや、その」


予想外の質問に戸惑う。これは、どう答えればいいんだ。戸惑っている俺に追い打ちをかけるよう質問を重ねてくる。


「ねぇ。わたしのこと、愛してる?」


「いや、俺たちは、その、初対面ですし、そもそも俺、他に大切な人がいて」


その女性は沈黙した後、軽く飛んでこちら側へ降りた。

無事に地面に着地したのを見て、ホッとする。

俺より少し低い、160センチには満たないであろう身長に小柄な体型。

とても儚さを感じる。


無言で、前を覆う暖簾のような髪の隙間から覗く目は何かを値踏みしているかのよう。

その瞳には不安と好奇心が入り混じっているように感じた。


「ねぇ」


「は、はい!」


大きな声で聞き返す。早くその場を離れたらいいのに。いつの間にか雨は少しずつ小雨に切り替わっていた。


「そのたいせつな人、愛してる?」


「え?それは、勿論」


同じ大学に通うりんは俺とは不釣り合いなくらい美人な彼女で、俺達は卒業と同時に結婚しようと考えている。


その凛の事を愛してるかって、当たり前だろ。


「ほんとうに?ほんとうのほんとうに?他の女に、浮つかない?」


「な、何ですかその質問」


そんなの、あんたに関係ないし、第一なんで見ず知らずの死にかけの女にそんな風に聞かれないといけないのか。


章太郎しょうたろう君?」


後ろから、自分の名前を呼ぶ声がした。

振り向くと、そこには俺の憧れの人が立っていた。


「どうしたの?こんな夜中に」


「え、あ、別に」


目の前の不気味な女の人と、カフェ店員の亜耶さんを交互に見る。


「だれ?このおんな」


「いや、誰って」


まずあんたが誰だよ!


「えーっと‥」


亜耶あやさんがぎこちない笑みを浮かべ俺の方を見てくる。

茶色の自然なボブヘアーと白のタートルニットがよく似合う。

まさに、清楚という感じだ。


いやそんな事はどうでもいい。まずこの場から離れないと。この女の人も大丈夫だろう。あとは知ったことでは無い。


「いや、この人とは今知り合ったというか、知らない人で」


聞かれてない事を自分から答える。

すると亜耶さんはより困った顔で頬をかく。


「あのー‥あっ、章太郎くん、この後時間ある?」


話を変えるように突然そう聞いてきたが反射的に「あ、はい、空いてます」と答える。


「良かった。丁度渡したい物があったの」


両手を組み合わせ喜ぶ仕草は違和感なくとても三十路前の既婚者に見えないほど若々しい。


「あれ、でもそのままじゃ風邪ひいちゃうね。タオルと‥とにかく、店来る?」


「はいっ」


嬉々としている俺の背中へ視線を感じる。


「その人が、大切な人?」


「いや、この人は、てか、あなたに関係ないでしょ!あなたももう帰った方がいいですよ」


「あの、章太郎くん」


言いにくそうに亜耶さんがこう聞いてきた。


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