10話 家

「ちょ、片桐さん、そんないきなり」


 慌てて増長刀を握り締めるも、当然彼は俺の反抗を許さない。ピシャリと音がして激痛が走ったかと思えば、刀が地面に叩き落される。


「……ッ!」


「選択したまえ、牧志君。今ここで死んで両親を泣かせるか、それとも我々と共に行動し両親を安心させるかだ」


 片桐さんはそう言いつつも、鎖を自由にさせていた。鎌首もたげた形代が、俺の事をギロリと睨む。存在しない眼球に、俺は冷や汗を零した。


 返答を誤れば命の保証は無いだろう。どうする、今ここで手を叩くべきだろうか。いや、相手は俺の戒律を知っている。時が戻ることすら許してはくれないかもしれない。もしくは、時が戻ったことを感知して、何らかの手を打ってくるかもしれない。


「さぁ、牧志君、選びたまえ」


 地面に刀を落としたままの俺に、片桐隼人は冷酷だった。

 その上から目線な態度が、なんだか腹立たしく感じてくる。


「あんたらって最初っから最後までそうっすよね」


「うん?」


 まずい、口を開いて出た言葉が、完全に鬱憤のそれだった。止めなければ、そう冷静に諭す自分が居るには居る。熱不知を倒すのに手こずった俺を余裕綽々といった態度で審査する男だ。戦って勝てる相手じゃない。ここで言いたいことを言ったとしても、何の解決にもなりはしないぞ。と、俺の中にいるもう一人の自分が警笛を鳴らしている。だが、一度溢れ出した言葉は止まらなかった。


「昨日だってそうだったっすよ。俺をスカウトしに来たとか言いつつ、命狙うし。それで何度も死にかけた俺に対して上から目線で仲間になれ的な? はん、何様だよお前ら。今朝だってそうだ、実力を測るとか言いながら命がけの試験させるし。全然助けねえし。あんたらが知らないだけで、俺は何回か死にかけたんすよ。もしあのまま死んでたらどうするつもりだったんすか。ほら、こうやって試験終了だとか言いつつ俺を脅すし。どうせ、これも俺を試してるんだろ? 何をそんなに恐れてるんすか? 俺があんたらを裏切ることが怖いんすか? そりゃそうか、過去に戻って何度でもやり直しができる俺が怖いんすよね。あー、分かった分かった。あんたがどんなに強くったって俺は何度もやり直しが効くんすもんね。そりゃ怖くて震えて夜も寝れないっすわァ」


 俺は右手に握り拳を作って、グイっと片桐さんへ向ける。あぁ、今すぐこの顔面を殴ってやりたい。余裕そうに微笑みやがって。何様のつもりだ。


「分かってんだよ、あんたらはどうせ、なんだかんだ言いつつ俺が怖いんだ。俺が強いから、力で捻じ伏せようとしているんだ、そうだろ。弱いと結局そうなるんだよ。気持ちわりぃ、群れてルールを勝手に作ってそれを押し付ける。あぁ嫌だ嫌だ、ねちっこくてキモイキモイ。小心者つーのはいつだってそうだ」


 俺の一番嫌いなタイプだ。学校でもそうだった。場に馴染めない奴は、いつか風紀を乱す。だから武力で、暴力で、成績で、将来で揺さぶりをかけてくる。高校に行けないぞとか、警察に捕まるぞとか、両親が心配するぞとか。まるでこっちの弱みを握りしめたかのように、満足気な顔をして言い放つのだ。その捻じ曲がった根性が許せない。


「それは俺が咎人とかいうやつだからっすか」


 本来人が持ちえない能力、戒律を持つ存在。それを彼らは咎人と呼ぶらしい。この国にとって、咎人は始末するべき存在。


「俺を生かしてやるってことに満足感得てんじゃねえよ。何様気取りだ」


 堰を切ったように言葉が溢れ出す。自分の意志では止められない。いや、止める必要もないか。だってこんな奴だぞ。俺の事を散々コケにしてきた奴らだ。言ってやる。全部言ってやる。思っている事ぶち撒けてやる。


「俺がお前らに何したってんだ。俺はただ、ただただまっとうな人生を歩もうとしてただけじゃねえか!」


 そう言い放った瞬間だった。パスンッという小さな音と同時に、俺のすぐ脇を弾丸が掠めていった。恐る恐る音のした方を向くと、柴咲冴真がじっと俺を見ながら、まっすぐ銃口をこちらへと向けている。


 彼の手に握られている銃を俺は知っている。心臓グロック。確実に心臓を狙うことが出来る形代。彼はそれを握りしめたまま、表情一つ変えずに俺を睨みつけていた。


「やめなさい柴咲君。君の悪い癖だ、すぐに手が出る」


「出てるのは手じゃありません。弾丸ですよ」


「そうやって、ああ言えばこう言うのも悪い癖だぞ」


「僕は事実を述べたまでです。それと、咎人である彼を生かす理由は一つですよね。片桐係長。彼がその道を外れようとするのであれば、僕は彼を撃つ権利があります」


「やめなさい、今彼は動揺しているに過ぎない。そうだよね牧志君?」


 片桐さんは優し気に微笑む。それでも尚、彼の周りを巨大な鎖が漂っていた。


「組織に入るよね? 家族に迷惑かけたくもないだろう?」


 結局のところ、俺はそれ以上何も言い返すことはできないままだった。断れば殺される。親は人質みたいなもの。たとえ俺が今ここで何を叫ぼうと、用意されている選択肢は一つしかない。


「組織に、入ります」


「それは良かった。でも、我としては君を強引に勧誘したいわけじゃないんだ。あくまで君が、自主的に組織へ入った。その方がいい」


 グギギ、奥歯を噛み締める音が、鼓膜の向こう側から聞こえた。


 その後、霞ヶ浦の事後処理は、警察の他チームが引き受けることになったらしい。増長刀は片桐さんが回収し、俺はそのまま帰宅という流れになった。


 そういえば、先日は警察署で一泊過ごしたな、と今になって思い返す。春の牢屋はまだ冷たかった。でも、今日は無事に家へ帰れるらしい。


 部屋がないという理由で牢屋へと入れられた恨みもまだ忘れていないぞ。せめて客人として持て成すくらいの気概は見せてほしかったものだ。いや、彼らからしたら脱走されるのが怖かった故の選択なのだろう。


 結局俺のことが怖いんじゃないか。


「両親には我から説明しておこう」


 運転席に乗り込んだ片桐さんは、そう言ってエンジンをかけた。後部座席に通された俺は、窓の外に目をやったまま。返事なんかする気もない。


 正直不安だった。俺の両親は納得してくれるだろうか。いや、納得できるはずがない。自分で言うのもなんだが、俺の両親はかなり過保護じみている。俺のことが毎日心配といった風で、学校での出来事を逐一聞いてくるほどだ。


 そんな両親に、危険な仕事をするつもりだなんて言えるはずもない。もちろん、その職に就かない限り命を狙われる立場であることも言えるはずがない。


 そもそも俺の両親は、俺が将来良い大学に入って、良い就職先について、素敵な家庭環境を築き上げるのだと信じきっている。それを裏切るような真似、できるだろうか。いいやできない。俺は両親をこれ以上不安にさせたくないんだ。


「片桐さん、一つお願いがあるんすけど」


 家へと送ってもらう車の中で、俺は彼にそう語りかけた。


「君の言わんとすることは分かっているよ。なぁに、心配しなさんな」


 片桐さんはそう言うと、がははと豪快に笑ってハンドルを切った。


「係長、カーブの時は減速してください」


 冴真の憎たらしい言葉だけが嫌に記憶の断片にへばりついている。そんなつい先ほどの記憶を思い返しながら、俺はノートを閉じた。


 今俺の両親と片桐さんはリビングで話をしている。俺の今後について相談するためだとか言っていた。実際両親は、俺が生まれて初めて丸一日家に帰ってこないことを心配していたようで、片桐さんを見るや否や凄い剣幕で詰め寄っていたのだ。


 数学の参考書を複数選んで、それをリュックサックに詰める。あとは何を持って行こうか。特に思い入れのあるものはこの部屋に無い。あるのは勉強用のノートとペンと参考書、無数の付箋紙と、オリコンチャート一位を取った楽曲だけが詰め込まれたアルバム、それと父譲りのCDプレイヤー。


 俺の部屋に娯楽と呼べるものはない。どうしても暇をつぶしたいときは、ゲームでも漫画でもアニメでもなく、勉強を選択していた。俺は優秀ではなかったから、人一倍努力する必要があったのだ。


 そんな俺がバラエティー番組を見るのは、家族団らんの夕食時のみ。それ以外は部屋にこもって勉強していた。両親と話をするのが、正直好きではなかったからだ。

 さて、荷物はこんなものでいいかな、と一息ついた瞬間だった。


「うちの子が!?」


 リビングの方から母親の金切り声に似た叫びが聞こえてきた。冷汗がドッと流れ出る。もしかして、片桐さんは余計なことを言ったのではないだろうか。もしそうならすぐに止めなくては。どうする、今出るべきか? いや、それじゃ遅い。手を叩くしかない。


 パチン――。


 六秒先の意志を受け取った俺は、手に持っていた参考書を投げ捨てて部屋を飛び出した。


 片桐さんめ、俺の両親にいったい何を言いふらすつもりなんだ。いや、どんな些細なことだろうと許してはならない。俺の両親を不安にさせるだなんて、あってはならないことなんだ。片桐さんを信用するべきじゃなかった。俺を試すような男だ。きっと俺の両親にだって揺さぶりをかけているに違いない。


 ドアを乱暴に閉めて、全速力で階段を駆け下りる。何やら片桐さんの話す声が聞こえてくるが、うまく聞き取れない。というか傍耳立てている場合じゃない。


「ちょっと待って!」


 俺がリビングに体を滑り込ませた瞬間だった。


「うちの子が!?」


 母親の金切り声が聞こえた。一歩遅かった。六秒という縛りは、やはり短すぎる。


「母さん……」


 俺は息を飲んだ。リビングの真ん中で、テーブルを囲って椅子に腰かけた両親と、笑顔を崩さないままの片桐さんを交互に見る。相変わらず気味の悪いほど満面の笑みを浮かべた片桐さん、手に何らかのパンフレットをもって震える父、その隣で目を白黒させる母親の姿が見えた。

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