11話 両親
何を言われるのだろうか、次の言葉が全く予測できない。中学生の頃から、今までずっと気をつけてきたんだ。両親を心配させまいと、ずっとずっと。
そんな俺の気持ちを他所に、片桐さんはニッと歯を見せて笑った。
何をそんな悠長にしていられるんだ。畜生、増長刀でその首引きちぎってやりたい。いや、そんな暴挙に出れば、両親が度肝を抜いてしまうだろうから、もちろんするつもりは無いが……。
さて、俺の親は何を言うのだろうか。
ゴクリ、生唾を飲んだ瞬間だった。
「時光、あなた凄いじゃない!」
開口一番に、母は晴れやかな口調でそう言った。予想していなかった言葉に息が詰まる。
「偏差値七〇以上の高校に転校するんですって? 将来安泰ね!」
「……え?」
「聞いたぞ時光、どうしてもっと早く父さんに相談してくれなかったんだ。ははーん、さては驚かせようとしていたな?」
「えっと……」
「時光、あなたは本当に優秀な子だわ。大学はやっぱり東大にするの? 将来どんな職業に着くのか楽しみになってきちゃった」
「母さん……」
「時光は優しい子だからなぁ、弁護士なんか向いてるんじゃないか。官僚になってくれてもいいんだぞぉ」
「父さん……」
嬉々として世迷言を口にする両親を交互に眺めてから、視線を片桐さんへと移す。彼は俺と目が合ったのに気づくと、ウィンクした。気持ち悪い。
「ちょっと、片桐さん良いですか」
「おう、先生になんでも聞きなさい」
片桐さんはそう言うと勢いよく立ち上がり、俺の脇まで寄って肩を組んだ。それから小声で囁く。
「すまない時光くん、まさかこれほどまでに君の両親が……その、なんというか」
「過保護なんすよ……」
俺の言葉を聞き、片桐さんは笑顔のままコクコクと頷いた。よく見れば、首の筋が張っていて下顎の筋肉がボコっと膨らんでいる。笑顔だと思っていたが、もしかすると顔が硬直しているのかもしれない。そういう癖なのだろう。
「で、片桐さん、俺の親になんて説明したんすか」
「えっと……嘘は言っていないんだ。偏差値七〇以上ある優秀な高校に入ってもらうことになるって話をしただけで……」
「高校? 俺そんな話聞いてないっすよ。警察官として働くんじゃないんすか?」
「あれ、言ってなかったっけ? まぁ、そうだな。詳しい話は後でしよう。それより、君の両親を落ち着かせてくれないか?」
はぁ、思わずため息が零れた。まぁ仕方ないか。
分かりましたとだけ耳打ちすると、俺は片桐さんを押しのけて両親の方に目をやった。期待いっぱいの眼差しでこちらを見つめる純粋無垢な我が肉親。彼らの考えていることはおおよそ予想が着いている。
「ドッキリ大成功!」
俺はわざとらしく身振りを大きくしてポーズを取った。父がやられたァと大袈裟に叫び、母がそれを見て笑う。
「そうだよなぁ、時光がそんないい高校に入るわけないよなぁ」
「もう、あなた失礼よ。時光の気持ちを考えなさい」
「ごめんごめん、ははは、いやぁ騙された」
そんな二人に、俺は胸を張る。
「入学することになったのは本当だよ!」
一瞬の静寂。それから、改めて両親は声を張り上げて驚きの仕草を見せた。
「どぇぇぇ!? ドッキリってのは嘘だったのかぁ?」
「あなた、今すぐ謝って、時光はやっぱり優秀なのよ!」
「そ、そうだな。時光すまん、お前の実力を疑った訳じゃないんだ」
「そうよ時光、あなたならできるって信じてたんだから」
一度始まると彼らの合奏は止まらない。ブレーキの効かない自転車だ。ちょっと都合のいい斜面を走らせると、暴走してしまう。
「ふふふ、父さん母さん、驚いたでしょ。俺、もっといい大学目指すために、実はこっそり転入試験受けてたんだよね」
嘘である。
「そうそう、時光くんは優秀でしたよご両親。我としても、難題試験を一人で突破する子は初めて見ましたから」
多分本当である。
ドッキリの内容が、両親の中で確定したのだろう。彼らは目を合わせて全てに納得したと言いたげに微笑むと、手を取り合って喜んだ。
「時光のやつ、親に黙って勝手なことして、なんてやつだ」
「本当よねぇあなた、まさか時光が私達の知らないところで急成長していただなんて」
「誕生日プレゼントに参考書を買ってあげただけのことはあるなぁ」
「えぇ、とっても嬉しいわ」
また始まった。そんな両親の暴走を制するように、片桐さんは一つ咳払いをする。
「よろしいですかな?」
二人が押し黙ったのを見て、改めて彼は頷いた。貼り付けていた笑顔が顔から薄れ、口角が下がる片桐さん。これから話すことこそが、最も重大なことであろうと、想像するに容易かった。
「実は、牧志時光君の今後なのですが、一度我々の寮にて預からせて頂こうと思っております」
「え?」
「は?」
両親の表情から笑顔が消えた。というか、俺もその話知らなかったぞ。てっきり家から警察署に出勤するものだとばかり思っていた。家から通えないとなれば、両親が反対するに決まっている。
「それは困りますよ先生」
最初に反対の声を上げたのは父親だった。
「時光はまだ高校一年生。誕生日も迎えていないんですよ。十五歳。まだまだ子供です。そんな我が子を、寮生活? 危なっかしくて看過できません」
「そうですよ先生」
次に声を上げたのは母親だ。
「時光は寂しがり屋なんです。それに好き嫌いも多いし。寮生活なんて始めたら、きっと不安で心が折れちゃいます」
勝手な決めつけだ。だが、俺は反論するつもりなんかない。両親がそう決めたのであれば、従うまでだ。俺は両親に逆らわない。そう心に決めているから。
もし父が人を殺せと言うなら、俺は迷わず殺すだろう。もし母が俺に死ねと言うのなら、俺は迷わず首を吊るだろう。それくらい、従属すると決めているのだ。
別に両親からそう頼まれた訳では無い。これは俺なりの、贖罪なのだ。かつて親から貰ったこの命を、勝手に捨てようとしたことへの償い。俺は両親に尽くす義務がある。
「ふむ……」
片桐さんは顎を指で擦りながら、困ったと言いたげに眉を顰める。さて、あんたはなんて答えるんだ。俺は両親に従う。両親が嫌だと思うことは、絶対にしない。
あんたは俺が逃げたり仕事を放棄することが怖いから、寮生活を強制しようとしているんだろうさ。でも、俺の両親を納得させることは出来るか? 無理だろう。俺は家から通わせてもらう。ちゃんと片桐さんの望む仕事はするつもりだが、それ以前に、俺は牧志家の一人息子なんだ。家族を優先させてもらうぞ。
「失礼ですが、寮生活のチャンスをみすみす逃しても、本当によろしいんですか?」
片桐さんの言葉に、父親が首を捻った。
「どういう意味ですか」
「いや、これはきっと、牧志時光君にとっても大きな転換点なのですよ。寮に入れば、同じ志を持った友ができるでしょう。分からないことがあれば助け合い、辛いことがあっても共に乗り越える。そんな仲間が。もちろん学校で得られる友情もありましょう。しかし、寮は勉学の垣根を越えた、より複雑な人間関係を学ぶ場でもあります。もし彼が将来、人を助ける職種に着くとなれば、今の内に人との関わり方を学ぶのも、いい機会ではないか。我はそう考えるのですが?」
片桐さんの言葉に、両親は押し黙ったまま答えない。片桐さんの言うことは確かに正しいかもしれない。でも、正しさは人を動かすに足りうる力を持ち合わせてはいない。人の意見を変えるのは、いつだって感情だ。
「共に食事をし、共に生活し、共に眠り、共に起きる。そんな友情を育むチャンスを、与えてやってはいかがでしょう?」
「でも、それは今じゃなきゃならないことなの?」
母が尋ねる。父は考え込む仕草をする。片桐さんの言葉は、両親に響かない。響くはずがない。両親は俺を守るために反対してくれるはずだ。
そもそも、俺は高校に通うことも寮生活することも聞かされていなかった。ただ、組織に入らなければ俺が殺される。もし俺が死ねば両親が悲しむ。それが嫌だから、口裏を合わせているだけだ。
でも、ほんの少しだけ思ってしまった。
「俺、寮生活やってみたい……かも」
楽しそうだと。
「時光……」
しまった、思った言葉が思わず口から零れ出してしまった。慌てて口をつぐみ、チラリと父の顔色を伺ってみる。あ、目が合った。父は不安げに俺を見つめている。その視線に耐えきれなくて、俺は逃げるように視線を逸らした。
いつも学校から帰れば、親に色々と聞かれる生活だった。学校はどうだ、友達はできたか、好きな人はいるか、先生はどうだ。そんな会話が正直ウンザリだった。でも、もし違う誰かと生活してみたらどうなるだろうか。
ほんの少しだけ、期待で心が弾む。両親を不安にさせたくない気持ちより、俺の人生がほんの少し変わりそうな気配に、胸が踊る。
「父さん、母さん、俺、手紙書くよ。休みの日には会いに行く。だから、寮生活に挑戦してみても、いいかな?」
それは、多分俺の中で初めての、精一杯の反抗だった。
ドッと体の底から後悔の波が押し寄せてきた。言ってしまった、両親に逆らうようなことをしてしまった。不安にさせないぞと心に決めていた家族を、不安にさせてしまう言葉。自責の念がみるみるうちに溢れ出して来て、ギュッと目を瞑る。
「お前がそう言うなら、行ってこい」
父の言葉に被せるように、母も言葉を紡ぐ。
「母さんも毎日手紙出すからね。お腹すいたら必ず帰ってくるのよ」
両親の返答に、俺は耳を疑った。え、行ってこいって言われた……? 俺はてっきり猛反対されるとばかり思っていた。いや、猛反対してしかるべきとすら思っていた。でも、彼らは俺の意見を尊重してくれたんだ。その事実に困惑した。
「いつでも帰ってきていいからな」
父の言葉に、胸の奥が熱くなる。彼等は俺の事を、何よりも尊重してくれたんだ。この家が俺の生まれ育った場所だ。愛おしくて、恋しくて、とても大切な人達なのだ。
「うん、分かってるよ。またすぐ会えるから。だってほら、ゴールデンウィークも夏休みもあるんだからさ」
俺の言葉を聞いて、ようやく両親は納得したらしい。仕切りに頷いてから、片桐さんの方を向いた。
「うちの息子を、よろしくお願いします」
片桐さん、今あんたはどんな気持ちなんすか。これから命がけの戦場に送り込もうとしている奴の両親から、将来を託されるなんて。どうしてそれで、あんたは笑顔を崩さないままでいられるんすか。
「じゃ、行ってきます」
片桐さんの運転する車に乗り込んだ俺は、窓を開けて両親に手を振った。
荷物は一週間分の着替えが入ったキャリーケース、それとたくさんの参考書を詰めたリュックサック。他に持っていくものは思いつかなかった。
エンジンがかかると、母の頬に涙が伝う。父の顔から笑顔が消えた。あぁ、本当に分かりやすいくらい、素直な両親だ。
「またね、時光」
「体には気をつけろよ」
二人に手を振って、俺は別れの言葉を選ぶ。なんて言ったらいいだろうか。もし俺が、今後妖との戦いで負けたとなれば、それは死を意味する。両親の元へ帰ることは出来ない。
あぁ、寮生活したいだなんて言うべきじゃなかったな。なんて後悔しても、もう遅いか。
結局言葉が見つからない内に、車は発進してしまった。
運転席に座る片桐さんが、バックミラー越しにこちら見つめ、重たい口調で告げる。
「牧志君、大変申し訳ないけれどもね、君がこれから入る寮は、手紙を書くことが出来ない。外出の自由もない。監獄のような場所だと思ってくれ。君に伝えるタイミングがなくて、言えなかったのだけれどもね。恐らく今日が、両親と話をする最後の日だったのだよ……」
俺は思いっきり、運転座席を蹴った。
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