8話 激闘の末
「……ヤバいッ!」
手を叩く。反射的な行動だった。しかし、手同士が反発する。
「……クールタイムかッ!」
俺が手を叩けるのは七秒置き。時を戻してから七秒間は手と手が磁石のように反発してしまう。過去に戻ることは出来ない。
「グルルルルルゥォォ」
熱不知が口を少し開け、歯と歯の間に蜃気楼が揺らめく。三つある瞳のうち、ちょうど真ん中と視線がぶつかる。
あ、終わった。全身の筋肉が全くいうことを聞かない。一瞬冬が訪れたのかと錯覚するくらい、寒気がした。
俺は時を戻す前提の動きをしてしまった。体が完全に静止している。今から回避は間に合わない。
「グォオオォオォオオォッ!」
熱波が見えた。空気が揺らぎ、灼熱が真っ直ぐこちらへ向かってくる。嫌だ、死にたくないッ!
恐怖から逃げるように、俺は目線を下に逸らした。
「……ん?」
奇妙な光景だった。ぬかるんだ大地から、突然金に輝く細かな鎖が生えてきたのだ。それは互いに編み込み、鎧を形成し始めた。
「なんだこれはッ!?」
見覚えはある。冴真が俺の弾丸を弾いた時に纏っていたものと同じだ。
ブォォォッ――。
灼熱が俺の体を包んだ。しかし、全身を覆うチェーンメイルがそれを防ぐ。熱さを感じない。それどころか、そよ風程度の風圧すら感じることがない。どうやら鎖帷子の外側に見えない壁が形成されているみたいだ。右手を動かしてみると、それを避けるように火が揺れた。
「そこまでにしようか、牧志君」
背後で片桐さんの声が聞こえた。そうか、これは片桐さんがやったのか。俺を守るために。だが不思議だ、彼の形代は際限なく伸びる鎖だったはず。この
嫌だ。
ここで終わるのは嫌だ。
何度か死にかけた。激痛にだって耐えた。苦しさに負けじと策を練った。それなのに、結局倒しきれず終わるなんて。そんなの、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!
俺は片桐さんの言葉を無視して、即座に両手の平を合わせた。
パチンッ――!
過去と未来の視界がリンクし、瞬き一つ。熱不知が口を開き、熱波を放とうと唸る姿が見えた。これは俺の胴体を直接狙っている瞬間だ。全力で回避に集中すれば、まだ
「喰らってたまるかァァァァ!」
俺は瞬時に状況を理解すると、迷いなく地面を蹴った。全力で駆け出し、熱不知のブレスに合わせて地面へ飛び込む。スライディングの姿勢で無事に回避すると、慌てて立ち上がった。見れば背後では土が焼けてレンガみたいに成り果てている。
さて、無事に回避出来た。試験はまだ終わっていない。そこまではいい。
ここからどうやって攻撃したらいいのかが分からない。何度か試して見た結果、刀の伸ばし方は完璧に習得できた。でも歯が立たない。どうやったら倒せるのか、全く思いつかない。どんなに力いっぱい叩きつけても、鱗に弾かれてしまうのだ。
あれ、そういえば、本当にダメージが通っていないのだろうか。もし本当に全く攻撃が効いていないなら、なぜ熱不知は俺のことをここまで執拗に攻撃してくるんだ? 俺のことをうっとおしいと思っていそうなあの攻撃頻度、まるで蚊を叩き潰そうとムキになっている時みたいじゃないか。まさか……!
ふと、熱不知の首に目をやった。今まで攻撃を回避するためにあいつの顔ばかり注視していた。だから気づかなかったんだ。
「傷がついている……!」
熱不知の首元、ちょうど俺が刀で叩きつけた場所、そこにある鱗には、ハッキリと傷が刻まれていた。これはつまり、俺の攻撃が多少なりとも効いていることの証明ではなかろうか。
叩けば少し傷になっている。でも切り裂くことはできていない。弾かれている。どうしたらいいんだ。でも、きっと何かあいつを倒すための切り口があるはずだ。
「そろそろ諦めようか、牧氏君」
片桐さんが声を上げる。いや、ここで諦めたらダメだ。一撃喰らわせて俺の有用性を証明してやるんだ……ッ! 上から目線で俺を試験しやがって。その癖勝手に命を助けて威張りやがって。絶対に一泡吹かせてやる。
「まだやるっすよ!」
俺はハッキリそう告げると、全速力で駆け回った。熱不知との距離を一定に保ちながら、それでいて熱波を回避しながら、はたまた火の海を避けるようにルートを選択しながら。
全力で足を動かしつつ、頭では冷静に策略を練る。どうやれば倒せるんだ、どうやったら刀であの鱗を切り裂くことができるんだ。だって、叩き付けた箇所に傷はついているんだ。
待てよ、今までの俺は、遠い距離から刃の先端ばかり当ててきた。いや、もしかしたらそのせいで
そう考えた俺は全力でかけ出すと、熱不知に最接近した。
「ほぉ、前に出るのか。面白い」
遠くで片桐さんが感心しているような声が聞こえた。俺に聞こえないとでも思ってるのか? 中学生の頃から人の会話を盗み聞きすることばかりやってきた俺は地獄耳だぞ。畜生、上から目線で審査しやがって。マジでムカつく。上から目線なのが本当に癪に障る。なにより、熱不知を前に余裕気な雰囲気がムカつく。倒し方を知っている癖に、俺には内緒で試験だとか言って、何度も命の危機に晒しやがって。
だが、お前の声色で分かったぞ。やはり前に出るのは正解と見た。さぁ、見てろよクソ上司。この妖は、俺が絶対倒してやる。
熱不知はもう目の前だ。増長刀の能力を使わずとも当たる距離。手を伸ばせば届く距離。
俺は全力で体を捻った。切り裂いてやる。それだけを考えて。能力は使わない。俺の全力を見せてやる。
「喰らえぇぇぇッ!」
右から左に刀を振る。目指せホームランの構えだ。増長刀の刃がゴムのように伸びるのが見えた。だがそんなの関係ない。刀の根元で、その首を断ち切ってやる……ッ! 俺は知ってるんだ。ハサミは先端より根元の方がよく切れるってことをなッ!
「オリャァァァァ――ッ!」
ガキンッ――。
刃は確かに、熱不知の固い鱗に傷をつけた。だが、それだけだった。弾かれた刀を握る手に、猛烈な痛みが走る。
どうして、片桐さんの反応から察しても、近づくのは正解だったはず。先端より根元の方が力が伝わりやすいのも間違っていないはず。でも、それでも、俺の攻撃はあと一歩届かない。
ふと、脳裏にフラッシュバックしたのは、熱に溺れて死にかけた瞬間だった。あまりの灼熱に口内は爛れ、水脹れが一気に生まれる。それが熱に耐えきれず破裂し、口から血を吐くも、それですら灼熱で蒸発する。そんな記憶。嫌だ、死にたくない。勝ちたい。何より、これで終わりだなんて見限られたくない。俺の実力をこの程度だって、勝手に決めつけるな。
「ウァァァァ――ッ!」
負けたくない。いや、まだ俺の攻撃は終わっていないんだ。しびれる腕に力を込めて、俺は再び刀を振った。伸びた剣先が俺の言うことを聞いて弧を描き熱不知の首元に向かう。一度刃が当たり傷のついた箇所。そこへまっすぐと向かう。
ピタリ。
恐怖が勝った。当たった瞬間の痛み、手のしびれ、その直後訪れる熱波。それらを思い出すだけで恐怖が込み上げて、手が震えるのだ。せっかくここまで来たのに。俺の攻撃が少しは効いているんだって分かったのに。あともう少しで倒せるかもしれないのに。畜生、力が思うように入らない。足がすくんで、上手く踏み込めない。動け、動けよ俺の体。頼むから。ここでまた熱不知の攻撃を受けて痛みを味わうのか。それとも片桐さんの鎖に守られて羞恥を味わうのか。そんなのどっちも嫌だ。動いてくれ、俺の体。
どんなに自分へ言い聞かせても、俺の体は言うことを聞かない。そう、俺は手を止めてしまったのだ。刃先は首長竜の鱗に触れている。だが当然のように威力は無い。二メートル程に伸びた刀も、遠心力を失った。まるで俺のことを見定め終えたかのように、伸びた刃も元へと戻る。こんなもんかって、勝手に見切りをつけられたように感じた。
その瞬間、俺は自らの目を疑った。凄まじい勢いで短くなる刃先が、まるで鋭利な刃物であるかのようにのように鱗を切り裂いたのだ。
「まさか……ッ!」
「ギュェェェッ!」
熱不知が不気味な悲鳴を上げ首をくねらせる。見れば首筋から紫色の血飛沫を上げていた。
これか、これが熱不知の倒し方か!
ふと脳裏に母の姿が浮かんだ。母はいつも料理する時、俺に包丁の使い方を教えてくれた。
「いい、時光。包丁はね、刃を入れてから、引くんだよ。引かなければちゃんと切れないからね。刃先を当てて、手前に引く。そしたらちゃんとお肉切れるから。叩いちゃダメだよ」
母の言葉が、まさかこんな時に役立つなんて思いもしなかった。
「増長刀の能力は瞬時に伸びて即座に縮むこと。これは射程を伸ばすためのものじゃない……! 切り付けるためのものだッ!」
俺はその場で跳躍した。空中できりもみ回転。遠心力を刀の先へ。
「うおおおおおおッ!」
伸びろ、どこまでも伸びろ! そして俺の力に変えてやる! 俺の気持ちに呼応したかのように、増長刀は勢いよく刃を伸ばす。それでいい。お前は俺のために伸びて、勢いよく縮め。それがお前の長所だ。
「喰らえッ!
ギコギコはしない。一度刃が入れば、後は摩擦の力で切り裂くだけ! 剣先を当てたら、後はスゥゥーっと引き裂くだけでいい。
ザシュシュシュシュッッ!
縮まる刀が、無事熱不知の首を切り裂いた。
「グォォォンッ!」
蜃気楼が口の中揺らめいて、巨体が水中で暴れ回る。俺の攻撃は硬い鱗を切り裂いて、肉を傷つけた。
苦しそうにのたうち回る妖は、熱波を俺に向けて吐き出す。だがそんなもの効かない。もう何度体で受けたと思っているんだ。
見て回避が間に合うに決まっているだろう。口をすぼめて、前歯の隙間から圧縮した熱波を放つことは確かめてある。狙いの先は、中心の瞳が向いている方!
「やっぱりな!」
俺が先程まで立っていた場所の草木が火を上げた。
「あちこち燃やしまくりやがって、成敗してやるッ! 摩擦斬撃ッ!」
慣れたものだ。体を捻って剣先に遠心力を伝える。刃の長さは過去最長。
「四メートル……いや、五メートルはあるぞ!」
片桐さんの驚く声が聞こえてきた。
俺の有用性をはっきり示してやる。驚け、感激しろ。死に晒せ!
「お前ら、目かっぽじってよく見てろッ!」
刃は一度切り裂いた傷口に触れた。勢いに任せて肉を叩き潰す感覚が手に伝わる。それを合図に、手を止めた。刀は急速に元の長さへ縮まる。それに合わせて、首を切り捨ててやる!
「うおおおおおおッ!」
「ギャァァァァンッ!」
凄まじい断末魔が止まると同時に、首が落ちた。
ブシャァァァッ――。
血飛沫が巻き上がり、霞ヶ浦の水面を紫が侵食していく。その様子を眺めながら、俺は肩で息をした。
「やっと……倒せた……」
それを自覚したからだろうか。ドッと全身の力が抜ける感覚。あれ、と気づくよりも先に、体は崩れ、仰向けになって倒れていた。
「はは、初めて、誰かのためにこの力を使ったかもしれねぇ……」
妙な満足感が、俺を包み込んでいた。
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