6話 熱不知

「相手は執着の妖、熱不知ネツシラズ。大量発生するタイプの妖だ。放置しているとだんだん巨大化してくる。早期発見が大事なんだが……。どうも今回は発見が遅れてしまったようでな。ここまで大きくなってしまった。もちろん、牧志君一人で倒せるとは思っていない」


 真剣な面持ちでそう語った片桐隼人かたぎりはやと係長の脇で、何故か自慢げに頷く柴崎冴真しばさきさえま。俺は片桐さんと首長竜を交互に見比べて、思わず呟いた。


「そんなに強いんすか」


 熱不知と呼ばれた妖は、相も変わらず呑気なものだ。アゲハ蝶を眺めては、呑気に水面をたゆたっている。時折太陽光を反射させる怪しい鱗が不気味なことと、見上げる程度の巨大さが気になる程度で、それ以上の恐怖は感じない。


 俺は刀を握る手に力を込めて、眼前に佇む巨大な妖を見上げた。


「あぁ、強い。少なくとも階級が……信は必要だな……相手は都市伝説級の妖なんだから。我が手を出せば割と呆気ないかもしれぬが……」


 俺の眼前には熱不知ねつしらずが水面に波を立てて遊んでいる姿が。まるで俺の事など相手にすらしていないかのような余裕っぷり。見てると腹が立ってくる。


 相手は執着の妖。階級は信。そして俺が持つこの刀の階級は義。義の階級は、信の一つ下。つまり、はなから勝ち目は無いという訳だ。


「面白いじゃねぇか。俺をスカウトしておいて、実は期待なんかしてませんよってか。俺の負け戦を見て酒のつまみにでもするつもりなんだろうが……、せいぜい足掻いてやるッ!」


 俺は力いっぱい地面を蹴ると、ネッシーモドキに向かって駆け出した。


 体から力が溢れてくる。不思議な感覚だった。あの長い首を叩き切ってやる。そう決めた瞬間から、全身を見えない力が駆け巡り、指先を通して刀を熱意が温めるかのようだ。


 俺は熱不知との間合いを見定めて、全力で横に刀を振った。直後、刀身がグググンッと伸びる。俺の握る刀の長さは八〇センチほど。だが、この刀は力を込めて振ると等身が伸びる。


 伸ばし方は至ってシンプル。遠心力だ。勢いをつけて刀身を振れば、それに合わせて一瞬だけ刃先が伸びる。形状は変わらず、ただ刀身だけがゴムのように伸びるのだ。


 わざわざ走り回ったり、跳躍する必要も無い。間合いは二メートル。それが俺でも伸ばせる最大距離。地に足をつけて、全体重を乗せ上半身を回転させる。全力を込めて薙ぎ払った刀の先が、見事熱不知の首を捉えた。


 ガキンッ――。


 鋭い音が響き、直後俺の右腕がジィーンと痺れる。涙が勝手に溢れてきた。俺は慌てて弾かれた刀を構え直す。刀身もいつの間にか元の短さに戻っている。


 熱不知は、俺の攻撃など全く効いていない様子で、相も変わらず退屈そうにしている。その態度が無性に腹立つ。片桐さんには期待されてないらしく、雑魚刀を渡されるし。いざ使ってみればネッシーは相手にすらしてくれねぇ。絶対後悔させてやる。全員まとめて、俺の強さを分からせてやる。

 と思った瞬間だった。熱不知の口がこちらを向いた。なんだ? ようやく俺のことが気になったか? と思うもつかの間、薄く開いた歯と歯の隙間から、蜃気楼が一瞬ゆらり。ヤバいッ! と思うよりも、相手の攻撃は早かった。俺の足元が火を吹いたのだ。


「なんだ!?」


 あまりに一瞬の出来事で、全く回避なんかできない。慌ててその場を離れ、体を地面に投げ打つ。体に燃え移った炎も、ぬかるんだ泥が鎮火する。だが遅かった。俺の右足が激痛を訴える。見れば黒く日焼けし、大きな水脹れが浮かんでいた。


「一体何をされたんだ……!」


 瞬時に刀を投げ捨てて手を叩く。時を六秒前に。そして俺は即座にその場から駆け出した。


「ほぉ、なかなかいい戒律だな……ほぼ未来予知だ」


 片桐さんの感心する声が聞こえた。最初から相手にならないと分かった上で、俺の立ち回りを見定めているということか。


 ますます俺一人で熱不知ネッシーを倒してやりたくなってきたぜ。


 俺は熱不知の攻撃を回避しながら、昨日の説明を脳内で思い返していた。

 俺が所属することになったのは、警察庁秘匿存在局妖狩課十三係。警察の中でも、存在を公にされていない秘密組織だ。本来は警察学校の中で特に才能があると見定められた人物が推薦され、誰にも知られることなく採用されるらしい。

 だが、時折俺のように戒律を受けてしまった咎人をスカウトすることもあるのだとか。


「……そもそも、戒律とか咎人とかってなんなんすか」


 事前説明会で手を挙げた俺は、片桐さんに尋ねた。彼は少し眉をしかめてから、頭をポリポリ書いて黒板に人の絵を描き始める。案外器用な人らしい。綺麗な曲線で人の姿を写すと、その周囲に十三個の円を描いた。


「かなりオカルトな話になってしまうが、そういうものだと思い聞いて欲しい」


 真剣な面持ちで頷くと、彼は円の中に文字を書き始めた。


「人類には十三種類の罪があると言われている。傲慢、嫉妬、強欲、暴食、色欲、怠惰、憤怒、執着、憂鬱、虚飾、邪推、狂愛、正義。これらの罪を犯し、人々は争い続けてきた。それに嘆いた神が、我々人類に罰を与えたのだ。それが戒律。例えば君の手を叩くと過去に戻る力。それも君がかつて犯した罪への罰なのだよ」


 俺は自分の両手に視線を落とした。何の変哲もない普通の掌。でも、こいつを叩くと俺は六秒前に戻されてしまう。いや、むしろ手を叩いたという時間を否定するように、六秒前の俺が未来の映像を知覚する……と言った方が正しいだろうか。


「そうやって罰を受けた人間のことを、我々は咎人と呼んでいる。君はその咎人という訳だ」


「それで、なんで咎人は命を狙われるんすか」


「世界に仇なす存在だからさ」


 片桐さんはそう答えると、再び黒板にイラストを書き足した。大きなバッタのようなイラストだ。だが、顔面には人間のような目が二つ。不気味な絵である。


「人が罪を犯した時、神は二種類の罰を与える。一つは先程話した咎人。咎人は同じ罪を犯せなくなるのだが、その代わり戒律を悪用したもっと悪い罪人になるケースが多い。君がカンニングに使っていたようにね。それとは別で発生するのが、同じ罪を何人なんぴとたりとも犯してはならないとする、土地への罰。妖の発生だ。妖の発生源は詳しくわかっていないが、犯罪に使われた道具や人の怨念が染み付いた呪物、その他環境破壊によって死滅した生物なんかが妖化あやかしかすると分かっている」


 そしてその妖には、各階級が割り振られているのだと教えてくれた。

 妖の階級は全部で六段階。上から順に、徳、仁、礼、信、義、智となっている。とはいえ、徳は上限として設けられたクラス。これまで存在した記録は無いと聞く。


「下から順に説明しよう。とはいえ、今日一日で覚える必要は無いがね。まずはいちばん弱いの妖だ。この妖は自然発生しては消えていく非常に脆い者達でね。だが、彼等を材料に我々は武器である形代を多く製造している。新人の妖狩は、智の妖を狩るところから始めるもの。野球部の球拾いみたいなものだ」


 それから黒板に書かれた次の文字を指す。


「次が。これが最も多く存在する妖だ。我々の仕事のほとんどは、こいつらが世間に露呈しないよう情報を統制し速やかに狩り取る事だ。ある程度妖や形代について学んだ妖は、皆これの退治をすることになる」


 そして次。


しんは厄介だ。それなりに戦える妖狩でなければ相手にもならない。だが、君にはまずこれと戦ってもらう。君の実力を知ることも兼ねてね。倒せなくても構わない。都市伝説クラスの妖を相手に、勝てる方がおかしいのだから」


 そこまで言って、彼は武器を取りだした。昨晩俺が冴真から奪い取り、扱おうとした拳銃である。グリップ部分には心臓が縫い付けられており、今もドクンドクンと音を立てている。


「これが我々の使用する武器、形代だ。形代の材料は討伐した妖の一部である。例えばこの傲慢の形代『心臓グロック』。これは通常のグロック17に特定の妖から取れる心臓を融合したものだ。これを握っている間、殺意と集中力が増幅する。傲慢属性を持つ妖の能力は基本的に何かを増殖させる能力だ。こいつの場合は、集中力だな。握っている間鼓動の音が聞こえたと思うが、それを聞いている内に殺意が増幅し、相手の心臓が透視出来るようになる。精密射撃を求める妖狩に愛用されている逸品だ」


 なるほど、だからあの時俺は執拗に冴真の心臓を狙ってしまったのか。


「この形代が信の階級を持っている。すなわち、信の妖を材料にしているということだ。妖を倒したい場合、その妖と同等の形代を複数用いて圧倒するか、もしくは妖よりも強い階級の形代で叩き潰す必要がある」


「なら、強い形代を使わせてくださいっすよ」


 俺がそう口にすると、片桐さんは「ははは」と嬉しそうに笑った。


「そうしてやりたいのも山々なんだがな、形代にはそれなりのデメリットもある。簡単に言うと、飲まれてしまうのだよ。あまりに強すぎる罪の意識に、人は理性を保つことが出来ない。余程形代と相性が良くそれでいて罪に溺れない善意がなければならない。信の階級からはそういう厄介な形代が出てくるわけだ。君が柴崎君の形代を勝手に使って正気を保てたのは、奇跡に等しいんだぞ」


「……そうなんすね」


「だが、君がこれから使う形代はもっと楽に扱えるはずだ。初心者向けだからな。君に渡すのは『増長刀ぞうちょうがたな』という形代だ。これは妖の骨と鋼を混ぜた合金を叩いて鍛えた、非常に扱い易い刀だ。扱いやすい分、使い手の力量がハッキリと出てしまう武器でもある。これでまず、君の戦闘センスを見極めようと思う。その能力は、遠心力に従い伸びる刀身。最長四メートルまで記録されているので、上手く扱って見せたまえ」


 片桐さんが取り出したのは、黒に怪しく輝く日本刀だった。それは俺のことを誘っているかのようにギラリ蛍光灯の光を反射させると、すぐに鞘へ収められてしまった。


「なぁに、余程の事がない限り命を失うことは無いさ。思う存分使ってくれたまえ。それと、罪にはそれぞれ相性があるのだが……まぁ、その説明はまた今度だな」


 俺は受け取った刀を握りしめて目を瞑る。握った所から、ほんのりと熱を感じた。暖かく、優しい感覚。


 形代の能力はただ刀身が伸びるだけ。


「その程度の効果で敵を倒せるもんなんすか?」


 俺の問いに、片桐さんは笑った。


「そう思うだろう? だが、形代には共通して面白い性能があるんだよ」

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