5話 初任務
中学生の頃、俺は酷いいじめを受けていた。仲間外れや無視なんかは序の口。貴重品を窃盗されたり、人気のないところで殴られたり、あられも無い姿をSNSで拡散されたりと、踏んだり蹴ったりだった。
それでも両親には心配かけまいと、毎日学校には通っていた。家から学校までは、父親に買ってもらった自転車で二十分。歩いてだいたい四五分ほど離れていた。それだけ長い通学路だと、何かと考えることも自然と多くなる。通学中も不安と恐怖に押しつぶされそうだった。自転車は父が誕生日プレゼントにと、わざわざカッコイイ紫色の自転車を一緒に選んでくれた。そんな自転車も、事ある毎に盗まれたし、壊された。
今でも忘れられないのは、隣町の川に投げ捨てられた日のことだ。学校帰り、俺の自転車が忽然と消えてしまい、泣きながら探したことを今も覚えている。その日は身に覚えのないことで先生に怒られて、理不尽に居残りさせられていたんだ。それで課題を終わらせて駐輪場へ行ってみれば、自転車が無くなっていた。もちろん鍵はしていたし、チェーンだってかけていた。にも関わらず、俺の自転車は跡形もなく消えていたのだ。チェーンが外された形跡すら無かった。
意味が分からなくて、しばらく唖然としたのを覚えている。どうして無くなったのか、今朝ちゃんと鍵をかけたか、必死になって原因を考えた。もちろん、それがいじめの一環であることは薄々勘づいていたが。
それから俺は、目撃情報を集めることにした。道行く人や周辺近所に住む人々に声をかけては、紫色の自転車を見なかったか尋ねて回った。
幸か不幸か、いじめっ子グループは自転車の鍵を破壊するなんてことは出来なかったみたいで、複数人で引き摺っている姿を数名が目撃していた。
俺は目撃情報を元に、父から貰った宝物を取り返そうと奔走していた。
そんな中、話しかけてくれたのが一人の男性だった。
「少年、そんなに慌てて何を探しているのかね」
身長は俺と同じくらいか、少し低い男。右目に眼帯をしていて、スーツを着ていた。彼は黒のハット帽を深く被っていたので、どんな表情をしていたのかよく覚えていない。
声の雰囲気から、高校生くらいだろうかとも思った。だが、立ち振る舞いの紳士さは年老いた男のそれである。
「俺の、自転車が盗まれたんす……」
怒りが多分に含まれた俺の言葉を聞いて、男性は口元に手を当てた。
「ふむ、それはまた可哀想に。小生も一緒に手伝ってあげよう。なぁに、気にする事はない。可愛い少年の援助ができると思えば、小生にとっても利が大きい」
「ありがとうっす」
親切な男性とは、それからしばらく色んな話をした。好きな色だとか、嫌いな映画の話だとか。それこそ、普段は誰にも言えないようなことだって話した。どこの学校に通っているのかだとか、どうして虐められているのかだとか。なぜ素直に話そうと思えたのか、今となっては分からない。ただ、彼にはなんでも話していいような、そんなオーラが漂っていたのだと思う。
彼はそれからもしばらく、俺の気分を明るくしようとして、くだらないジョークを話してくれた。
「ある日男の子が母親に泣きついてこう言ったのさ。『パパが猫を川に沈めて殺したの』ってね。それを聞いて母親は驚いた。『まぁ、なんてこと。それはとてもショックだったでしょう』すると男の子は、涙ながらに頷いた。『うん、僕がやりたいって言ったのに』ってね」
本当に笑えないジョークだった。でも、彼はそれが心底面白い話だと信じているようで、声色を変えて一人二役を演じながら身振り手振りを大きくする。そんな男の優しさが、普段いじめられてばかりの俺には深く沁みた。
彼が一緒になって探してくれて、結局隣町に流れる川の中で自転車を発見した頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。
彼は、右目の眼帯を時折気にしている様子で、きっと目が不自由なのだろう。にも関わらず、漆黒の川へ平然と入っていき、自転車を引き上げてくれたのだ。彼の身につけていたスーツが濡れるのもお構い無しといった姿に感激し、何度頭を下げたことか。
確か、最後に彼は一錠薬をくれたんだったか。どうしても苦しい時に飲むといいなんて言ってたっけ。その薬は、今も勉強机の引き出しに入れてある。俺のお守りみたいなものだ。
「そういえば申し遅れました。小生、姓は野々村、名は
男は別れ際にそう名乗ってくれた。それから俺は野々村さんに感謝の言葉を述べて家に帰った。とはいえ、その日以降自転車へのイタズラの頻度は増すばかりだったのだが。
ある日は泥まみれ、別の日はチェーンが破壊され、また次の日はサドルだけ盗まれていた。
その度に俺は、親に気づかれないよう、お小遣いをはたいて修理したり、どうしてもお金が足りない時は何かと理由をつけて徒歩通学に切りかえていた。自転車を無くしたこと、きっと親には気づかれていたんだろうな。
そんな俺の学生生活において、休み時間の暇つぶしといえば盗み聞きだった。基本的にクラスメイトは俺の事を無視している。居ないものとして扱っているから、俺自身の悪口を聞くことは無かった。
それでも俺は不安だったし、内心怯えてもいた。誰かが俺の事を悪く言っているんじゃないか。もしかしたらまたインターネットで酷いことを言われてたりするんじゃなかろうか。そんな妄想に取りつかれて、俺は寝たフリをしたまま傍耳立ててばかりだった。
「ねぇ、昨日のテレビ見た?」
「見た見た。ネッシー特集でしょ」
「そうそう。結局ネッシーって実在しないんだね」
「ネッシーなんているわけないじゃん」
「それなー、あんなの観光客狙いの悪ふざけだって」
「えー、でも物的証拠はいくつかあるんでしょ? 衛星画像に映りこんだ巨大な影とか、漁港で取れた首長竜らしき死骸とか」
「まぁ、昨日の番組はそんなこと言ってたよね」
「なに、おまえらマジでネッシーとか信じてんの? 居るわけねぇじゃん、そんなの」
そういえば、昨晩はオカルト特番をやっていたんだっけか。確かテーマは、ネッシーを追え。二〇二一年の七月、地球温暖化の影響によりネス湖の水位が過去最低値を叩き出したとか。それに伴い、今まで存在があやふやだったUMAの一体、ネッシーを探せというのが番組の趣旨だった。
「地球温暖化って凄いねぇ、ネス湖を干からびさせちゃったんだもんね」
「でもあれじゃない? ネッシー居ないことがバレたら、ネス湖の観光終わったくない?」
「わかる、マジそれな」
「だから最初から居ないって、居ないのわかってて観光地にしてんの」
「ウッザー、ロマン無いなぁ」
ネッシーなんているわけない事くらい、最初から分かりきっていたはずだ。それなのに地球温暖化ごときで枯れた湖にUMAは居るのかどうかなんて番組、よく作ろうと思ったな。いや、こうやって馬鹿な中学生が話題にするくらいだ。視聴率はそれなりに稼げたってことか。
「くだらねぇ」
俺は誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。
あの頃は本当にくだらないと思っていたんだ。ネッシーなんて居るわけない。そもそも超常現象なんてあるわけが無い。未確認生物だとか、妖怪だとか、科学が発展したこの時代に実在するはずがない。うん。実在するはずがないんだ……。そう信じてきた。
「時光君、どうしたんだい?」
俺はハッと目を見開いた。目の前には心配そうに俺を眺める片桐隼人係長が立っていた。彼の手には鎖が握られている。
「初任務でビビってるんですよ、コイツ。弱いですから」
声のした方を向くと、柴崎冴真が冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべていた。
「ビビってないっすよ」
俺は右手に握られている刀をぎゅっと握りしめる。そして、眼前に立ちはだかる巨大な化け物に目を移した。
「ネッシー……実在したのかよ」
そこには、おおよそ高さ四メートル程の首長竜に似た生物が鎮座していた。全身を青い鱗……いや、人の爪のようなものが覆っていて、三つの瞳がこちらを凝視している。口からは熱波を吐いているのか、蜃気楼が見えた。そんな首長竜は、湖の縁で退屈そうにしている。時折蝶々を目で追いかけたり、周囲を眺めてはあくびなんかしている。あまり危険そうには見えない。
「ネッシー? ここはネス湖じゃありませんから、ネッシーではありませんよ。ネッシーはネス湖に生息しているからネッシー。ちなみに、おじゃる丸に登場する首長竜は月夜が池に生息しているのでツッキー。多摩川に現れたオスのアゴヒゲアザラシはタマちゃん。名前にはそれなりの理由があるんです。ここは霞ヶ浦という日本の湖。日本で二番目に大きな湖ですよ。茨城県南東部に広がる湖です。名付けるなら霞ヶ浦をもじった方がいいんじゃないですか? まぁちなみにネッシーというのは愛称で、正式名称は
「うるせぇ、知るかよそんなこと」
嫌味たらしく訂正した冴真に一瞥くれてから、俺は脳内で名前を再構築する。霞ヶ浦に生息しているから……。
「カスミガウルス、だな」
「ふざける余裕はあるみたいだな」
「すみません係長」
片桐係長は「ははは」と大声で笑うと、俺の背中をバシン、強く叩いて鼓舞する。
「これが君の初任務。それでいて採用試験でもある。自分の実力を証明して来い」
「はい、分かりました」
俺は再び見上げる。相手は俺より遥かに巨大な生物……いや、生物なのかも怪しい存在だ。
右手に握る刀をそっと見下ろした。漆黒に輝く日本刀。これが俺に支給された初めての武器。そしてこれが、俺の初任務。
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