3話 係長

 黒板側のドアに目をやると、そこにはガタイ良く自信ありげな男が一人、柴崎冴真をチラリ見やれば、相も変わらず全身をチェーンメイルが覆っていた。どこから生えたのか、銀に輝く鎖が憎たらしい。これさえなければもっと蹴っ飛ばせるのに。


 さて、と俺はドアの間に居る男を注意深く観察した。スーツを身に纏う男は、相も変わらず腕組みをした姿勢のまま身動き一つ取ろうとはしない。気づけば太陽もほとんど沈みかけていて、辺りは薄暗い。表情まではよく見えないが、背格好や体格などからおおよその人柄は想像がつく。三十代半ばくらいだろうか、厳格な性格で、きっと多くのことを若い内に成功させてきたのだろう。苦労なんか一度だって経験したことのないような余裕っぷり。そんな気配を感じ取れた。


「誰っすか、あんた」


 俺がそう声をかけると、ようやく謎の男は口を開いた。


「我はそこで寝っ転がっている柴崎の上司だ。とはいえ、彼はすっかり意識が飛んでいるようだがね」


 男はそう言うと、腕組みをしたまま豪快に笑った。その声を聞いてか、俺の足元で伸びていた柴崎冴真しばさきさえまがハッと目を覚ます。


「係長、どうしてわざわざ……」


「柴崎君、よく戦ってくれた。ご苦労様。君はもうしばらくそこで寝ていたまえ」


「い、嫌です。俺はまだ負けてません……」


「気味の向上心は気に入っている。だが、少々生き急ぐ癖があるからね。後は我に預けてくれないか?」


「……俺はまだ負けてないです」


「ははは、そこで寝そべっていたのは作戦の内だったのかな」


「……グッ」


「我々としてもこれ以上君が傷つくことは望んでいない。それに、今回我々は牧氏時光君を始末するために行動しているわけではないからね」


 係長と呼ばれた男の発言に、冴真は心底驚いた様子で素っ頓狂な声を放つ。


「え? どういうことですか係長!?」


「そのままの意味だ。今回我々の目的は、牧氏時光君を勧誘することにある。君が早とちりして始末しに行っただけだろう」


「だ、だってこいつ、咎人とがびとなんですよ? 咎人は始末しろって以前言ってましたよね」


「それはそうなんだが、今回は事情が違うのだよ。目的は勧誘だからね」


「勧誘ってなんですか……」


「スカウトってやつさ」


「意味は分かってますよ……そうじゃなくて。あの、こいつ弱いですよ……?」


 黙って聞いていれば、柴崎冴真をもう一度蹴り飛ばしてやろうかと思った。だが、全身を恐ろしく強固なチェーンメイルが覆っている以上、俺のつま先がダメになりそうだな。やめておこう。


「雑魚な咎人をスカウトって、意味わからないです」


「そういう君だって、咎人じゃないか。それに押されているようだったが?」


「俺はまだ負けてません……」


「ははは」


 係長と呼ばれた男の反応を見て、冴真はグッと押し黙った。それから、心底嫌そうに俺を睨みつける。


「雑魚の癖に」


 なんだコイツ。マジでムカつく。むしろ俺はお前に何度か撃たれたんだ。話を聞いていれば、どうやらお前の勘違いじゃないか。俺は柴崎冴真の勘違い一つで命を奪われそうになったというわけだ。納得できない。どうにかあと一発殴っておきたい。


「というわけだ、牧氏時光まきしときみつ君。君もその拳を収めてくれないかな?」


「俺は銃で撃たれて命の危機だったんすけど、まだ腹の虫が治まりませんよ」


 そう言いつつ、目線の端で銃を探す。つい先ほどまで柴崎冴真が握っていたものを。こいつらがどういう存在なのかは分からない。だが、法治国家日本で銃をぶっ放せる存在がそうそう居てなるものか。きっとヤクザか、それでなければテロリスト集団だろう。それが俺を勧誘しに来たとのたまっている。俺の目標としていたキャリアコースから外れるわけにはいかない。なんとしてでもこの状況を打開しなくては。


 ここから係長とやらが立っている場所まで、それなりに距離がある。もし仮にあいつも銃を持っていたとなれば、どうなることか。俺の能力は六秒前に遡るだけ。今から駆け出したとして、係長を殴るよりも先に撃たれたら話にならない。それなら、柴崎冴真が使用していた銃を奪って撃つ方が賢明だろう。もちろん俺は銃なんか握ったことは無い。ちゃんと扱える自信もない。それでも、この距離を走るよりは可能性があるはず。何より、柴崎冴真に奪われかけた俺の命、それ相応の対価を上司さんに払ってもらわなきゃ俺の気が収まらねえ。


 見つけた。少し離れた場所に、拳銃が一つ転がっている。


「さて、牧氏時光君。警戒せずに聞いてほしい。君の能力は我々にとって必要なのだ」


 男はそう言って腕組みを外し右手をこちらへ差し出した。今がチャンスだ。奴は素手。つまりいきなり撃たれる心配はない。


 俺は両足に力を籠め、全身を投げ打ってスライディングする。俺の右斜め前、距離にして約二メートル。誰かの机の真下に転がっている銃が右手に触れる感覚。椅子や机が肩にぶつかり、盛大な音を立てて倒れゆく。俺は手にした銃をチラリ見て、正しく握り直した。後はまっすぐ、銃口を男に向けるだけ。


「話は聞きますよ、でも、内容によってはこいつをぶっ放してやるっす……」


 キッと相手を睨みつける。俺の意志は固い。やると決めたらやる。二言は無い。俺を襲った時点で、その罪を後悔させてやる。俺は普通の高校生活を送って、真面目な会社に就職して、両親を安心させるという目標があるんだ。それを邪魔した罪、死をもって償わせてやる。


 深く深呼吸して、トリガーに人差し指を当てる。引き金を引けば弾丸が射出されるはずだ。ドクン、ドクン、グリップが脈打っている。俺の緊張がためだろうか。金属の嫌なにおいが鼻孔を突いた。まるでカメラのレンズを絞るように、視界が一瞬にして狭くなる。ただ一点、係長と呼ばれた男の心臓だけに目が向く。周囲の景色は黒く霞んでもう見えない。ドクン、ドクン、ドクン。脈打つ鼓動が激しさを増す。銃を握る右手が仄かに熱を帯びた。熱い。火傷しそうに熱い。


「困った子だ、君も」


 突如、地面から鎖が姿を現す。そいつはまるで意志を持った蛇のようにうねったかと思うと、俺の腕を強く叩きつけた。


「痛ッ!」


 激痛に思わず目を閉じてしまった。慌ててグリップを握り、引き金を引……無い! 先ほどまで握っていたはずの銃がどうやら叩き落とされてしまったらしい。いや、まだだ。なんだかよく分からないが、どうやらあの男は鎖を操る能力があるらしい。ならば他にも手段はある。俺は即座に手を叩いた。俺が手を叩いたとき、世界がそれを否定する。俺が手を叩いたという事実を無くそうとして、時が過去に遡る。いや、少し違うか。六秒前の俺に、手を叩くまでの未来が流れ込んできた。


「――話は聞きますよ、でも、内容によってはこいつをぶっ放してやるっす……」


 俺はそう言い放つと同時に、柴崎冴真を羽交い絞めにした。そのまま彼のこめかみに銃口を当てる。抵抗すれば殺す、そんな意思を示してやるのだ。


「ふむ、困った子だ」


 男はそう言うと、腕組みをした。仁王立ちのまま動こうとしない。だが俺には分かっている。こいつは手足を動かさずとも、見えない角度から鎖を操れるはずだ。いったんここは見せしめと行こう。俺だって撃たれたんだ。今は時を戻して傷こそないが、別の時間軸では確かに撃たれた。同じ痛みを味合わせてやる。


 俺は銃口をそっと冴真の右足に向けると、深呼吸した。ドクンドクン、早鐘の如く鳴り響く心音が右腕を熱くさせる。視界がだんだんと絞られていき、柴崎冴真の心臓がくっきりと見えた気がした。俺は頭を振って目を瞑り、引き金を強く引く。狙いは表皮。少しだけ傷をつけてやるつもりだった。ドクッドクッ、心臓の高鳴る音がして、突如乾いた発砲音。サイレンサー越しにも音は響く。何より、弾丸が射出される瞬間の衝撃はすさまじく、右手がジーンと震えた。ちゃんと思ったところを狙えただろうかという邪念が心をよぎる。もし致命傷なんか与えていたらと思った途端、胸の内側にモヤモヤとした不安が込み上げて来た。


「次は左足を撃つ。抵抗するな」


 俺は不安をかき消すように声を張り上げると、係長と呼ばれた男を威嚇する。しかし、暗がりに立つ男からは余裕めいた雰囲気を感じ取る。何かがおかしい。まさか!

 慌てて柴崎冴真をみれば、彼の脚は無傷だった。彼の体をチェーンメイルが覆っていて、弾丸はそれに弾かれたらしい。


「嘘だろ……この鎖、銃弾も弾けるのかよ……」


 呆気にとられた瞬間だった。どこからともなく現れた鎖が俺の手首を強く叩き、激痛が走る。いったいどこから攻撃されたのか、全く分からない。慌てて右手に目をやれば、やはり握っていたはずの拳銃がどこかへ飛んでしまったらしい。


「クソがッ!」


 俺は慌てて手を叩く。これしか俺に勝つ手段は無い。六秒前の世界に俺の記憶が受け継がれていく。

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