2話 襲撃

 他人に殺されるくらいなら、逆にそいつを殺してしまえ。例えば、ある日突然学校にテロリストが押し寄せて、銃を手にした屈強な男たちに、校内全体が占拠されたとしたら、君はどうするだろうか。俺ならきっと、そいつら全員なぎ倒して、地獄を見せてやる。そんな妄想、きっと俺以外にも男子ならした経験があるのではなかろうか。


 発砲された瞬間、銃口の角度から弾道を予測し回避。そのまま勢いに任せて距離を詰め、相手のピストルを奪い取る。一人目を肉壁のように扱い、二人目に射撃。制圧すると同時にクラスメイトの安全を確認する。そんなスーパーヒーローを夢見たことは、きっと誰にだってあるはずだ。


 実際、俺も今の今までそんな妄想に浸っては、空想の世界でニヤケ面を浮かべていたものだ。

 しかし、現実は思うようにいかないらしい。


「クソっ、なんだって俺がこんな目に合わなきゃならないんだよ!」


 俺は椅子を力任せにぶん投げ即座に地面へ伏せる。直後、乾いた発砲音と同時に教室の壁へヒビが走った。見ればそこには立派な弾痕が一つ。


「ちょこまかと逃げないでくださいよ」


 俺は銃口をこちらに向ける襲撃犯をギロリ睨んだ。

 妄想と大きく掛け離れている事が全部で三つある。


 一つ、襲撃は放課後、他のクラスメイトが居ない瞬間に起こった。

 二つ、テロ行為は複数人の部隊ではなく、たった一人によるもの。

 そして三つ、どうやら俺の命そのものを狙っているらしいということ。


「なんで俺がお前に狙われなきゃならないんだよォ!」


 俺と同じ制服に身を包んだ男は、銃口を俺に向けたまま首を捻った。


「この世界における害悪を処分するのが、仕事ですから」


「害悪? 俺は何も悪いことしてねぇだろうが!」


 男は再び弾丸を放った。同時に、俺の右太腿から血が吹き出し、それから少し遅れて激痛が走る。痛みに震えながら、俺は男を睨みつけた。沸々と心の奥底から怒りにも似た感情が沸き上がってくる。どうしていつも俺ばかりが狙われなきゃならないんだ。中学の三年間がふと頭をよぎる。俺の中に渦巻く感情は憤怒のそれではない。むしろもっとどす黒い、復讐と言う名ののエゴイズム。俺の人生に不幸をもたらす奴には、それ相応の地獄を見せてやる。俺にした愚行の数々を、絶対に後悔させてやる。


「既にいくつも、少なくとも僕が確認した中では二十五回、あなたは罪を犯しています。故に組織はあなたの抹消を確定しました。残念ですがこの決定事項を改める手段はありません」


 俺に銃口を向ける男の動向を注意深く観察する。彼は同じクラスの男子、名前を柴崎冴真しばさきさえまという。たしか、首席でこの高校に入学してきた男だ。授業態度もまじめで、教師陣からの信頼も厚い。そんな男が、銃を片手にテロリズムだなんて到底信じられなかった。今日も変わらずダークブラウン長髪をオールバックにしており、彼の几帳面な性格が体現されている。激しく動いたためか、前髪だけがちょろり垂れさがっていて、それが鋭い目にかかっている。にもかかわらず、額には汗一つ滲んでいなかった。感情の読み取れないグレーの瞳が、まるで獲物を狙う蛇のように睨みつけてくる。蛇に睨まれた蛙という慣用句を、まさか体感する日が来るとは思いもしなかった。


「罪を犯したって? 全く身に覚えがないね」


 冷静に状況を見定めろ、どうやったら生き残れる、どうやったらこいつを倒せる。大丈夫、きっと俺ならできるはずだ。今の俺なら、妄想を現実に変えることだって不可能ではない。なにせ俺には、俺にはがあるんだから。


「分からないんですか? いいえ、そんなはずはありません。あなたは確実に、この世界の常識ルールを破っているはずです」


 一瞬ドキッとした。まるで俺の秘密を知っているかのような口ぶりだ。いや、そんなはずはない。これは誰にも教えていないことなのだ。俺には友人と呼べるものは一人もいないし、両親にだって話していない。大丈夫、分かるはずが無い。


 俺は両手を広げ、眼前に構えた。そのまま手を打ち鳴らす。俺に許された拍手は、七秒に一回、たった一度のこの音だけ。


 パン――。


 音が鳴ると同時に、俺の視界は六秒前に遡った。いや、正しくは六秒先の映像が流れ込んできた、だろうか。弾丸を受け、手を叩く未来の俺が見えるのだ。そう、先ほどまでの景色は、これから起こる未来の話。俺は即座に体を傾け、右足を大きく開く。そのまま側転移動すると同時に、弾丸が地面を抉った。


「また、躱しましたね」


「危ねぇなぁ、冴真君よォ、それ当たったら滅茶苦茶痛いんだぞ!」


「まるで、弾丸を受けたことがあるかのような言い草ですね。それとも、また力を使ったんですか? 牧氏時光まきしときみつ君」


 やはり、どうやら彼は俺の能力を知っているらしい。感情の読めない表情のまま、再び銃口をこちらへと向けた。


「へぇ、よくご存じで」


「えぇ、あなたのことはある程度調べていますから。牧氏時光、身長一六二センチ、体重五五キログラム。父は地元の小さな会社でサラリーマンとして働いており、母親は保育士。家庭環境に問題はなく、家族間の関係性は良好。しかし、中学一年生の時点でクラスメイトとのトラブル。それがキッカケで三年間壮絶ないじめにあっており、インターネット上に個人情報が掲載されています。中学三年の冬まではひっそりと静かに暮らしている様子でしたが、三学期が始まった頃から急速に成績が上昇。市内屈指の進学校、ここへ入学しています。恐らく、中学三年時の冬、そこで戒律かいりつが発現したと僕たちは見ています。間違いはありませんね?」


 戒律というのが恐らく能力のことを指しているのだとしたら、全てが図星だ。どういうわけか、柴崎冴真は俺のことを事細かく知った上で殺そうと画策しているらしい。


「それで、どうして俺がお前に殺されなきゃならないんだよ。全く持って理解不能だね」


「あなたには理解できないでしょうが……そういう定めなんですよ。あなたは罪を犯した。きっととてつもなく重い罪を。罪を犯し、咎人とがびととなった人間なのです。あなたはこの世界に存在してはならない」


「あぁ、まったく理解できないね。俺だって必死に生きてきたんだ。死にたいとすら思った人生、でも、ようやく生きる希望ってのが見えてきたところなんだよ。それをいきなりお前に邪魔されてたまるか」


 そうだ、ここで死んでなるものか。俺は今選ばれし存在なのだ。俺は今チャンスを手にしている。人生をやり直せる可能性に満ち溢れているんだ。中学時代の担任から諦めるよう言われた将来の夢、安定的な職業について両親を安心させるという目標、それを叶えられる力を俺は手にしたんだ。リバースエコー、俺は自分の能力にそう名付けた。手を叩いた瞬間、きっかり六秒前の時間に戻る能力。次に手を叩けるようになるのは七秒後、その間俺の両手はまるで反発する磁石みたいに手を合わせられなくなる。これを使って、毎日家で勉強する時間を増やし受験に挑んだのだ。何度も手を叩いて時を戻した。常人の数倍、俺には勉強時間が与えられたし、それでも不安な科目は奥の手としてカンニングすらやってのけた。事前に用意したカンニングペーパーを堂々と読み、手を叩いて時を戻す。席を立って他人の回答を盗み見て、また手を叩いて時を戻す。俺は過去の屈辱を晴らすための力を得たのだ。例えネット上に広まった悪名が俺の人生を邪魔したとしても、関係ない。誰しもが文句言えないくらい完璧な成績を維持し続ければいい。いくらズルだと言われようと関係ない。俺の人生を滅茶苦茶にした奴等なんかより、ずっとずっと有意義で幸福な生活をしてやる。誰よりも幸せになって、俺を馬鹿にした奴ら全員を見下してやるんだ。今の俺にはそれができる。それだけの力がある。俺にとって、幸福な日常はその先にあるはずなんだ。自殺を考えた俺に与えられた、神からの思し召しなのだ。


「お前を倒して、俺は幸せな日常を取り戻してやる」


 拳を握りしめ、俺は柴崎冴真を睨みつけた。奴の無感情な瞳と視線が交錯し、直後、彼の人差し指が引き金を引く瞬間を捉えた。


「当たるかよ下手糞!」


 俺は先ほどと同じように体を宙に投げ打って弾丸を回避する。背後でガラスの割れる音がした。振り返らない。二発目を撃たせては駄目だ。即座に椅子を手に取り、彼に向けて放り投げる。それを目暗ましに距離を詰めるのだ。


「無駄な抵抗はよしてくださいよ。僕だってあなたをいたぶる趣味は無いんです」


「ならさっさと決着をつけようぜ」


 俺の間合いに入った。今なら拳が届く。俺は全身全霊を込めた右こぶしを、勢いよく冴真の顔面目掛けて叩きつけた。


 タァン――。


 激痛が全身を走る。体がしびれる感覚と同時に、呼吸が止まった。痛みで息ができない。無理やり息をしようと口を開いた途端、ゴボボ、血が溢れ出した。


「な、何を……」


 俺は振り上げたこぶしをゆっくりと下ろしながら、目線を胸元に向ける。


「あ、あぁ……」


 俺の胸に、ちょうど左胸に、風穴が一つ空いていた。白いシャツが凄まじい勢いで赤に染まっていく。呼吸ができない、痛みで体から力が抜けていく。次第に視界も揺らいで、白黒へと褪せていった。


「畜生……」


 俺は両手を広げ、必死に合わせようとする。まだ先ほど手を叩いてから七秒経っていないのだろうか、それとも痛みで力が入らないせいだろうか、一向に両手が合わさってくれない。ここで死にたくはない。自殺が失敗に終わったあの日から、俺は足搔くと決めたんだ。ここで終わりたくない。死にたくない、死にたくない。死にたくない。


「人は罪を犯したとき、神より罰を受けます。あなたの罰は、咎人として戒律を受けるというものでした。あなたの持つ不思議な力、それこそが神より授けられし罰なのです。罰を持つ者は悔い改めなければなりません。僕がこうしてあなたの命を狙うのも、あなたの罪を償わせるチャンスなのです」


 意味が分かんねぇよ、と言ってやりたかった。でも、もう声が出ない。朦朧とする意識の中で、俺は右手をそっと、左手に添えた。微かに、手が鳴る。


 ペチ――。


 直後、俺の意識は六秒前に戻された。いや、六秒未来の記憶が流れ込んできたと言った方が正しいだろうか。俺は慌てて体を捻じる。乾いた発砲音と同時に、俺の左脇を弾丸が掠めて行った。痛みがビリリと左半身を貫いていく。だが、俺の拳は止まらない。


「喰らえぇぇぇぇぇッ!」


 俺の裏拳が、見事冴真の鼻っぱしを捕らえた。回転のかかった体はバランスを崩し、そのまま勢いに任せて全体重を右拳に乗せる。


「グブゥフッ――」


 冴真は情けない声を上げて仰け反った。彼の手に握られていた銃が、パスンパスンと二度発砲される。そのうち一発は蛍光灯に当たったようで、パラパラとガラス片が舞い降りてきた。俺は痛む左脇を押さえながら起き上がると、冴真の腹目掛けて強く蹴りを入れる。


「ングゥ!」


 俺の痛みはこの比じゃなかったはずだ。もっと、もっと痛めつけなきゃ俺の気が収まらない。


「わけわかんねぇこと言って、よくも襲ってくれたな糞野郎がッ!」


 俺が彼の腹部を再び蹴った瞬間だった。


 ガンッ――。


 衝撃がつま先に走る。いつの間にやら、地面に伏していた冴真を包み込むように鎖帷子チェーンメイルが纏わりついていた。


 あまりの痛さに悶え、その場で転げまわる。そんな中、聞き覚えの無い男の声が教室に響いた。


「牧氏時光君、合格だ。君は今日を持って、我々の仲間になってもらいたい」

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