③
「ノノくーん! 怒ってないーー!?
「あ、へ?
「怒ってない?、ノノくーん?
「あっ、
「あっ、い?、
「頭イカレとんか! キミは!!
気が狂った。まちがいなかった。
近い。近い。声が近すぎる! ココ男子トイレだぞ!
思わず怒鳴り散らした。今日初めて対等な声が出た。衝撃で漏らすかと思った。だがこればっかりは、コレばっかりはボクは悪くないぞ! 悪くない! 悪いのはマツミさん……の、親だ。両親だ。何教えてんだダラブチどもが。ええ!、そんなだからこの国の出生率が――だめだ、止そう。責任転嫁だ。
「うんちー!?
「訊くんじゃありません!
「アハハ怒った怒った!
「あぁ怒るとも! キミのためにもね!
壁づたいに怒鳴り声の応酬が続く。
開けてやろうか。次バカなコト抜かしたら開けてやろう。舐めるなよ。サイズなら負けないぞ。中学三年 修学旅行の折、クラスのヤンキーにまで不沈漢ト畏れられた我が――
「ゴメンってェ……ねぇ、
思ったが丁度その時。彼女のトーンはキュット落ち着いてしまった。まったく拍子抜けである。
「……怒ってない?
「?、
意外だった。まだ引きずっていることも。僕如きにそれほどまで関係性を保とうとする心意気も。
「、ねぇ怒ってない?
顔を見るまでも無かった。ドアの前、ソードラインは遙か手前。
それでも彼女は必死に追いかけて、飛び出してきた。
ボクを尋ねてきていたんだ。
そのいじらしさに、かわいらしさに。ボクはいよいよ抱きしめたくなった。殺されるだろうが喰われるだろうか。この人なつっこいクラスの人気者をいよいよ、自分の手の平で包んで、お姫様にしたくなった。
いや、手にトイレットペーパー持ってなかったらの話だが、うん。
「……怒ってませんよ、
「"ません" ッテさァ、
彼女は少し詰まらせた。敬語がお気に召さなかったらしい。全くおてんばである。
「ない! 怒ってないから!
「……ホント? ノノ怒ってない?
「ああホントさ、ノノ怒ってない!
「……にへ、
「にへ?
「ニヘッ、ヘヘ!――! にへへへ、フヘっ、! にひぇ!
待て。
まてまて。
なんだソレは?
なんなんだいソレは!
首を押さえつけた。
聴いたことがなかった。
意外でしょうが無かった。
きっと、ああきっと。キットもカットも抹茶味だとも。
透視を身につけるまでもない。
彼女の目は薄く縮まり、口は妖しく開き、口角は不気味につり上がっているに違いない。確信していた。
クラスの中心、いや、そこら中を好き勝手に走りっタラくギャル。ギャルがだ。
コレは定説を覆す。いや、固有種だ。
聴いたか。近かれど遠からんども音に聞け。ものども来やれ来やれ!
イヤに粘っこい。下卑ていて、意地が悪くて。
放課後の窓?違うね。
FPSのボイスチャット、そう、そんな声だった。
僕は思わず、ぽかんト口を広げた。扉の向こう、歪につり上げた口を包み隠した。コチラをいやらしい目つきで睨んでいるであろう彼女を思った。
同時に少し燻りが生まれた。
"なぜ、普段は違うのか" トいう物だった。そしてソレが次第にぼくは、だんだんと腕を振るわすほどに許せないものになってきた。
思い出されていたケラケラの爛漫が、途端 見ていられない程に陳腐で、ずさんなニセモノに見えてきた。しょうが無かった。
言ってしまおう。
こうなったら早い。ホントにはやい。手も足も出さぬ平和主義者なれど、ココだけは譲れない。自分でも折り紙を千羽鶴くらいは付けてしまう。
我慢が出来ない。
「……ジョウバリさん。
「にへッ、へ、……ん?、どーしたん?
「好きだ
「へ、好き、……スキ。SUKI?
「ああそうだ。間違いない。我慢できない。
「ひゃ、は!?、――なッ!、え!?
「普段のあの、カワセミのような声より。ずっと、ずっとだ!
「か、カワセミ!?、え、ひぇ、?
「そうだカワセミさ! なんだって隠すんだ貴女は、そんな――そんな――
「しょ、しょんナ、なに!?、え!、もう何!?
「もったいないでしょう!
「……モッタイ、ナイ?
異国の言葉を聞いたように、彼女は繰り返して固まった。もしや無自覚なのだろうか。一抹の懸念が持つトゲにようやく、かゆみを覚えて、ぼくは一旦、如何にしてコレを伝えようかト案を練る。アレコレ口を動かす。
沈黙が支配する。扉の奥、コツコツト、明らかに動揺したローファーが、行ったり来たりを繰り返す。
待ってくれ。待ってくれよジョウバリさん。今なにか、言葉を――、
「……ヨシ、
「よし。?
「クジャクヤママユだ。
「くじゃ……へ?
「貴女はクジャクヤママユなんだ。そうだ、つまり
「マユ……って、
「何がいけない!!
扉の奥、蝶を気取る淑女は地団駄を踏んで叫んだ。火も噴き出す彼女に、ぼくは耳をつんざく勢いで、震えた口で怒鳴り返した。
「
「……な、何が?
「自分の翅をだ。
「う、うちゅ、う……ひゅ!? ……ドーユーコト?、わ、解んないし……うちバカだし……ば、バカだし!
とちり返り裏返り、縮まる声。きっと髪を指で捏ねているに違いない。その目は泳ぎ、溺れているに違いない。
上擦ったその声を聴けば、いくら僕でも解る。解るとも。貴女はもう気付いている。
しかし無い。あと一歩足りない。勇気が。望みが。勢いが。
アレだけ普段、天真爛漫を体現せり彼女からは想像も付かないくらい、蛾は恐れている。あの粗末なモンシロどもの群れの中、翅を広げて停まることを恐れていたんだ。
これ以上はダメだ。逃げられてしまう。
少し、そろそろ、助け船というヤツをだそう。
「……まぁ、アレです。兎も角です
「……はい。
「もうちょっと、素で良いんじゃ無いか。そう思うんです
「……うん。
「貴女の笑い方には、他とは違う色香が薫りました。
「ちょ、……エロイ言い方止めるし!
「いいえ止めません!
「はぁ!……っ、バカ!
「バカです。今更ですか。誰がこのクラスの英語の分水嶺をになっていると――
「ソレ高い方が言うヤツだし!
空間が噛みしめる。主語も述語もない。空砲が二発ばかり。ドコに向いたか。解らぬ空間が噛みしめるようにしてしばらく。
「……つまりさぁ、アレじゃん。ノノはさ?
「ええ。なんでしょう?
「敬語禁止! よけーハズイ!
「……ハイ。
「禁止!!
「……あ、ああ
「ああッテ。ヒャハハ!
彼女は笑い出してしまった。置いてけぼりだが嫌な気はしなかった。やはり、やはり、彼女の声はどこか卑らしく、とてもキラキラのマドンナが口にするとは思えない黒さがあった。
詰まるとこボクの鼻を突き刺した。あの咽ぶような艶麗な鱗粉を。振りまいていたから。
「……ノノはさ、スキなん?、私のこの。……ヤミ?、の分
「……あ、あぁ、うん。ヤミ?
「……なんで?
「なんでって……、いつものカラカラより、ヨッポド綺麗じゃないか。
『……ホントに?
途端落ちた。
何を踏んだか、彼女の声が恐ろしく低くなった。
別人がいるのかと思った。握っていた手の中に、ぶわぁト冷や汗が凝集した。
「……ああ、ホントさ。
関係ない。押し通る。会話が無い。押し黙る。唯一見えるローファーすら今は見えない。
薄ら寒い。何も感じない。心臓が扉の前、動いていない気がした。
なんだ。どうしたというんだ。まさか、まさかとは思うが神よ。この期に及んで、ボクがただギャルとの緊張に打ちひしがれ、トチ狂い、くだらない幻覚を生み出していた。なんて言われるわけでは無いでしょう?、
ええ、無いでしょう。無いでしょうとも。
……ないですよね?
自信が失せてくる。聴いたことがある。末期は病棟ですらディズニーなんだと。
全身が震える。脚の感覚がなくなり、手を開けなくなる。歯がカチカチト鳴る。
寒い。寒い。寒い。
恐ろしい凍てつきがマカハドマより出でる。全身をつねるように撫でる。そこからボクの生トいう生を、根こそぎ垂れ堕としていく。
救いは。
拝んでいた。両手を組んで。いつしか男子トイレは、懺悔室へと変貌していた。
「……信じるよ、
全てが凍てつき、涙すら浮かんだ頃。その声は投ざれた。
縋るようにその声を撫でて、ボクは続けざまに口にした。
「あ、ありがとう!
「。なんでソッチが言うし。
「そ、ソレもそうだ、うん。そうだね……へへ、
卑しいこびへつらいを上げた。我ながら今日一の気色悪さだった。見えもしないのになぜ、ボクは後頭部を掻きながら苦笑いまで浮かべたのか。踏まれて死んでしまえ。
「……うんち終わったらサ、
「違うって。だから
「まぁまぁ。もう一回来てよ。教室。
「、?、ああ。まだ書いてないしね。
「うん。一緒に書こう。記そう。いっしょになろ?
「え、良いの?
「良いよ! モチロン! ノノ面白いし!
「ソレは……
「イヤ?
「まさか。願ってもない。丁度迷ってた
「……そう?なら好かった。
「ああ、好かったよ。僕も
少しばかりの静寂。何を言おう、考えているのか。彼女の深呼吸が聞こえる。
『……一人で来なよ
ソレは再び、恐ろしい冷たさだった。凍えきっていた心臓を、再びどん底へ突き落とす魔力に満ちていた。
「あ、ああ。モチロン
もう、そう言うしかなかった。。
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