「ノノくーん! 怒ってないーー!?

「あ、へ?

「怒ってない?、ノノくーん?

「あっ、

「あっ、い?、

「頭イカレとんか! キミは!!


 気が狂った。まちがいなかった。

 近い。近い。声が近すぎる! ココ男子トイレだぞ!

 思わず怒鳴り散らした。今日初めて対等な声が出た。衝撃で漏らすかと思った。だがこればっかりは、コレばっかりはボクは悪くないぞ! 悪くない! 悪いのはマツミさん……の、親だ。両親だ。何教えてんだダラブチどもが。ええ!、そんなだからこの国の出生率が――だめだ、止そう。責任転嫁だ。


「うんちー!?

「訊くんじゃありません!

「アハハ怒った怒った!

「あぁ怒るとも! キミのためにもね!


 壁づたいに怒鳴り声の応酬が続く。

 開けてやろうか。次バカなコト抜かしたら開けてやろう。舐めるなよ。サイズなら負けないぞ。中学三年 修学旅行の折、クラスのヤンキーにまで不沈漢ト畏れられた我が――


「ゴメンってェ……ねぇ、


 思ったが丁度その時。彼女のトーンはキュット落ち着いてしまった。まったく拍子抜けである。


「……怒ってない?

「?、


 意外だった。まだ引きずっていることも。僕如きにそれほどまで関係性を保とうとする心意気も。


「、ねぇ怒ってない?


 顔を見るまでも無かった。ドアの前、ソードラインは遙か手前。Order静粛に! ノ声かくも遠きにありき。

 それでも彼女は必死に追いかけて、飛び出してきた。

 ボクを尋ねてきていたんだ。


 そのいじらしさに、かわいらしさに。ボクはいよいよ抱きしめたくなった。殺されるだろうが喰われるだろうか。この人なつっこいクラスの人気者をいよいよ、自分の手の平で包んで、お姫様にしたくなった。

 いや、手にトイレットペーパー持ってなかったらの話だが、うん。


「……怒ってませんよ、

「"ません" ッテさァ、


 彼女は少し詰まらせた。敬語がお気に召さなかったらしい。全くおてんばである。 

「ない! 怒ってないから!

「……ホント? ノノ怒ってない?

「ああホントさ、ノノ怒ってない!

「……にへ、

「にへ?

「ニヘッ、ヘヘ!――! にへへへ、フヘっ、! にひぇ!


 待て。

 まてまて。

 なんだソレは?

 なんなんだいソレは!


 首を押さえつけた。

 聴いたことがなかった。

 意外でしょうが無かった。


 きっと、ああきっと。キットもカットも抹茶味だとも。

 

 透視を身につけるまでもない。

 彼女の目は薄く縮まり、口は妖しく開き、口角は不気味につり上がっているに違いない。確信していた。


 クラスの中心、いや、そこら中を好き勝手に走りっタラくギャル。ギャルがだ。

 コレは定説を覆す。いや、固有種だ。

 聴いたか。近かれど遠からんども音に聞け。ものども来やれ来やれ!


 イヤに粘っこい。下卑ていて、意地が悪くて。

 放課後の窓?違うね。

 FPSのボイスチャット、そう、そんな声だった。


 僕は思わず、ぽかんト口を広げた。扉の向こう、歪につり上げた口を包み隠した。コチラをいやらしい目つきで睨んでいるであろう彼女を思った。

 同時に少し燻りが生まれた。


 "なぜ、普段は違うのか" トいう物だった。そしてソレが次第にぼくは、だんだんと腕を振るわすほどに許せないものになってきた。

 思い出されていたケラケラの爛漫が、途端 見ていられない程に陳腐で、ずさんなニセモノに見えてきた。しょうが無かった。

 言ってしまおう。


 こうなったら早い。ホントにはやい。手も足も出さぬ平和主義者なれど、ココだけは譲れない。自分でも折り紙を千羽鶴くらいは付けてしまう。


 我慢が出来ない。


「……ジョウバリさん。

「にへッ、へ、……ん?、どーしたん?


「好きだ


「へ、好き、……スキ。SUKI?


「ああそうだ。間違いない。我慢できない。

「ひゃ、は!?、――なッ!、え!?

「普段のあの、カワセミのような声より。ずっと、ずっとだ!

「か、カワセミ!?、え、ひぇ、?

「そうだカワセミさ! なんだって隠すんだ貴女は、そんな――そんな――

「しょ、しょんナ、なに!?、え!、もう何!?

「もったいないでしょう!


「……モッタイ、ナイ?


 異国の言葉を聞いたように、彼女は繰り返して固まった。もしや無自覚なのだろうか。一抹の懸念が持つトゲにようやく、かゆみを覚えて、ぼくは一旦、如何にしてコレを伝えようかト案を練る。アレコレ口を動かす。

 

 沈黙が支配する。扉の奥、コツコツト、明らかに動揺したローファーが、行ったり来たりを繰り返す。


 待ってくれ。待ってくれよジョウバリさん。今なにか、言葉を――、


「……ヨシ、

「よし。?


「クジャクヤママユだ。

「くじゃ……へ?

「貴女はクジャクヤママユなんだ。そうだ、つまりはそんなヤツなんだ

「マユ……って、じゃん! ねぇ!

「何がいけない!!


 扉の奥、蝶を気取る淑女は地団駄を踏んで叫んだ。火も噴き出す彼女に、ぼくは耳をつんざく勢いで、震えた口で怒鳴り返した。


で何がいけない……何がいけない!?、貴女は解ってない。まるで解ってない!

「……な、何が?

「自分の翅をだ。の美しさをだ! 日の光がどうした?、夜空満月の下、蛍光灯の創る逆さまのカーテンの下、妖艶に燦めく美しさを。握りつぶされるほどの狂美を!


「う、うちゅ、う……ひゅ!? ……ドーユーコト?、わ、解んないし……うちバカだし……ば、バカだし!


 とちり返り裏返り、縮まる声。きっと髪を指で捏ねているに違いない。その目は泳ぎ、溺れているに違いない。

 上擦ったその声を聴けば、いくら僕でも解る。解るとも。貴女はもう気付いている。

 しかし無い。あと一歩足りない。勇気が。望みが。勢いが。

 アレだけ普段、天真爛漫を体現せり彼女からは想像も付かないくらい、蛾は恐れている。あの粗末なモンシロどもの群れの中、翅を広げて停まることを恐れていたんだ。


 これ以上はダメだ。逃げられてしまう。

 少し、そろそろ、助け船というヤツをだそう。


「……まぁ、アレです。兎も角です

「……はい。

「もうちょっと、素で良いんじゃ無いか。そう思うんです

「……うん。

「貴女の笑い方には、他とは違う色香が薫りました。

「ちょ、……エロイ言い方止めるし!

「いいえ止めません!

「はぁ!……っ、バカ!

「バカです。今更ですか。誰がこのクラスの英語の分水嶺をになっていると――

「ソレ高い方が言うヤツだし!


 空間が噛みしめる。主語も述語もない。空砲が二発ばかり。ドコに向いたか。解らぬ空間が噛みしめるようにしてしばらく。


「……つまりさぁ、アレじゃん。ノノはさ?

「ええ。なんでしょう?

「敬語禁止! よけーハズイ!

「……ハイ。

「禁止!!

「……あ、ああ

「ああッテ。ヒャハハ!


 彼女は笑い出してしまった。置いてけぼりだが嫌な気はしなかった。やはり、やはり、彼女の声はどこか卑らしく、とてもキラキラのマドンナが口にするとは思えない黒さがあった。

 詰まるとこボクの鼻を突き刺した。あの咽ぶような艶麗な鱗粉を。振りまいていたから。


「……ノノはさ、スキなん?、私のこの。……ヤミ?、の分

「……あ、あぁ、うん。ヤミ?

「……なんで?

「なんでって……、いつものカラカラより、ヨッポド綺麗じゃないか。


『……ホントに?


 途端落ちた。

 何を踏んだか、彼女の声が恐ろしく低くなった。

 別人がいるのかと思った。握っていた手の中に、ぶわぁト冷や汗が凝集した。


「……ああ、ホントさ。


 関係ない。押し通る。会話が無い。押し黙る。唯一見えるローファーすら今は見えない。

 薄ら寒い。何も感じない。心臓が扉の前、動いていない気がした。


 なんだ。どうしたというんだ。まさか、まさかとは思うが神よ。この期に及んで、ボクがただギャルとの緊張に打ちひしがれ、トチ狂い、くだらない幻覚を生み出していた。なんて言われるわけでは無いでしょう?、

 ええ、無いでしょう。無いでしょうとも。

 ……ないですよね?


 自信が失せてくる。聴いたことがある。末期は病棟ですらディズニーなんだと。

 全身が震える。脚の感覚がなくなり、手を開けなくなる。歯がカチカチト鳴る。

 寒い。寒い。寒い。

 恐ろしい凍てつきがマカハドマより出でる。全身をつねるように撫でる。そこからボクの生トいう生を、根こそぎ垂れ堕としていく。


 救いは。


 拝んでいた。両手を組んで。いつしか男子トイレは、懺悔室へと変貌していた。


「……信じるよ、


 全てが凍てつき、涙すら浮かんだ頃。その声は投ざれた。

 縋るようにその声を撫でて、ボクは続けざまに口にした。


「あ、ありがとう!


「。なんでソッチが言うし。

「そ、ソレもそうだ、うん。そうだね……へへ、


 卑しいこびへつらいを上げた。我ながら今日一の気色悪さだった。見えもしないのになぜ、ボクは後頭部を掻きながら苦笑いまで浮かべたのか。踏まれて死んでしまえ。

「……うんち終わったらサ、

「違うって。だから

「まぁまぁ。もう一回来てよ。教室。

「、?、ああ。まだ書いてないしね。

「うん。一緒に書こう。記そう。いっしょになろ?

「え、良いの?

「良いよ! モチロン! ノノ面白いし!

「ソレは……

「イヤ?

「まさか。願ってもない。丁度迷ってた

「……そう?なら好かった。

「ああ、好かったよ。僕も


 少しばかりの静寂。何を言おう、考えているのか。彼女の深呼吸が聞こえる。


『……一人で来なよ


 ソレは再び、恐ろしい冷たさだった。凍えきっていた心臓を、再びどん底へ突き落とす魔力に満ちていた。


「あ、ああ。モチロン


 もう、そう言うしかなかった。。

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