2ミリの中の……
@ramia294
飯塚の脆い心がコンプレックスに蝕まれ始めたのは、その高校教師の職に就いてからだ。
藤ヶ丘高校は、県内屈指の旧帝大への進学率を誇る名門で、教師や生徒も優秀な者しかいなかった。
体力でしか、生きてこなかった飯塚は、誰にも見返られる事がない場所だ。
この学校では、体育という教科そのものが無視された。
受験に必要ないものは無視される。
それがこの国の最上位校進学を目的としている、この高校の教師や生徒共に行動理念だ。
そもそも飯塚は、運動能力や体力には恵まれた優秀な男だった。
彼が大学まで進めたのもその運動能力のおかげで、体育大学へと進めた。
ある意味では、優秀な男だったのだ。
大学では、日々行われた親睦を深めるという行為。
しかし、この進学校にはなかった。
飯塚は懸命に周囲の人間に働きかけた。
親睦が、仲間が、いかに重要なのかを
面倒くさくなった周囲の者たちは、飯塚の開く飲み会を一度だけ許した。
アルコールの入った飯塚は、更に親睦が大切だと、強調した。
しかし、誰からも相手にされない。
相槌を打つその目が、虚ろな教師たちを感じて、更にアルコールが進む。
それは、悪い方向へと飯塚を進ませた。
秘かに憧れていた国語教師の溝口佳子に、絡む。
嫌がる溝口に無理やり酒を勧める。
飲めないと断る溝口に、親睦のため一杯だけでもと食い下がると、隣の数学の竹田が、言い捨てた。
「この学校には、君と親睦を図りたいとは、誰も思っていないようだよ。我々教師もそうだが、生徒たちもおそらくそう思っている。この学校だって、特に成績の良い特別な生徒ばかりではなく、一点を争って、時には泣く子たちもいる。元々、体育なんてものに、時間を使っている暇はないのさ。教師なら、生徒のために自分という存在を役立てるには、どうするべきか、考えてみればどうか?今の君ならば、いない方がましなのでは?」
その場にいた全員が、無言だった。
おそらく、全員が同意見なのだろう。
飯塚を残し、全員がその店を後にした。
肉体の強さしか取り柄の無かった飯塚の心は、
このとき壊れたのだろう。
残された、飯塚は黙々と食べ飲み、家路につく。
星も月も彼を見捨てるように、その夜は闇に包まれていた。
その闇から飯塚は、後にその身を破滅させる招待状を受け取った。
誰からも相手にされない孤独と価値観の破壊。
それは、その人の心を壊す。
価値観とは、脳が時間をかけて繰り返し積み上げた、電気信号が走る確固たるルート。
決してオカルト的なものではない。
それが壊れるのだから、心が壊れる事とそれは同意だ。
それが脳内のたった2ミリ程の部分でも、壊れた心は、戻らない。
体力の優秀に溺れていた飯塚は、しかし、野性の勘を持たなかった。
野性とは、保守性の事だ。
決して暴力的ということでは無い。
脳内に積み上げた価値観が壊れるということは、元々その群れは、自分の居場所ではないと立ち去るべき判断を出来なかった。
飯塚の場合、その反動は暴力による自己満足の追及という形で現れた。
翌週から、彼の行動は問題を多く含んだものになった。
溝口をはじめとする同僚の女性教師には、セクハラ、竹田をはじめとする男性教師には、パワハラを始めた。
強力な筋肉を背景にした嫌がらせを訴える教師たちに、年齢により、肉体が枯れたかに見える校長からの叱責を受け、逆らえなかった飯塚の劣等感のよりねじ曲がった矛先は、生徒に変わる。
あのアイドルのように華やかな女生徒を無茶苦茶にしてやる。
彼の歪んだ心が見せるその視界には、その女生徒に熱い視線を送り続ける寡黙な男子生徒と、その男子生徒を一途に見続ける暗い雰囲気のメガネの女生徒が映らなかった。
彼は、理由をつけてアイドルのように輝く微笑みを持つ女生徒を呼び出した。
それは、飯塚自身が、地獄へ落ちる第一歩だった。
終わり
2ミリの中の…… @ramia294
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