第18話

 暫く、応酬は続いた。

 ローランが剣をふり、レクスが躱す。

 ただそれだけの繰り返し。

 ただ同じことの繰り返しの様に思えた。

 少し息を切らし始めた、ローランを見るレクスの表情には少しの退屈と、その冷ややかな瞳には、少しの侮蔑が入り始めていた。


「興醒めだな……時間の無駄だ」


 レクスは言った。


「なんだと?」

「……もういい十分だ。ここでお前と戦っても何の益もない。俺はサーシャを連れて帰らせてもらう」


 そう言うと、サーシャの方を見るレクス。


「……まだだッ! 勝負は着いていないぞッ!」

「なぁ、ローラン……」

「何だ……?」

「俺達は、別にシナリオ通りに敵対する必要もないのではないか?」

「……シナリオ? 一体何の事を言っているんだ?」


 混乱した様子のローラン。


「……いや、そうだな。今のお前に言った所で……」

「意味の分からない事を……ッ! あの子を連れて帰るなんて僕は許さないぞッ!」

「……ふん。お前は帰ってアリシアにでも慰めてもらうといいさ。自分より顔の良い男に女を奪われたと……。アリシアも言うだろうさ、それはしょうがないよってな……はッ!」

「……アリシア? 今、お前……。アリシアと言ったのかッ!?」

「ふ……口が滑ったか」

「なんでお前がアリシアを知っている……ッ!」


 その名を聞いて激昂するローラン。


「どうせ、言った所でお前には理解できん話だ。」

「いいから、理由を言えよッ!」


 ローランは問いただす。


「……まぁ、このまま行くとアリシアは俺の妾になるとだろうとだけは言っておこう」

「お前……、一体誰だッ!? もしかして、何処かの貴族か何かかッ?!」

「まぁ、そんなところだ……」

「……まさか、もう貴族がアリシアを狙って……?」


 少し怯えた顔のローラン。


「俺だって別に本意ではない。権力で女を奪うなど……。だが、まぁアリシアの才能が開花するとこは、間近で見てみたいものだがな……」

「……アリシアは……。アリシアは……。もう魔術が…使えないんだ……」


 わなわなと震えるローラン。


「知っているとも。今はな……。だがまぁ案外、本気で使わせれば使えるのではないかと、俺は思っているのだがな……」

「そんな事あるわけないだろ――ッ!」

「わからんさ」

「わかるんだ。もう無理なんだよッ!」

「無理だと決めつけていては何も始まらん。やってみなければ分からない事もある」

「もう、さんざんやって駄目だったんだよ……ッ!」

「なら、できるまで何度でも試すだけの事……。そうすればいつかできるだろうさ……」

「お前に、何が分かるッ! アリシアも僕も皆もッ! さんざん、治療法を探し回ったんだッ!」

「過去の事は知らん、俺にとって大事なのは、今とこれから先の事だけだ……」

「お前ッ!」


 レクスの無理解な態度に、苛立つローラン。


「まぁ、そう怒るなローラン。俺はアリシアが、また魔術を使えるようになるんじゃないかと、期待しているだけなんだ」

「そんな事は絶対にあり得ないッ! アリシアだって、必死になって何度も何度も……」

「俺には夢があるのさ。かつて果たしきれなかった夢だ。それを叶えるためには一人では無理だ。その為に人が要る、できたらアリシアにもその夢をかなえる手伝いをして欲しいと思っている」

「……そんな事、お前の勝手な都合だ、僕達の知った事じゃないッ!」


 拳を握り締めるローラン。


「……まぁ、いずれにせよアリシアには会いに行かねばならんと思ってはいるのだがな……」

「……お前なんかをアリシアには絶対に会わせないぞッ!」

「まぁ、気持ちがわからんわけでもないぞローラン。俺のような男が、お前の大好きなアリシアに会うのが怖いのだな?」

「……お前ッ! ふざけるなッ!」


 ローランは激しい怒りを覚える。


「ふぅ……。男の嫉妬は見苦しいぞ、ローランよ。アリシアが誰に惚れようとそれは、アリシアの自由……。もし、仮に彼女が俺に惚れて、俺の下に来てしまおうとそれもアリシアの自由なのではないか……はッ!」

「どの口がそれを……ッ! 今だってお前は……」

「アリシアも、お前より俺が良いと言うんだったら、アリシアの自由にさせてやれば良い、それだけの話だ……違うか?」


(こいつは悪だ……)


 目の前の男が、貴族だったとしたら、アリシアが本当に自分の意志で選択をすること、など難しい事はローランにも分かっている。


 アリシアの両親もおそらくは断り切れない。


「ああ、そうだ。ローランよ、お前も俺の下に来るつもりは無いか? 俺は正直言ってお前の事が嫌いではない。アリシアと離れたく無いのなら、アリシアとともに――」

「なんで僕がお前なんかの……ッ!」

「……交渉決裂のようだな。まぁ、それは追々、考えるとして、今はサーシャを連れて帰る事にする。さらばだ……ローラン」


 ローランには明らかな敵意を持たれている。今、いくら話したところで無意味だろう。


「待てッ!」

「もう、いいだろう?」

「僕は、今ここでお前を逃がすわけには行かないッ!」


 自分が躊躇っているから、あの少女もこれからどうなるのだろうか? 


 そして、アリシアも――いずれは、この貴族の男に。


(そんなのは絶対に、許せないッ!)


 ローランの中で何かが吹っ切れていく。

 目の前の男が人ではない、魔物に見えてきた。

 ローランの中で何かが変わる、後方にとびのきながら距離を取る。


「その子もッ! アリシアもお前の好きになんてさせないッ!」


 激しい怒りがローランの中で弾け凄まじい、魔力の奔流として広がっていく。


「まだやるのか?」


 ローランの魔力に反応したレクスは振り返る。


「はぁ……ッ!」


 掛け声と共に、魔力の流れはピクピクと動く筋肉の機能を強化していく。


【身体強化】

  

 ローランの得意とする魔術の一つだ。

 強化しすぎればその反動は自らに返ってくる。

 しかし、上手く扱えば、超人的な身体能力を得ることが可能な魔術だ。


「無駄だと思うのだが……」


 鬼気迫る様子のローランに向かってレクスはやれやれと肩をすくめる。


「いくぞ……。悪党……」

「……この俺がか?」

「ふんッ!」


 鼻息少し荒く、ローランは跳躍するとも剣を振りかぶる。

 相手を殺してしまう恐怖は彼の中で消えていた。

 この身体能力での全力の一閃は人の胴体さえ両断してしまうかも知れない。

 だが、そんなことを気に留めることもなく、全力の斬撃を放とうと襲いかかる。


 しかし――


「それでは、俺には及ばんぞ……ッ!」


 弾丸のように飛び込んでくるローランを見たレクスは、迎えうつように躍り出た。


 その動きを見た瞬間――


(しまった……)


 呼吸が止まったような感覚と共に、ローランの頭の中で何かが冷えていった。

 相手は移動しない物だと無意識に思っていた。

 空中では大きな隙ができる。


(まさか……これがこいつの狙い)


 高速に脳内で何かが噛み合っていく感覚。

 あの挑発も、あの一歩たりとも移動しないことも、全て相手の迂闊な行動を誘うための罠だったのか。

 相手の狙いが読めた様な気がした。


(あいつは、僕を怒らせて油断を誘って……)


 強力な一撃を加えるための狡猾な戦略。

 だが、見えなかったのも事実。

 あの男は初動を見せることもなく、何かの重心移動の様なものであの男は移動した。


 静止していく時間の中で太刀筋に乱れが生じる。

 剣を振り下ろす間もなく、着地予定地点より前方に現れた金髪の少年が鋭い膝蹴りを放つのが見えた。


(まずい)


 空中では回避行動を取ることも、防御姿勢を取ることさえ叶わない。

 悪手を取った、自らの迂闊さを反省する時間もないままに、


「ぐは……ッ!」


 鳩尾に膝が深く突き刺さり、肺の空気が押し出されるのを感じた。

 痛みを感じるより先に、全身を衝撃ショックが駆け回った。

 自らの敗北を認める時間もないままに、

 

「……俺の勝ちの様だな」


 レクスはローランの耳元で囁く。


「う、う、うごぉおぉぉぉ………ッ!」


 膝が複部から抜かれると、ローランは思わず、吐瀉物をまき散らしながらうずくまる。


「……汚いな……。少し、寝てろ。そして、起きたら風呂にでも入れ」

「ま、まま……ぁて……」

「待たん。俺にはやる事があるのでな」


 レクスは、ローランに背をむけ、サーシャに向かって歩いていく。


「ぼはぁ、ま、て、ま、よ、まて、よ……」


 呼吸さえ覚束ないくせに、ローランは必死に立ち上がり、サーシャを担ぐレクスを止めようとする。

 だが、その意志とは裏腹に立ち上がる事すらできずに、ついには膝から崩れ落ちた。


「いくぞ、サーシャ」

「……」


 サーシャは絶句していた。


「ま、ま……て……。ま……って……」


 そんなローランをレクスはサーシャは無言で少し見つめると、その呻き声を聴きながら、その場を去った。


 


 





 レクスはサーシャを担いで、乗ってきた馬車に乗せると。目的地に向かって走らせる。


「悪党か……」


 思わず呟く。

 そして、脳裏にぼろぼろになりながら立ち上がろうとする主人公の顔が浮かぶ。


「だが、……俺は間違っていない……間違ってなどいない……」


 馬車に乗せられたサーシャはそんな呟きを聞いた。

 その呟きは、自信に満ちたもののようにも、自分に言い聞かせているようにも聞こえる、そんな響きであった。





「く、くぅぅぅ……ッ!」


 取り残された少年は、しばらく立ち上がる事が出来なかった。


「うッ…うッぅう…、うッぅぅぅぅッ!」

 

 必死に嗚咽をかみ殺しながら涙を流す。

 むせびあがってくる嗚咽は腹部に受けた衝撃のせいなのか、悔しさから流す涙のせいなのか。

 ローランには、分からなかった。

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