第3話 『絶禍の書』
「良かったというのはどういうことだ?」
「はい。実はひとつも売れていないのです」
アリエルは笑顔でそう言う。
「ひとつも?」
「はい、ひとつもです! そのお陰で私のせいで困ったことになる人が出なくて良かった。そしてこの魔導具がこのままでは売ってはいけないことを教えてくれたシヴァさんに感謝なのです!」
「おおぅ……」
なんだこの娘は。俺はこういう考え方をするやつに会ったことがない。教会を代表するあの聖女ですら自分の保身、勇者にどう取り入るかしか考えていなかった。
「それで、お前はこの魔導具を直せるんだろうな?」
「はい。じゃなくて、いいえです。私、あの『魔導回路理論』っていうのがとても苦手なのです。まったく意味が分かりません」
彼女はなぜか、胸を張ってそう自信ありげに言う。
「では、どうすると言うんだ?」
「どこかで親切な魔導具師さんを見つけて、直してもらおうと思います。見たところシヴァさんは冒険者さんのようです。その腰のものはロングソード。あなたは剣士さんですね。でしたらパーティを組んだりしますよね。お知り合いの魔法使いさんでもいいです、ご紹介いただけませんか? できたら親切な方を!」
「親切な? それはお前、修理費用が無いということか?」
「はい。私、大雪が降った時にこのソリの購入に使ってしまいました。荷車を売ったお金と、そのときに持っていたアクセサリーをすべてお金に変えたのですけど、ソリって高いのですね。いまは、いわゆる
また、彼女は少しだけ
「お前……」
なぜか頭が痛くなってきた気がする。とにかく彼女は、こんなガラクタをその『お師匠様』に押し付けられたにも関わらず、諦めようなんて考えてはいないようだった。
「俺は基本的に
「いいえ、大丈夫です。王都に着いたら頑張って探してみます」
「そうか。でも、もし、その親切な魔導具師が見つからなかったらお前はどうするんだ? その試験を諦めるのか?」
「まさか? 試験を諦めるなんて絶対にしません! 実はもう一つ試験内容があるのです。これを達成するのでも良いのです」
「ほう。なら、それを頑張ったほうがいいと俺は思うぞ。で、何をするんだ?」
気づけば俺は、このアリエルという少女に肩入れしようという気になっている……。これまでの自分をすべて捨てて、誰とも親密になることなく生きていくために王都を目指してきたというのに。
「ああ、聞いていただけますか? 実はですね、これはとても重要な極秘の内容でして……」
極秘と言いながら、
「おお」
「かの暗黒の魔導師シドニアの『
「ああ……」
おいおい、それは本気なのか?
「シヴァさん、その
「いや、その……。それはもしかして大陸中、種族を超えて多くの魔法使いたちが探しまわっているというあの『禁書』のことか?」
「はい、その『禁書』です!」
この娘は、そもそも『禁書』というもののことが分かっていないのではなかろうか? 例えばこの王国でそんなものを持っていると知れたら、兵士に捕らえられて監獄行きだ。国はそれを回収するだろうが、間違いなく口封じのために処刑されるだろう。
その後も俺はソリを押しながら、彼女との会話を続けていた。
ああ、こんなに長く誰かと話したのはいつぶりであろうか。
「それでですね。私を取り囲む盗賊さんたちにこう答えたのです……」
彼女もほぼ聞き手に徹している俺を相手に話しやすいのか、その語りは終わることを知らなかった。だが、盗賊たちに同情されるお前というのは何なのだ……。
「見えてきたぞ。あの門を超えれば王都だ」
俺の方を向いて話し続けながらソリを引く彼女は、ようやく前を向いてくれた。
「大きいのです。こんなに大きな門を見たのは初めてなのです」
「やはり……。アリエル、お前は王都に来るのは初めてなのだな。そして、『人族』の大きな街、こういった検問の存在する街にも来たことがない」
俺の言葉に、ソリを引いていた彼女は立ち止まった。
「あれれ? えっと、それはどういう……?」
「隠さなくてもいい。君に会ったときからおおよその検討はついているんだ」
「……」
そのとき俺は初めてアリエルの不安そうな顔を見た。
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